厳寒の狩場 ~カラスの古代神~
「――いや~、あんときはさすがにビビったぜ!」
古びた電灯に照らされた室内。その中心で、鬼島警部はまるで武勇伝を語るように話していた。
「神牙のことが心配になって地下室に行こうかって時に、いきなりその地下から『ドンッ!!』って音がしたと思ったらよ、『ピカッ!!』って眩しくなったんだよ。
それで、気づいた時にはホテルの客室で吉沢と二人、神牙に介抱されてたんだからよ。アタシはてっきり、死んで夢でも見てるのかと思ったぜ!」
「はぁ、そんなことが……」
「自分達がいない間に、あのホテルではそんな惨劇が起こっていたんでありますなぁ……」
鬼島警部の言葉を聞いて、鳴海刑事と大倉刑事は感心したように言った。とはいえ、鬼島警部は曲がりなりにも刑事なのだから、もう少し語彙力を何とかした方がいいと思う。
それはさておき、私が今いる場所はいつも通りの私達の職場――オモイカネ機関がある警視庁地下の資料保管室だ。
あの出来事から数日……私たちは、いつも通りの日常を送っている。
「ま、何にせよ助かったのは事実だし、こうして生きてりゃ儲けもんよ! それにしても……」
鬼島警部がそこで言葉を区切ると、私の方をじっと見つめてきた。私は彼女にどうかしたのかと尋ねた。
「んー? 別に何でもねぇよ。ただなぁ……」
そう言って彼女は、あらかじめ考えていたであろうセリフを吐く。
「アンタ、結局どうやって事件を解決したんだ?」……私はその質問に、秘密とだけ答えた。
「んだとぅ!?」
「ま、まぁまぁ、警部。落ち着いて――」
「これが落ち着いていられるかってんだ! 地下室が爆発でもしたのかと思って死を覚悟して突撃したら気絶してっ! 気づいたら客室のベッドの横でこいつが『おはよう☆』なんて挨拶かましてきたんだぞっ!? どうやって落ち着けってんだよ!?」
鬼島警部の叫びに、鳴海刑事と大倉刑事の二人はしばし目を合わせて口を開いた。
「そりゃ、まぁ…神牙さんですから……」
「自分も同感であります、警部殿。こいつに常識を求める方がどうかしているであります」
「なっ!?」……思わぬ援軍のおかげで助かった。
鬼島警部は二人の刑事の言葉を聞いて拍子抜けしたようにソファにドカッと腰を下ろす。その様子を見て、鳴海刑事は鬼島警部が文句を言う前に先手を打った。
「それにしても…その吉沢さんって方、大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫だろ。あんな強烈な経験しちゃ、もう二度と死にたいだなんて思わねぇだろうよ」
当時、私はなんとかあの地下室にてカラスの怪物との間で問題を解決することに成功した。
その後、あのホテルで術式発動の影響で意識を失っていた鬼島警部と吉沢を朝まで介抱し続けて鳴海刑事達の応援を待ち、その後はてんやわんやの事件捜査が続き、最近になってようやく落ち着いてきた。
私達があのホテルを再度警察という組織力を使って入念に調べた結果、驚愕の事実が判明した。
まず、あのホテルの地下室には他にも秘密にされた部屋が複数あったこと。その部屋のうちの一つには、古神道の祭祀の方法が記された書物やあのホテルが建つ土地の歴史にまつわる書物などが保管されていた。状況から考えて、それらの品は田中がひそかに収集していたものであろう。
そして肝心の田中だが、私とカラスが戦っていた空間を再度捜索したのだが、そこには大量の血痕があったものの、肝心の遺体がなかった。おそらくだが、そこにあったものは『何か』によって持ち去られたのではないかと思われる。
ちなみにカラスの怪物に関わる痕跡も見つからず、証拠は何も見つからなかった。それゆえに、今回の事件を警察は田中がホテルのスタッフ達や宿泊客をなんらかの儀式のために惨殺したと考えているようだ。世間にもそのように発表するのだろう。
その動機に関して警察は、地下室から見つかった書物や品々などに田中が何らかの形で感化されて起こったものとすでに結論付けている。
