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……翼がほしいと思った。
そうすれば、あの壁を越えて、どこまでも飛んでいけるのに。
どこまでも、どこまでも、羽ばたいていけるのに……。
「それじゃあ勇者候補444号くん、今から勇者の鎧の実戦訓練を開始するよ」
白い壁に囲まれた室内訓練場のなかで、教員であるヘーレスがいやらしい笑みを浮かべながら声をかけてくる。
全身に装着している青い鎧の重みを感じながら、傍らにいるヘーレスのほうへと向き直った。兜のスリットから覗く両目で、不満の視線をぶつける。
「……あの、俺を番号で呼ばないでもらいたいんですけど?」
「おっと、ごめんごめん、リオンくん。僕個人としてはキミを番号でなんて呼びたくないんだけどね。でもほら、これも訓練を開始するときの決まりだからさ」
ヘーレスは後頭部を掻きながら口の端を曲げて謝ってくる。ちっとも悪びれていない笑みだ。こいつ、ぜんぜん反省してないな。
「それじゃあ、今回はレベル3の魔物が相手だよ。勇者の鎧を装着していなくても、ぎりぎり生身で対処可能な敵だ」
へーレスから説明を受けると、前方を注視する。白い室内の奥には、檻のなかに閉じ込められた魔物がいた。
大型の獣のように体躯がたくましく、二本の足で立ちながら、黒い影を立体化させたような真っ黒な全身を小刻みに震わせて、獰猛な唸り声を発している。
……魔物。魔王が生み出した人間に害をなすバケモノ。
「頼むから、本気でやってくれよ?」
「手なんか抜かないですよ。俺はいつだって全力です」
「それなら、いいんだけどね」
クックックッと喉を鳴らすと、ヘーレスは後ろに下がって俺から距離を取った。
部屋の奥では、他の教員たちが檻の扉を開けて、急いで魔物から離れていた。
開け放たれた檻から、魔物が鈍重な足つきで出てくる。
「さっ、はじめてくれ」
壁際まで下がったヘーレスが、開始の合図を伝える。
そんじゃあ、手早く済ませるとしよう。
身につけた勇者の鎧に刻印されている魔術を読み取る。
円形のなかに複雑な模様が描かれた三つの【魔法陣】が空中に描かれていく。
自分の周りに三つの【魔法陣】を配置すると、イメージをふくらませる。高速で射出される矢を思い浮かべる。
魔物を射抜く瞬間を明確に思い描くと、展開した【魔法陣】が輝き出し、三つの【魔法陣】から【光の矢】を放出する。
飛び出した三本の矢は白い室内を縦断していき、想像した通り魔物に命中。炸裂音を響かせて弾ける。
魔物は悲鳴をあげると、大きな体躯をぐらつかせる。かなりのダメージが入ったみたいだ。
これなら今回の訓練も楽勝だな。
「……ん?」
魔物は地面を踏みしめると、斜めに傾いていた体勢を立て直す。低い唸り声をあげて、こちらを睨んでくる。
――ゾッとした。
まずい。いつもとは何かが違う。本能が警鐘を鳴らす。
獰猛な咆哮が室内に響き渡る。魔物は牙を剥いて叫ぶと、こちらに向かって突進してきた。
殺意をみなぎらせた魔物が迫ってくる。肉薄するまで数秒とかからない。眼前まで踏み込んできた魔物は荒縄のような豪腕を振りかざす。
咄嗟に地面を蹴った。横に跳ぶ。魔物の攻撃を回避し、距離を取った。
振り下ろされた魔物の拳が地面を殴り、岩石を砕くような豪快な音を轟かせる。殴られていたら危なかった。
明らかに魔物の様子がおかしい。いつもより凶暴だ。
「おい、どうなってんだよ?」
室内の片隅に集まっている教員たちに呼びかける。
返事はない。みんな口々に何かを言いながら騒然としている。
もしかしてこの状況は……教員たちにとっても想定外なのか?
そして再び聞こえてくる咆哮。凶暴化した魔物が、殺意のこもった眼差しで俺を睨みつけてくる。
魔物は前傾姿勢になると、猛然と踊りかかってきた。
「……っ、死んでたまるか!」
――生きる!
自由を手にするまでは、あの壁を越えて外の世界に行くまでは!
絶対に死んでたまるか!
イメージ――身にまとった青い鎧と、より一体的になる姿を思い浮かべる。
意識に揺らぎが生じる。自分と鎧との境界線が、わずかだが曖昧になる。
呑み込まれたりはしない。確固たる自分の姿を強く想像して、リオンという存在を維持する。
俺は俺だと言い聞かせて、引きずり込もうとしてくる感覚をはねのけると、装着した鎧から更に力を引きずり出す。
装着したアオハガネとの同化率が上昇。肉体が軽くなる。鎧の重みをあまり感じない。先ほどよりも魔力量が増加している。
勇者の鎧との同化率を上げるのは、あまり教員たちには見せたくないが、この場を凌ぐためだ。仕方ない。
襲いかかってくる正面の魔物を見据える。
「俺は死なない!」
つま先に力を込めて駆け出す。身軽になったぶんスピードが増している。魔物の突進を軽々とかわし、側面に回り込む。
再びイメージ――自分の周りに五つの【魔法陣】を展開。火力を増加させる。
浮遊する五つの【魔法陣】が輝き、【光の矢】を五連射で撃ち放つ。
炸裂音が反響。五本の矢を浴びた魔物は肉体の半分を失い、悲痛な叫び声をあげる。
それでも戦意は消えていない。魔物は唸りながら、こっちに突っ込んでくる。
「しぶといな」
再び【光の矢】の五連射を放ち、トドメを刺そうとする。
だが、俺が魔術を発動するのに先んじて、爆音が響いた。
弾けて、飛び散る。
視界が真っ白な光につつまれ、熱波を浴びせられて体中が熱くなった。