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雨合羽

 『失せ物漂着場』


 危険度 ★☆☆☆☆


「なんだよこれ……」


 目の前に表示された半透明のウィンドウに書かれた文字を見て、思わずそうつぶやくアタル。


 『失せ物漂着場』、その言葉がおそらくこの場所のことを意味しているであろうことは分かる。危険度の星が多ければそれほど危険なのだろうということも。


 しかし問題は目の前にある半透明のウィンドウだ。突然目の前に現れ、見ることはできても触れることは叶わない。


 それにどうやって消せばいいのかわからず、困惑してしまう。


「……! 誰かいるのか!?」


 その時、物音がしたためその方向へ振り向く。


 しかしその先に人影はない。あるのは片方だけの手袋やイヤホン、キーホルダーのついた鍵や小さなぬいぐるみ、靴と言った誰かの落とし物のようなものだけだった。


「なんだ気のせいか……」


 先ほどの物音や気配は気のせいかと一人納得して正面へ向き直る。


 ……しかし、そこでいくつかの疑問が頭の中をよぎる。


 なぜ、誰もいなさそうなこんなところに落とし物があるんだ?


 なぜ、落とし物があんなに一か所に集まっていたんだ?


 そもそも、あんな場所に物が落ちていただろうか?


 漠然とした不安を抱えながら、ゆっくり、慎重に先ほどの方向に振り返る。


「……やっぱり、何もないよな?」


 さすがにそこに落とし物以外が存在しないことを確認して安堵するアタル。再び正面を向いて周囲の探索を始めようと歩き出す。


 しかし、ホッとしたのもつかの間、拭いきれぬ違和感の正体を掴もうと考えて、あることに気が付いてしまう。


 あの落とし物を見た一度目と二度目とで、物の配置が変わっていた。


「……っ!」


 そのことに気が付き、思い切り先ほどの方向に振り向く。


 すると、先ほどの落とし物たちがひとりでに動き、アタルの後をつけていたのだ。


 手袋はその5本の指で虫のように歩き、イヤホンは蛇のように這いずる、キーホルダーのついた鍵は浜辺に打ち上げられた魚のように飛び跳ね、ぬいぐるみは中に人でも入っているかのように二足歩行し、靴はけんけんでもしているかのように元気に飛び跳ねている。


