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4.寄り添い系としての『はめふら』

この社会モデルに対して、より適切な形を示したのは、ざまぁ系悪役令嬢ものの先駆けともなる山口悟のライトノベル『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった』である。この作品では、主人公カタリナが本人の意図せざる形で乙女ゲームの主人公の代わりに他の登場人物たちの「弱さを持った存在」から「強さを持った存在」へと価値転換していく。読者は主人公の価値転換には特別な共感をしないが、主人公が決して賢くないこととセットになっている他者を受け入れていく姿勢に魅力、言い換えるならば、一種の「強さ」を見出している。主人公が登場人物の価値転換をすることと同時に読者は主人公の価値転換を体験する構造になっているのである。


カタリナの独特さは「寄り添う」ことにある。同じく福祉の用語でいうならば、カタリナはストレングスアプローチを行なっているとも言える。そして、読者たちはカタリナや時には登場人物の立場に寄り添いながら、ストレングスアプローチの楽しさを体験していると言える。


2010年代には、一種の社会や環境が「弱さ」についての言説を生み出し苦しんでいるものに「寄り添う」ベクトルを持ち、この環境の持つ価値の転換を示していく物語が読まれていたと言える。


2010年代の「弱さ」に関する出来事は「かわいい」の問題として語ることも可能かもしれない。2000年代に連載が開始した漫画『君に届け』は外見的な美しさよりも精神性を強調されていたが、2010年代に現れたchaiは「NEOかわいい」や「コンプレックスはアートなり」といったコピーで「かわいい」をめぐるまなざしを転換し、環境変化を目論んでいる。


だが、悪役令嬢ものざまぁ系と呼ばれるジャンルは、どうして『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった』を経由しながらも、再度社会という次元での解決に向かわなかったのだろうか。あるいは、寄り添うことを信じられなかったのだろうか。

むしろ、これらの作品は寄り添われたくないという社会意識を繊細にも汲み取っていたのではないだろうか。

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