また、事件の後に改めて確認したところ、ホテルの地下に隠された部屋以外にも、他の場所に隠し扉があることがわかった。どうやらあのホテルの地下は元々、防空壕として使われていたらしい。それが改装されてホテルになったそうだ。
これらのことから警察は、あのホテルを徹底的に調査すると共に、ホテル内のあらゆる場所に存在する謎の地下通路についても調査を進めている。その結果、現在進行形で様々な発見があるらしく、それに伴ってか連日のようにマスコミの取材陣が来ていた。
しかし、私達オモイカネ機関の面々はそれらの調査には加わらないし、カメラの前にも出ない。組織の性格上、当然の措置だ。
ただ……もう二度と、あの場所で我々が出張るような厄介ごとが起きないことを心から願っている。
そして、我々があのホテルの本格的な調査に見切りをつけて都内に戻ってきた頃、タイミングよく長野県警のダミ声オヤジから連絡があった。あのホテルからは、吉沢以外のすべてのホテル関係者と宿泊客達の遺体が発見されたそうだ。
私達が予想した通り、スタッフ達や置田の遺体はあの寮の浴場に、宿泊客などの遺体はホテル側の浴場で発見された。
一応その後にほんの数時間ではあるが、装備を整えてオモイカネ機関のメンバー達と共に再度ホテルの方に戻り、まだ現場で作業をしていた何人かの警察官を伴ってあの林を徹底的に散策したが、そこには何の変哲もない池と朽ちた神社、その境内で注連縄が取れていた岩があるだけで、怪異や人間の死体などは発見できなかった。
そして最後に……あの事件に巻き込まれた宿泊客の中で唯一の生存者と言える吉沢の証言によるものだが…彼女はどうやら、あのホテルがあった山中で自殺しようとしていたらしい。
鬼島警部がなんとなく彼女の荷物を面白半分に漁ったところ、固く結ばれたロープが発見されたことから判明した事実だ。
警察も、当初は彼女を疑っていたが、事件の異様さや実際にあれだけの人間を大量に殺害する労力、そしてなによりは……被害者達の死因が原因で、彼女は早々に容疑者候補から外れた。
あれだけ損壊の酷かった被害者達の直接の死因――それは、全員が心臓麻痺による死亡。
そのことを、警察はたいそう不思議に考えていたが、私にはわかる……あれは、カラスの怪物の仕業だろう。目の前で死んだ田中は明らかに外傷を負っていたが……遺体が消えた今となっては、調べようもない。
いずれにせよ、吉沢は今も無事であり、元の生活に戻りつつも心療内科に通院している。もちろん、その費用は私が出している。
さすがに、ホテルでの事件直後は彼女も精神的に参っていたようで、しばらくは元気がなかったが……今ではすっかり回復し、毎日のように仕事場へ通っているらしい。同僚との関係も良好とのことだ。
以上が、今回の事件についての簡単な顛末である。
(ふぅ……)
私は椅子の背にもたれかかりながら一息つく…やはり、今回のような事件は何度経験しても慣れるものではない。
あの時、あの地下室でカラスの怪物を打倒できたのは、私一人だったからこそよかったものの、もしあの場に鬼島警部や吉沢がいたらあの術式はあらゆる意味で使えなかった。おそらく、私は負けていただろう。今は……生き残れた幸運に感謝するだけだ。
そんなことを考えているうちに、私の専用タブレットに連絡が入った。着信を見ると、相手は『その者』からであった。ちなみに、奴にはすでにこの事件を報告済みだ。おそらく、その進捗具合を知らせるための連絡だろう。
『なんだ?』
『調子はどうだ?』
『別に。最近になっていつも通りになってきたと思う』
『それはよかった。こちらも遠慮なく報告できる』
『あぁ』
私はどんな内容であっても動揺しないように軽く丹田に力を込めて気合を入れた。
『まずあのホテル一帯についてだが、そちらの方は大した収穫はなかった。君が関係者から聞いたように、昔あの地域に豪族がいて地域を治めていたり、戦時中にはホテルのあった場所に防空壕が建設されたり…まぁ、他の田舎とたいして変わった点はない』
ということは、やはりホテルの地下や林などが怪異の原因だろうか?