 そしてそれらはアタルが見ていることに気が付くと、まるでだるまさんが転んだをしているかのようにぴたりと動きを止めるのであった。


「……な、なんだこいつらは!?」


 叫ぶと同時に大量のウィンドウが彼らの頭上に現れる。そこに書かれている『失せ物たち』という言葉は、おそらく動き回っていたものたちの名前だろう。


 『失せ物たち』はバレてしまったからだろうか、もはやアタルに見られていてもお構いなしに動き出す。


「う、うわあぁぁあぁ!!!!」


 もちろんその光景を見て平常心でいられるわけもなく、アタルは急いで彼らとは反対方向に走り出す。


 傘をさす分普段より強く風の抵抗を受けながら必死に走っていると、交差点が見えてくる。


「ひっ」


 ……いる。


 良くは見えないが、交差点の中心に何かがいる。


 アタルは立ち止まると必死になって周囲を見渡し、近くの建物と建物の間、つまりは路地裏へと飛び込みゴミ箱の後ろにしゃがんで身を潜んだ。


 バシャ、バシャ、と何かが歩いてくる音が聞こえる。


 その音は明らかに先ほどまで追いかけてきていた『失せ物たち』ではない。おそらく二足歩行の、人型の何かが歩く音だ。


 気配からしてあの赤い男ではない、あれほどの重圧は感じられなかった。


 さりとて、自分と同じ人間とも思えない。


「ふぅ、ふぅ……」


 必死になって音を抑えようとするも、先ほどまで走っていて息が上がっているうえに、恐怖でまともに息をひそめられない。


 それでも口を両手で押さえ、恐怖と寒気で震える体を必死に抑え込む。


 目の前にいまだ消えない『失せ物漂着場』の文字がチラつくが、それを気にしている余裕もない。


 何者かの足音が、どんどんと近づいてくる。


 やがてそれはアタルの背後、ゴミ箱の後ろあたりで足音が止まる。そしてゆっくりと路地に近づき、何かの顔がアタルのすぐそばまで迫りくる。


 生温い、ろくに掃除の行われていない排水管のような臭いがあたりに充満する。


 あまりの恐怖にアタルは目を閉じるも、生暖かい空気は徐々に熱を帯びていき、そして……






 ガシャン! という何か固いものが倒れる音が聞こえるとともに、生暖かい空気と不快なにおいが離れていき、再び足音が鳴り響き離れていった。


「くっ、ふぅ……」


 それでも緊張した体はすぐには言うことを聞かず、乱れた呼吸もすぐには収まらない。


 そうして落ち着くまで時間をかけてから、ようやくゆっくりと目をあけて、極力体を動かさず目だけで周囲を確認し、安全を確認する。


「……た、助かったのか?」


 そして確かめるように呟いて立ち上がると、足元に違和感を感じる。


「……えっ?」


 思わず足元に目を向けると、そこには可愛らしいピンク色の幼児用手袋が靴の上に乗っていた。


「うっ、うわぁ!?」


 アタルは思わず足元の手袋を払い飛ばし、後ろに下がろうとしてゴミ箱にぶつかりよろける。


 すると幼児用手袋は地面を転がり、倒れ伏してしまった。


「あっ……」


 そのままよろよろと立ち上がろうとしている幼児用手袋を見て、少し罪悪感を感じるアタル。


 どことなく悲しそうなその姿を見て、思わず手を差し伸べてしまう。


「その、大丈夫か?」


 手を差し伸べてから、どうしたらいいのか悩んでしまう。


 アタルは暫くの間差し伸べた手を宙で彷徨わせると、とりあえずと言った風に手袋の甲のあたりを撫でてみた。


 すると幼児用手袋はビクッっと体を一瞬震わせたが、すぐに撫でられることを受け入れて逆に甘えるように体をアタルの手に擦り付けていた。


「えっと、これでいいのだろうか?」


「それにしても、こいつもさっきの『失せ物たち』ってやつと一緒なのだろうか? ……うおっ!?」


 そのつぶやきと同時に、再び半透明のウィンドウが出現する。


 そこにはもちろん『失せ物たち』と表記されており、先ほど追いかけてきた存在たちと同じであることを示唆していた。


「またこれか…… 一体これは何なんだよ?」


 目の前の幼児用手袋の上に現れた半透明のウィンドウと、ずっとアタルの首を下げたあたりに出続けている『失せ物漂着場』と書かれた半透明のウィンドウを見比べて不思議そうにつぶやく。


 これを見て真っ先に思い当たるのはパソコンのウィンドウだが、触れることもできなければウィンドウを消すためのアイコンも見当たらない。


「うおっ、いつの間に!?」


 気が付けば周囲を様々な『失せ物たち』に囲まれていたアタルは、一瞬驚くも取り合えず害意はないと感じて彼らを観察してみることにした。


 どうやら彼らも撫でられたいようで、アタルの手や足に体を擦り付けてきている。


 その様子を見て害意はないと感じ取ったのか、アタルは苦笑いを浮かべながら彼らを撫でてやる。


「ふふっ…… あれ?」


 なんとなく嬉しそうにしている『失せ物たち』を眺めてから彼らの頭上に目を向けると、ウィンドウが頭上にあるものとないものがいることに気が付く。


「もしかして……」


 そこで、今までウィンドウがどんな時に出てきたかを思い返し、自分が知りたいと願い、声に出したときに出現したことを思い出したアタルは、少し思いついたことを試してみようとする。


「えっと、なんて言ったらいいだろうか…… 終了?」


 その言葉と共に『失せ物漂着場』と書かれたウィンドウや『失せ物たち』と書かれたウィンドウが消え失せた。


「おぉ……!!」


 その様子を見て少し興奮を覚えたアタルは、思わず声が上擦ってしまう。


「これってあれかな? よくあるネット小説みたいなことできたりするだろうか?」


「よし、行くぞ…… 『ステータスオープン』」


 本当は大声で宣言したいところを先ほどあったことを思い出して小声で宣言する。


 すると、アタルの思った通り目の前にウィンドウが出現する。




 『雨野 中』


 HP10/10 MP7/7


              




