64 香酥鶏。
《ほら見て御覧、暁兄、花霞が非常に活き活きとしているよ》
花霞ちゃんの謹慎は半日、昨日だけ。
今はお仕着せを着て楽しそうに昼餉の仕込み中、例の香酥鶏を作ってるみたい。
その様子をコチラの母屋から悲しそうに見つめる春蕾ちゃん。
呆れつつも構う雨泽ちゃん。
こんな筈じゃなかったのに、本当、最悪な罪悪感の積もり方だわ。
「アナタの嫌味って本当に毒が多いわね」
《親しく思うと同性には良く出てしまうらしい》
「はぁ、こうして反省させられるだなんてね、本当最高だわ」
昨晩、花霞ちゃんは単に心持ちを抑え込んでいるに過ぎない、と。
私にだけ教えたのよね、この子。
しかもしっくり来ちゃったのよね、賢過ぎて心根を抑え込む子も居る、と知ってるから。
そう知ってたのに、よね。
《虐げられてくれてた方が扱い易い、真に敬わなくて済む、そう楽な子だと意図せずして願ったのかな》
「細狗だからこそ、手に収まる様な侮れる相手じゃないと不安ですか、意外と気が小さいですね。って、理解して欲しかったのは良い面だけ、けれども良い面しか見ない子には興味すら湧かない、なのに醜悪な面は見せない。明らかに八方塞がりよね、私」
《けれど花霞は責めず咎めなかった、違うかな》
「寧ろ同情してくれたわ、大変ですね、同じねって」
《白家に居るワケじゃないのだから、もう少し僕らも信頼してくれて良いんじゃないかな》
「素の醜悪さを曝け出すって、やっぱり恥ずかしいのよ、しかも私が最年長でしょ?」
《僕を真に敬わないヤツは死ねば良いと思うよ》
「そんな眩しい笑顔で。誰もがアナタや花霞ちゃんみたいに、綺麗に醜悪さを出せるワケじゃないのよ」
《誰もが醜悪さを持ってるなら、後は出し方。そう隠し続けても、そうか、暁兄は格好良くありたいんだね》
「殺しに掛かってない?」
《少しじゃれているだけだよ》
「コッチは細狗よ?加減してくれない?」
《僕は蝦餃、身動きも取れないのに、これ以上は難しいよ》
「茹で上がりに跳ね回ってるじゃない」
《扱いの問題だよ、僕は箸から滑り飛びたくて飛んだワケじゃない、気を付けるべきは箸の持ち主だよ》
「率直に責めてくれないのね」
《暁兄が喜んでしまうからね、暫くは絶対に言ってあげないよ》
花霞ちゃんに会えないのは、この子も同じなのよね。
本当、何もかも私は見誤り過ぎたわ。
「あはー、良い匂い、もう匂いが美味しい」
香酥鶏は唐揚げって言うか、手羽先餃子風のフライドチキン。
中身を取り出して味付けして戻してから、衣を付けて揚げる。
手間暇、しかも油まで使う贅沢。
『まだ切ったらダメですよ、こうして最後まで火を通すんですから』
立てて油を切ってる時も、良い匂い。
《贅沢よねぇ》
「あれ?油香は?」
《アレは油がそこまで汚れないもの》
『コレは油が濁りますからね、さ、じゃんじゃん揚げますよ』
揚げ物はコスパ悪くて全然練習して無いんですよね、前世でも今世でも。
実家でも殆ど外注、それは前世でも今世でも同じ。
台所が汚れるだカーテンや壁紙に匂いが付くだ、神経質なのにガサツで直ぐに人を馬鹿にして。
いけない、比べれば比べる程、前世の親が嫌になる。
口煩いし平気でキツい事を言う、そのくせ言い返されると直ぐに被害者ぶって泣く。
あぁ、ダメだコレ。
本当、何で結婚したんだろ、前世の両親。
「雨泽様」
美味い昼餉の後、謹慎が解けた花霞が訪ねて来たんだけど。
『今度は何』
「寓話です、円満じゃない夫婦の寓話」
『何それ』
「昔々、貧しいけれど油だけが豊かな家が有りました……」
旦那は揚げ物が好きな恰幅の良い男、一方の妻は好き嫌いの無い細身の女。
けれど揚げ物が出るのは年に1度も無い、妻の言い分としては狭い家に油の匂いが付くから、そして体の為だとも。
それは子が生まれてからも変わらず、肉を焼けば家中を洗わんばかりに掃除を始めます。
ですが旦那の方は何も言わぬまま。
さて、どうして結婚したのか、と。
『最初は気が利く便利な女だ、と、でもいざ一緒に暮らしたら面倒だ。けどまぁ次を探すのも面倒だし、他所からも煩いし、仕方無く結婚した。だけじゃね?』
「何故そう思われました?」
『幾ら何でも年に1度位は良いじゃん、なのに無いって事は文句すら言って貰えない位に愛想を尽かされてるか、言うと馬鹿みたいに口煩いか、両方か。で、子供が生まれてもってなると、諦め、要は惰性だろうなーと』
「やっぱりそうですよね、惰性ですよね惰性」
『それを心配してんの?』
「まぁ、少し、意外と惰性だと気付きもしないらしいので、はい」
