37
「まったく。彼女には手を焼かされるよ」
ヘーレスはホッとしたようにため息をこぼす。
もうまともに立っていられないのだろう。地面に膝をついている。脇腹にもらった一撃がよっぽど深かったようで、足元からは真っ赤な血がひろがっている。
いつもどおりのいやらしい笑みを浮かべているが、顔色は蒼白だ。もう長くはない。
「この失敗作の力を最大限まで引き出せれば、クロノハオウにだって対抗できるはずだよ。勇者の鎧を扱う際に肝要なのは、魔術と同じでイメージさ」
ククッ、と俺を見ながら笑って助言を伝えてくる。死ぬ間際だというのに、相変わらず先生として振る舞ってくる。
「そして何よりも大事なのは、生きようとする意思だ」
そう言って、ヘーレスは右手を持ちあげてくる。負傷しても握り続けていた、白銀の球体を差し出してくる。
手を伸ばして、差し出された白銀の球体を受け取った。がくりと力が抜けていくように、ヘーレスの右手が床に落ちた。
「僕がこれまで見てきた多くの勇者候補のなかでも、リオンくんは生きようとする意思が誰よりも強い。そこだけは、アシェルくんにだって負けていない。キミのほうが勝っている。自信を持って、そう言えるよ」
ぎゅっと掌に力をこめて、白銀の球体を握りしめる。
この人のことが、苦手だった。他の子供たちのように慕うことができず、胡散臭いと怪しんでいた。そして実際、裏があった。
この人のせいで、大切な人を失った。許すことなんてできない。
絶対に報いを与えて殺してやるつもりだったのに。
なのにどうして、いまこんなにも胸が苦しいのか?
この人が死んだって、涙なんて一滴も流れはしないのに……。
動揺が顔に出ていたんだろう。ヘーレスは俺を見て唇を持ちあげると、意地の悪い笑みをつくる。
「上手く壁の外に出られたら、僕を始末するつもりでいたんだろ?」
「気づいていたのか?」
「まぁね。慕ってくれた多くの子供たちを犠牲にしたんだ。自分だけ生き延びようだなんて、虫のいい話さ」
肩を竦めようとしたのだろう。だけど体に力が入らず、ヘーレスはわずかに肩を浮かせることしかできなかった。
「先生は、俺たちに殺されるのを受け入れるつもりだったのか?」
「まさか。そこまでお人好しじゃないよ。逃げられるのなら、逃げていたさ。……でも、その必要もなさそうだ」
薄く開いたまぶたの奥は濁っていた。もうまともに目が見えていないのかもしれない。それでもヘーレスは俺のほうを見ようとしながら、語りかけてくる。
「……ごめんよ、キミたちに殺されなくて」
ヘーレスの上半身が前のめりに傾いていき、倒れる。
動かなくなってしまう。
もう意識はないみたいだ。
その表情は、最後まで悪人のような笑みを浮かべたままだった。
感傷に浸ったりはしない。まだやるべきことがある。一秒でも早く校庭に戻らないといけない。
だから立ち止まらない。後ろ髪を引かれそうな気持ちを切り捨てる。
前を向く。迷わない。
今はただ、前に進むことだけを考える。
「おまえの力が必要なんだ。助けたい仲間たちがいる。一緒に生きたい仲間たちが」
胸の内にある、いろんな想いを込めて、握りしめた白銀の球体に魔力を流し込んでいく。
球体が光を放った。その光に肉体が包み込まれると――世界が変わる。自分と鎧との境界線が曖昧になっていき、大きくて黒い穴のなかに引きずり込まれていく。
砂嵐が吹き荒ぶ。精神がかき乱される。気持ち悪い。巨大な生き物に体を蝕まれているみたいだ。
イメージ――自分を保つ。ルリア、ダイン。二人のもとにたどり着きたい。その一心を強く想い続ける。
大きくて黒い穴から抜け出す。引きずり込まれていく感覚が薄れていく。自分と鎧との境界線が、明確に異なることを意識する。
肉体を包み込んでいた光が消えていくと、物語に登場する聖騎士のような白銀の全身鎧を身にまとっていた。
装着完了。内側から膨大な魔力があふれ出して、万能感に満たされる。全身に目がついているみたいに感覚が拡大して研ぎ澄まされている。より世界を鮮明に把握することができる。
動悸が激しい。高揚している。気分が悪い。頭がクラクラする。
それらを振り切って、声をあげる。
「さぁ、行くぞ」
戦うための武装は手にした。
あとは向かうだけだ。
助けたい仲間たちのもとに。
かつて憧れを抱いた、倒すべき人のもとに。
胸のなかに熱を灯して、駆け出した。