『それで、君が言っていた地下室の書庫からいくつか興味深い書物を発見したんだが……その中に、あの地方に伝わる古神道の儀式や祭事についての文献があってな。そこにあの地域の神社のことも載っていて、そこの神主の家系を調べたら、あのホテルのオーナーと同じ苗字が出てきた』
『田中はあの神社の宮司の家系だった?』
『その可能性は高いだろう。しかし、彼はもういない。どうやって彼が行方不明になったのかも分からない。まぁ、君の供述によるならば、もう生きてはいないだろうが……とにかく、この件はこれ以上辿れそうにないな』
……組織が全力を尽くしても見つけられないなら、田中や彼の家系、犯行動機についてこれ以上考えても無駄というものか。
『それで、あの林については?』
『そちらについては、今はもう我々が気にすべきものは何も残っていないな。一応、君から報告があった池や神社を中心に調べてみたが、特に変わった点は見つからなかった』
『そうか』
まぁ、今更あの林に何かあったとしても、またカラスの怪物が出てきてもらっては困る。
『とにかく、私から報告できることはこれくらいだ。もし何か分かった場合は追加で知らせるが、あまり期待しないでくれよ?』
『わかった』
こうして私は『その者』との通信を終えた。私は椅子の背にもたれかかったまま天井を見上げる。
(あの林には……一体、何があったんだろうか?)
いくら考えてみても、答えなど出るはずもなく、そのまま終業時間を迎えた。
「お。んじゃ、アタシはもう帰るぜ」
時計を見て、鬼島警部はソファから起き上がってバッグを持って帰ってしまった。結局、私はそのまま鳴海刑事達も別れの挨拶をして一緒に警視庁を退庁することになった。
本部の鋼鉄製の扉に鍵をかけて鳴海刑事達と別れ、私は地下駐車場に向かってそこに停めてある自分の車に乗って警視庁を後にする。
そして東京都郊外の自宅へ向かい、車庫に車を収める。
この自宅は、物理的にも霊的にも完全に近い防御を施しているため、私にとっては数少ない憩いの場である。そんな場所では、最近になって新しい住人達が一気に増えた。
私が車庫を出て玄関から再び自宅に入ると、リビングからぬっと大きな人影が露わになる。
「……お帰りなさい。早かったですね」私はその言葉に首肯した。
彼女の名前はサキ。我々『組織』に連なる研究機関で働いていた研究員だったが、なんらかの理由でその研究機関が開発した強化薬によって人外の存在となった元人間である。いまだに、彼女がなぜそのような存在になったのかは分かっていない。
「いつも通りに夕食ができています。どうぞ」
私は彼女にお礼を言って、リビングへ向かう。そこは、異形の者達で埋め尽くされていた。
「よぅ、帰ったか」
「あ、お風呂空いてるから」
風呂場から姿を見せたのは二人の女性――のように見える鬼の寧々(ねね)と奈々(なな)。そしてリビングの中央にあるテーブルで黙々と食事をしているのは狗神のハナだ。
「……お主、何を持ち帰ってきたんじゃ?」
見た目とは裏腹のドスの効いた声で私に声をかけてきた和装の少女は、ヨモツヒメのタルホ。その彼女の隣では、幽霊のアヤカが不安げな視線を私とタルホに向けている。
私はタルホの質問に、ジャケットから木玉を取り出して見せた。
「ほぉ、これは……」
それを見た瞬間、タルホの顔色が変わる。
……私があの林からみんなに内緒で持ち帰ってきた木玉は、私が最初に拾った時と形が違っていた。今はその表面に幾何学模様を刻んでおり、禍々しく、強大な気配を身にまとっている。
