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青空の下、勇者学院の生徒である子供たちが校庭を駆けまわっている。十人くらいで集まって遊んでいるようだ。
その様子を校舎の屋上に立って、遠目に眺める。
数年前に、アシェル姉さんとここで話していたことを思い出していた。姉さんから大切なモノをもらったときのことを。
もうすぐ俺も、この学院を卒業する。
そしたら外の世界に行って、姉さんに会えるだろうか?
姉さんとの約束を、果たすことができるだろうか?
わからない。それでも期待する。望み通りにならなくて失意に暮れることになったとしても、希望を持ち続ける。
もうあのときのように、うつむいたりはしない。
決心を固めていると、校庭から子供たちの歓声が響いた。盛りあがっているみたいだ。
「…………」
本音を言えば、学院を去ることに心残りはある。ノエルのことや、下級生たちのこと。心配でないと言えばウソになる。
それを感じてしまうのは、この学院に対して払拭できないわだかまりがあるからだ。
学院のなかには、生徒の立ち入りを禁じている場所がいくつもある。そこで何が行われているのかを、教員たちは決して教えてくれない。それを聞いてはいけないという空気がつくられている。
他にも疑念はある。どうして勇者の鎧と呼ばれるあの武装は、勇者候補しか装着することができないのか? 普通の人間だって装着できるようになったほうが、魔物との戦いを有利に進められるはずだ。なのに、それは不可能とされている。
開示されていない情報が多すぎて、わからないことばかりだ。
本当にこのままノエルを置いて学院を去ってもいいのか? どうにかして、一緒に外の世界に行く方法はないのか?
そのことを繰り返し、何度も自分に問いかけてしまう。
最後に行きつく答えは、いつだって同じなのに。
唸りながら頭を悩ませていると、屋上の出入り口にある扉が開く音がした。
「げっ……」
振り返ってみると、自分の表情が硬くなるのがわかった。
屋上にやって来たのは大人の女性だ。整った顔立ちは美しくもあるが、冷厳な空気をまとっている。つり上がった鋭い目は燃えるような赤色で、見るものを射竦めてくる。
長い髪も赤く、後頭部で一つに束ねられて尾のように揺れていた。
細身だが、鍛練を欠かしていないことが伝わるほど肉体からは力強さが感じられ、教員用の外套をきっちりと着こなしている。
学院の教員はみんな魔術が使えて、それなりに戦闘訓練を受けているようだが、なかでもこの女は強烈な雰囲気を醸している。年齢は三十代中頃くらいだろうが、全く衰えを感じさせない。
システィナ。この第四勇者学院の最高責任者である学院長だ。
「444号か」
システィナはこちらに気づくと、事も無げに冷たい視線をよこしてきた。
胸の奥がうずく。番号で呼ばれるのは嫌いだ。俺にはアシェル姉さんにもらった、大切な名前がある。
「そうやって番号で呼ぶのは、やめてもらえませんか? 俺にはリオンっていう名前があるんですけど」
教員だって、生徒たちが名前で呼びあうことは許容しているんだ。これぐらいは主張しても許されるだろう。まぁ、許されないとしても主張するつもりだが。
システィナはこちらの意見など無視して足を前に進めてくる。俺の名前を呼ぶつもりはないようだ。
予想通りではあった。この女は、教員と生徒という線引きを明確にしている。勇者候補である生徒たちを番号で呼んで人間扱いしてこない。徹底して魔物と戦うための道具として見ている。
それをわかっているから、システィナを怖がる生徒は多い。
俺から距離を取った位置で立ち止まると、システィナは校庭のほうに目を向けていた。
沈黙が流れる。気まずい。この女と同じ空間にいると、どうしてもお腹の辺りがムズムズする。
「外出から戻ってきたんですね」
別に興味はないが、間を埋めるために適当な話題を投げかける。
「最近はいろいろと多忙でな。とりわけ、ネズミ探しが億劫で仕方ない」
わずかに眉間に皺を刻みながら答えてくる。声音には苛立ちがまじっていた。
ネズミなんて学院では滅多に見かけませんけど、なんて野暮なことを聞き返したりはしない。おそらく何かの比喩だろう。
