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前談 「弱さ」とサブカルチャー

 ライトノベル、漫画、アニメ、ポップミュージックといった大衆文化の領域では、多様な「弱さ」との向き合い方について描かれることがある。

「弱さ」という言葉は多義的であるが、2020年代に表現し続けるナナヲアカリや『ギスギスオンライン』は、この「弱さ」を思わず曝け出してしまうことに意味を見出している。ミハイル・バフチンは上のものを下に、という転換に喜劇の本質を見た。「弱さ」が大衆文化で描かれる時、多くの場合、この逆転が見られる。しかしながら、ナナヲや『ギスギスオンライン』にはこの逆転は見られない。弱さを持った存在はその弱さを否定されながら弱さを保存したままに、より高みに行き着くことを企図されているのである。


 多くの人たちに支持されてきた大衆文化作品の中での「弱さ」との向き合い方は、それぞれの時代における社会意識を反映してきたこともあるだろう。

 この社会意識とは、個々人の努力すべき方向性であったり、他人との関わり方の規範であったり、翻って社会のあり方についての理想像に関するものである。一方で、大衆文化は、それまでの流行に対して批判的な作品傾向が次の流行になる、または、全く異なるジャンルから新しい様式を取り入れる等のように、社会意識に対して相対的に自律した文化的創作物同士の相互参照によって生成されるプロセスも持つ。このプロセスによって大衆文化が新たな規範を社会にもたらすこともあるだろう。例えば、いくつかの作品が流行となった結果として、障がいをはじめとした様々な「弱さ」あるいは「傷付けられやすさ」に対する社会の関心を呼び込むことがある。

 ナナヲや『ギスギスオンライン』は、努力や人との関わり方といった個人の規範ではなく、社会のあり方についての理想に取り組んでいるといえる。


「弱さ」をめぐる表象と社会意識は相互に作用し合いながら、表現と規範を更新してきたと考えるならば、いずれがいずれに作用していったかを明らかにすることは困難であるが、大衆文化の社会的意義を考えるための重要な系譜となりうるだろう。本論は、その試論として、大衆文化における「弱さへの向き合い方」の表象が、このナナヲと『ギスギスオンライン』という2つに向かってきたものとして簡易的な素描を行うものである。


なお、ここでいう「弱さ」とは、これまでの大衆文化の中で描かれた様々な種類の「弱さ」である。それは、身体的、精神的、社会的な弱さであり、外見的・内面的な醜さであり、個人の持つ諸々の劣等と悪徳といえる性質と考えられるものである。

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