『結局は収入じゃね?良い家に引っ越すなり建て増しなりすれば済みそうだ、けどしない。まぁ、頑張れないのも有るか、成程ね』
「離縁すれば良いじゃん、と思うんですけど」
『離縁ってクソ面倒だからじゃね?家はどうする子供はどうする、親戚近所に挨拶回りだ何だかんだ、そら金だけ置いて逃げるわな。とも思うよ』
「婚前ですけど離縁証書も作ります。はい、コレで終わり、って済む様に」
『ぁあ、ぅうん』
何か俺、変な方向に押した気がする。
臘月に言っとこ。
《それはまた、面白い流れだね》
『いや笑い事で済む?』
《済むよ、その寓話と違って僕らには情愛が有るし、花霞は喜んで香酥鶏を作ってくれる筈だからね》
《うん》
『コレか、成程、じゃあ作ってくれなかったら?』
《理由を尋ねる、良く話し合う。まぁ、話し合いが出来る相手なのが前提だからね、その寓話の様に話し合いが難しい相手を持っていたら、雲を掴む様な寓話になるのは寧ろコチラ側だ》
『青燕、聞いた事は?』
『無いですが、まぁ似た話は多いので』
『例えば?』
『粽です、意外と具材が大変ですから』
『ぁあ、色々と入ってるもんな』
《小さな家ともなるとね、下手をすると材料を余らせてしまう》
『はい。ある日妻が夫に喜んで貰う為、五目粽を作ったものの、帰宅した夫は無駄をしたと怒る。けれども実は、材料を余す事無く使った料理が揃っており。食べ終えた頃には、妻の姿は消えていましたとさ》
『それの逆か』
《逃げた魚が大きいか、面倒だからと網から逃げないか。花霞は、面倒なだけならば逃げてくれ、そう思っての証書だろうね》
《情愛を求めてくれてるのは嬉しい》
《そうだね》
何か、本当に兄弟に見えて来たな。
「はい、婚前離縁証書です」
夕餉の後、意を決して大作を出しました。
悶々とするのは性に合わないので、はい、頑張りました。
《財産の分配や処遇についてだね》
「はい、取り敢えずの希望なので、交渉次第で最終的な割合を決めたいです」
《うん、コレで良いよ》
「えっ、ちゃんと読んでくれました?」
《割合は貴族間でもこの割合だし、子についても問題無い、良く出来ているね花霞》
頭ポンポンされた。
「春蕾さん」
《俺は何も要らないけれど、花霞がコレで良いなら同意する、欲しいのは花霞だけだから》
コッチはニッコリ。
けど。
「じゃあ子は私に、とか要求を言って下さいよ」
《子は藍家の養子で俺は問題無い、子は子、花霞じゃないからどうでも良い》
「私ありき、と言う事で宜しいでしょうか」
《うん、花霞が居ないのに子だけ居ても、もしかしたら情を注げないかも知れないから》
《それか僕が引き取るか、だね》
《じゃあそれで》
「子には執着しないんですね」
《金魚が居ないのに金魚鉢が有っても、俺は嬉しく無いから》
「女が引き取れ、とかは」
《元は僕らの複雑な我儘から発生した特殊な婚姻。しかも子が多ければ君の負担になる、それにコレは素早く別れる為の証書。定期的に見直し、書き換えた物を君だけが持ってて構わないよ、僕らに離縁の意思は無いよ》
《うん》
「便利に別れられる証書なのに」
《寧ろ逆を想定しているからね、如何に君を逃さないか、婚姻後の僕らは延々と引き伸ばしたい筈。そこを断つ事になるから、寧ろ、僕らとしてはかなりの英断だよ》
《正直、そこまで嫌がられていると分かった時点で死ぬから、どうでも良いとは思ってる。けど花霞が安心するなら署名もするし、その通りにする》
「ならお互いの、共有の保管場所に保管して下さい」
《良いよ》
《分かった》
「分かって無いですよ、浮かれてるからです、他人のだと思って考えて下さい」
《子は藍家か墨家へ、後は俺は問題無い》
《そうだね、少し手を加えて、コレを原本としよう》
「ちょ、他の、他の方の署名もお願いします」
《雨泽、良いかな》
『青燕も巻き込んで良い?』
《お願いします》
『っあ、はい』
春蕾さん、凄く嬉しそう。
想定外。
「愛が重い、どんだけ好きなんですか」
《料理で出されたら骨まで食べる位に》
ニコニコと、キラキラと。
その日の夜、と言うか次の日、でしょうか。
私はすっかり血抜きをされて、衣を付けられ、美味しく揚げられテーブルへ。
春蕾さんが凄く嬉しそうに、美味しそうに私を食べていくんです。
名残惜しいのか、しまいには骨も。
ボリボリ、ガリガリ。
そしてお皿の上には本当に何も無くなると、今度はずっと泣き続けるんです。
ポトポト、ポタポタ。
お皿から溢れそうになると、お皿がどんどん大きくなって。
果ては金魚鉢になって、春蕾さんは自分の涙で溺れて、死ぬんです。
嬉しそうに、まるで私を食べてる時みたいに微笑んだまま、死ぬんです。