 と書かれたウィンドウを見て、少年のように目を輝かせるアタルは飛び上がる様な気持ちを必死に抑える。


「や、やっぱりこれって異世界転生!? いや、異世界転移か?」


 いつもネットで読み漁っている小説の設定を思い出して胸を躍らせるアタルは、非日常を目の当たりにして思わず顔がにやけてしまう。


 異世界転移といういつも読みふけり妄想した物語が、自らに降りかかってきたのだ。


 とはいえ、彼はそこまで現状に不満を持っているわけではない。


 家族仲も悪くなく、兄弟たちとの仲も良好。新社会人として大変な思いをしているものの、会社の雰囲気もそこまで悪くなく先輩方や同僚とも仲良くやっている。


 しかし、それはそれとしてこういったものには興奮してしまうのが男というものなのだ。


 ……まぁ、現状身に降りかかっているホラー展開を思い出して、一気にテンションが下がってしまうのだが。


「とりあえず、移動するか」


 いつまでのここにいると、先ほどのナニカが再びこちらに戻ってくるかもしれない。


 そう思いステータス画面を消してナニカが来た方とは反対方面へ向かって歩き始めるアタルの後ろを、『失せ物たち』がついていく。


「……お前たちも来るのか?」


 そのことに気が付いたアタルは、振り返って彼らにそう問いかけた。


 『失せ物たち』は見上げるような仕草をした後、おそらく頷いた。


「そうか、それじゃあとりあえず傘の中に入るか?」


 その言葉に全身で喜びを表す『失せ物たち』は、肩や背中、ビジネスバッグに上って雨をしのぐ。


 まさか昇られるとは思っておらずじっとりと服が濡れていくことに苦笑いを浮かべるアタルは、でも自分で言ったことだしと出かかった文句の言葉を引っ込めて歩き出す。


 雨の降る中、アタルは傘をさして『失せ物たち』と共に歩いていく。


 雨足は弱まらない、さりとて強まりもしない。


 激しすぎもなく、少し弱めの、それでも傘は必要な程度の優しい雨。


 まるで誰かを想って流す涙のように優しい雨の中を、傘で遮り突き進む。


「……っ」


 そして、路地裏を出て大通りに出たアタルの目が、再び不思議な存在をとらえた。


 小学生低学年、いやそれより一回りほど小さく見える影は、道路の真ん中に突っ立っていた。


 薄汚れた黄色いレインコートに黄色い長靴を履いた幼子のような存在は、アタルからしても人のように見えなかった。


 しかし、雨の中黄昏るように俯くその姿を目にしたアタルは、胸を締め付けられるような感覚に襲われた。


「君は……」


 そうつぶやいたその時、それの頭上にウィンドウが出現する。


 『雨童(あめわっぱ)


 それを見て人ではないと確信しながらも、それに向かって歩いていく。


 『雨童』は何か物思いにふけていたのか、目の前にアタルが来るまで微動だにしなかった。


 そしてようやくアタルのことを認識して見上げるような動作をするも、レインコートのフードの下は黒い靄で顔を確かめることはできなかった。


「大丈夫か?」


 黒い靄の奥から視線を感じながら、アタルは『雨童』と目線を合わせるようにしゃがみこみ、傘の中にいれてやる。


 彼は気づいていないだろう。


 この瞬間、確かにそれの心は救われたのだ。










 『雨野 中』


 HP10/10 MP7/7


              


『ビニール傘』


 何の変哲もない、透明なビニール傘。留め具には『雨野』と油性ペンで書かれている。


 アタルが学生時代にコンビニで600円で購入し、それ以来なんとなく使い続けている。


 本来消耗品として使用されるビニール傘は、たとえ誰かに盗まれたり、取り違えられたり、壊れてしまってもさほど気には留められないだろう。


 それがビニール傘という存在であり、個として認識されることもない有象無象の哀れな存在だ。


 だがこの傘は幸運だ。


 少なくとも、持ち主が変わったことはないのだから。

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