餓鬼 ~出来事の理由~
大磯一輝の遺体を解剖している最中に起きた出来事について、我々は科学的な捜査と怪異の介入の両方を視野に入れて捜査することにした。
その捜査の一環として、我々はかねてよりの捜査協力者であるカチューシャを訪ねることにした。
やがて、我々を乗せた車は東京都郊外の森にひっそりとたたずむ彼女の館にたどり着いた。最近は、どういうわけだかここまで道路がちゃんと整備されている。こちらとしてはありがたいことだ。
そんなことを考えながら車から降りようとした時、私はあることに気付いて、みんなに先に行くように言った。
「ああ、分かった」
他のメンバー達が車から降りたのを確認すると、私は専用タブレットを取り出して『その者』と連絡をとった。
『なんだ?』私の呼び出しに、奴はすぐに反応してくれた。
『大至急頼みたいことがある。今私達が関わっている連続猟奇殺人事件。その被害者達の遺体を、厳重に保管するか廃棄してくれ』
私の要望を聞いた奴は、その理由について訝しんでいるのだろう。少し経ってから返答があった。
『……理由が聞きたい』私は、病院で起きた出来事と自身の仮説を奴に変身した。
『なるほど……』私の仮説を聞き終えた後、奴はしばらく沈黙した。
『君の仮説が正しいとすると、その男に起こったことは確かに科学と怪異の合作のように思えるな……』
ややあって、奴が発したのはそんな言葉だった。続けざまに返信が来る。
『これは私の私見だが、今回の事件には組織が関わっている可能性が高い』
『それで?』
『おー、もう動揺しなくなったな』
『慣れというのは恐ろしい。それで?』
実際、ここ最近になって『組織』が引き起こす不始末や騒動は増加しているように思える。今更抗議したところで意味はないだろう。
『私としては、今回の事件は実験の失敗によって起きたものと考えられる』
そのメッセージの下に、一件の添付ファイルがある。私はそれを開いた。
……見た限りでは、このファイルは『組織』が出資するあるバイオ研究所で起きた流出事故について、『組織』の直轄部門である情報調査局が調査した資料のようだ。
『これが原因なのか?』
『おそらくな。だが、その医者が言ったように遺体の組織が活性化した理由は私にも分からない』なんにせよ、事件の概要が見えてきた気がする。
『分かった。また何かわかったら教えてくれ』
『ああ』
奴との通信を終えて、私は車を降りてカチューシャの館へと向かう。
すでにメンバー達は館の中に招かれているのか、玄関には人の姿はない。だが、窓越しに見える応接室には彼らの姿があった。私は玄関から館に入り、そのまま応接室へと向かう。
「おう、遅かったな。何してたんだ?」
扉を開けるなり、鬼島警部の声が聞こえてくる。
私は曖昧に返事をして、カチューシャに目を向ける。彼女は相変わらずソファーに座ったまま、紅茶を飲んでいるが、その隣はこれまでの光景とは打って変わって妹のアンナもいた。彼女も、姉のカチューシャと同じように紅茶を飲んでいる。
私は彼女達の対面に腰かけて、事件の概要と病院で起きた出来事を姉妹に聞かせた。
「なるほどね……」一通り話し終えると、カチューシャが口を開く。
「つまり、薬の成分は別として、遺体の細胞活性化に怪異が関係していると?」私は首肯した。
「ふ~ん……まあ、面白い話だわ」
カチューシャはそう言って立ち上がると、『ちょっと待ってて』と言って応接室を後にする。
『……』
き、気まずい……そう言えば、アンナとはあの病院の一件以来、ちゃんと話したことがない。
「……ねえ、あなた……」
私がどうしたものかと考えていると、意外にも向こうから声をかけてくれた。
「姉さんのこと、どう思ってるの?」
私が応対すると、彼女はそのようなことを聞いてきた……私は彼女に、どういうことかと質問する。
「そのままの意味よ。あなたは、姉さんのこと好きなの? 嫌いなの? それだけ答えなさい」
質問の意図は分からなかったが、私は素直に答えた。
好き――そう答えた時、何故かカチューシャの顔が浮かんできたが、私はその理由を深く考えないようにした。
「そう……」
そう言うと、彼女は再び黙り込んでしまった。その代わりにオモイカネ機関のメンバー達がざわついたが、私はそれを無視し続けた……カチューシャが応接室に戻ってきたのは、それからすぐのことだった。