「なんだ? すげぇ力だな。どこで拾ってきたんだ?」
奈々の質問に、私は木玉に関する今回の事件を包み隠さず話した。
「……なるほどな。だが、問題は――」
そう言って、奈々は私を指差す。
「お前の中に、そのカラスのバケモンとやらの力が宿っていることじゃないのか?」
その言葉に、リビングの空気は凍り付いた。アヤカはすでに泣き出しそうになり、天井にはいつの間にかバンシーが張り付いて私を見下ろしている。
……ここで嘘をついても仕方ない。私は自分の考えや気持ちを、正直に話すことにした。
まず初めに、私は彼女達やこの力、そしてこれまで手に入れてきた力を使ってよからぬことをするつもりはないこと。しかし、今私が所属している組織がなんらかの理由で私に牙をむいてきた場合は、躊躇なく力を使うこと。
そして今回、あの事件の元凶ともいえる――あえて名付けるならば、『カラスの古代神』の力を、あの時の術式で手に入れたことについても、同様の気持ちである。
私が話し終えると、タルホが口を開いた。
「ふむ……。まぁ、お主なら大丈夫じゃろう。それに、いざという時は妾も加勢してやる」
「ウチらも、手伝うくらいならいいぜ!」
「まったく……お姉ちゃんは…」
「……」
私の話を聞いた彼女らの反応はおおむね良好だった。私は安堵のため息をつく。
「……ところで、その『カラスの古代神』とやらの力とはどのようなものなんです?」
サキの疑問に、私は木玉に意識を向ける。すると、頭の中で声が響いた。
【我ハ、汝ヲ守護スルモノナリ】
(……!)
私は驚いて目を見開く……まさか、こんな形で対話ができるなんて思わなかった。それと同時に……この神の記憶がゆっくりとだが、確実に私の脳裏に流れ込んでくるのを感じる。
「どうしましたか?」サキが心配そうに私を見る。私は平静を装ってなんでもないと答えた。
それから、私はこの『カラスの古代神』について説明を始める。
この力は、かつてあの山林一帯に君臨していた神の一柱だそうだ。今は少し弱まっているが、その力は元来強大で、当時の人々からは畏怖の対象として崇められていたらしい。
私は『カラスの古代神』から流れ込んでくる記憶の波をうまくかき分けながら、木玉が発する強い波動を感じ取っていた……どうやらこの力はまだ完全に覚醒しきっていないようだ。やがて、『カラスの古代神』は静かに眠りについたようで、その力は完全に私に馴染んでいった。私は再びみんなに向き直る。
「それで、どんな力があるんだ?」奈々の質問に、私は分からないと首を横に振る。
「……なんだよ、使えねぇな」
「お主は黙っとれ」タルホに一蹴されて、奈々は舌打ちをした。
「でも、その『カラスの古代神』っていう神様の力を手に入れたことは、きっと何か意味があるはずよ」
寧々の言葉に、ハナは同意するように小さく鳴いた。
……私は皆に向かって、今後もこのような力をチャンスがあれば収集していくこと、そして新たな仲間も増やしていく旨をみんなに伝えた。
「それは、お主の所属しておる『組織』とやらに抗するためか?」
タルホはいの一番に聞いてきた。どうやら彼女は、私の真意に気付いているらしい。私は彼女の言葉を肯定した。
「ふむ……ま、別にええじゃろ。結局はお主次第ゆえ…」
タルホの言う通り、私がこれからどのように行動していくのかは私自身に委ねられている。たとえそれが、私にとって大きな決断であったとしても……選び続けるしかない。
私がそのように覚悟を決めているリビングでは、サキが作ったビーフシチューが鍋の中でコトコトと音を立てていた。