システィナは無表情のまま、校庭に冷たい眼差しを注いでいる。楽しそうに戯れている子供たちを観察していた。
「教育とはおもしろいな。教え込んだら、その通りに育つ。こちらが思い描いた通りの色に染まっていく」
淡々と喋る口調は抑揚がなくて、感情のない言葉が紡がれる。
「もっとも、時おりこちらの意図とは異なる色に染まってしまう失敗作も出てくるがな」
横目で俺を見てくる。矢尻のような鋭い視線を向けられる。
「学院長が何を言いたいのかわかりませんが、それは良いことだと思いますよ。ぜんぶ同じ色ばかりだと、つまらないでしょ?」
自分の存在を否定されているような気がして反発する。賢い判断じゃない。けどここで黙ったり、愛想笑いをして受け流すことはしたくなかった。
システィナは軽く鼻を鳴らすと、俺から視線を切ってくる。
「わたしは昔から舞台演劇を観賞するのが好きでね」
脈絡もなく自分の趣味について語り出してきた。
幼い頃から学院のなかで過ごしてきたので、舞台演劇がどういうものなのかは知識でしか知らない。役者が与えられた登場人物を演じて、物語をつくり出すものだということはわかっている。前に読んだ小説で、そういう描写があった。
「若い頃は、小気味よいアドリブをこなすのが良い役者だと思っていた。毎回、何か新しいことをしてくれる役者は凄い人なんだと。しかし年を重ねるにつれて、考えを改めるようになった。本当に良い役者というのは、与えられたセリフと動きのなかで、きっちりとその役目を演じきる人物のことなんだと」
不要なことは何もするな。そう言われている気がした。
「もしも、与えられた役目を素直に演じようとしなかったら、どうなるんです?」
「そうなれば、そいつの末路は決まっている」
システィナの両目が、俺を捉えてくる。地面に落ちた虫の死骸でも見るような、冷たい瞳をしていた。
「役を降ろされて、舞台にあがることはない。もう二度とな」
頭をつかまれて、無理やり地べたに押さえつけられているような気分だ。逆らう者には悲惨な運命が待っていると、よくない想像が頭のなかでふくらむ。
「与えられた役目を、何の疑問も持たずにこなすのが賢い生き方だ。なのに愚者は、自らの役目を外れて余計なことをして破滅する」
どうやら釘を刺されているらしい。昔から俺が反抗的なところがあるのを知っているからだろう。
なんだかこの女の存在そのものが、生徒に不自由を強いてくる象徴に思えてならない。卒業を間近に控えた八年生になっても、この女とだけはわかりあえそうになかった。
「明日、わたしが外部から連れてきた特別顧問と、勇者の鎧を装着した状態での模擬戦が行われる」
「へぇ~、そうなんですか」
学院の生徒を指導するために外部から顧問が連れてこられることは、過去にも何度かあった。
今回の顧問に抜擢された人物は、学院の生徒たちと鎧を使って戦闘訓練を行うことが任務なのだろう。
「他人事のように聞いているな。明日の模擬戦を戦うのはおまえだぞ」
「……なんだって?」
いきなりの指名に、思わず敬語を忘れて素に戻ってしまう。
「特別顧問と模擬戦を行うのはおまえだと言ったんだ。444号」
「いや、なんで俺が?」
「ヘーレス教員が是非ともおまえをと強く推してきてな」
……あのオッサン。余計な真似を。
ヘーレスがいやらしく笑っている顔が思い浮かぶ。ムカつくな。
そういえば先日の授業で、学院に戻ってくるシスティナにおもしろいモノがついてくると言っていた。これのことかよ。
「ヘーレスが推薦しなくても、わたしはおまえを指名していた。どのみち結果は同じだ。現在の第四勇者学院のなかで、最も優秀な生徒はおまえだからな」
「俺の成績は、ルリアやダインとそんなに変わらないですよ?」
「トボけたいのなら好きにしろ。これはもう決定事項だ」
有無を言わさない口振りで命令してくると、システィナは校庭のほうに視線を戻す。もう話すことはないと、固く唇を結んでいる。そしてここから動くつもりもないみたいだ。
うげぇ、という不満の声がもれる。この女が命令してきたということは、どれだけ言葉をつくして説得しても覆ることはない。模擬戦という余計な気苦労が増えてしまった。
なるべくシスティナとは一緒にいたくないので、踵を返す。扉のほうに歩いていく。
ため息をつきながら、逃げるように屋上を後にした。