「お待たせ――あら、なんの話をしていたの?」
彼女は応接室の雰囲気を察して、そう問いかけるが、私は気にしないように言ってカチューシャに助言を求めた。
彼女は片手に分厚い洋書を持っており、それを応接室のテーブルに置いてパラパラとめくり始めた。
「えっと、どこだったかしら……」
しばらくページをめくっていたが、やがて目的の箇所を見つけたのか、彼女は話し始めた。
「えーとね、細胞の分化っていうのは、細胞の中で特定の遺伝子が発現することで起こるんだけど、その仕組みには細胞増殖の促進作用があって、例えば癌細胞は正常細胞に比べて分裂能力が高いから、異常に早く増えちゃうのよ。そして、癌細胞が死ぬ時に、その活性化した遺伝子が暴走しちゃうのよね。それで、その結果が今のあなたの仮説なんじゃないかしら」
「なるほど……確かに、そう言われればそんな気がするな……」鬼島警部が納得したように呟く。
「でも、死人の細胞ではそんなことは起こらない。そこで、私はある仮説を考えたの」
「なんだ?」鬼島警部が聞くと、カチューシャはよどみなく答える。
「ゾンビよ」
「ゾンビッ!?」
大倉刑事が素っ頓狂な声を上げると、カチューシャはそれに応える。
「そっ! 死体が起き上がって動く現象の総称なんだけど、あれは正確には死んでないの。ただ、脳が機能していないだけで、体の機能は生きているから動き回ることが出来るのよ。だから、さっき言ったような問題が発生することはないの」
彼女が説明を終えると、皆一様に押し黙ってしまった。私も、正直なところ言葉が出てこなかった。
ゾンビ……『その者』から『組織』の関与をほのめかされてから、なんとなく嫌な予感はしていたが、まさか…ここにきてゾンビとは……。
「一応聞いておきたいんだけど、あなた達が調べた遺体から検出されたのって、筋肉増強剤なの? それとも、それを構成する成分の一種なの?」私は彼女に、成分の一種であることを伝えた。
「やっぱりね……私としても、ちょっとそれ以外にはあなた達が調べた遺体に起きた出来事は説明できないわ」
「で、ですが」そこで、鳴海刑事がカチューシャに詰め寄る。
「あの遺体がゾンビになっていたとして……あんなに筋肉が大きくなることってあるんでしょうか?
ゾンビだったら、どこかしらが腐っていたり、欠損していたりするものだと思うんですが……」
「まあ、そうでしょうね」カチューシャはあっさりとそれを認める。
「ゾンビ映画とか見てると、大抵そういう描写があると思うんだけど、あれは半分当たっていて半分間違っているわ。
ゾンビというのは、古今東西の文献に様々な形で記録されているけれど、有名なのがブードゥー教のゾンビね。でも、あなた達が調べた遺体はそのどれにも該当しないと思うわ」
「……つまり、あの遺体をゾンビと呼ぶのは間違いだと?」
鳴海刑事が質問すると、カチューシャは首肯する。
「そう。あくまで『遺体』というだけ。あくまであなた達の話を聞いた限りでは、その遺体に起きた出来事はゾンビの一種のようではあるけれど、それだけね」
「じゃあ、結局は何も分からないということですか……?」
「そうでもないわよ」そう言うと、彼女は手に持っていた洋書を閉じた。
「魔法ってご存じ?」
「……あんたの専門分野じゃねぇのか?」
「ピンポーン! その通りよっ!」
鬼島警部の問いかけに、カチューシャはそう答えた。
「やっぱりこれも仮説になっちゃうけど……あの遺体にあらかじめ筋肉増強剤の成分を注入した後、細胞の活性化を促すなんらかの術式を施しておく。そして時間がたつか、あるいはあなた達が見ている目の前で術式を発動する。
すると、あなた達が見た通りの現象が起きるってわけ。でも、私としては後者の可能性は低いと思うわ」
「どうしてでありますか?」
大倉刑事の質問に、カチューシャはさも当然とばかりに言った。
「だって、そうするとあなた達に容疑者扱いされるじゃない。聞いた話じゃ、解剖の場にはあなた達以外にはアシュリンとその助手しかいなかったわけでしょ?
あ、でも、もしあなた達がそういった方面に詳しいって知っていたら、アシュリンは除外するとして犯人は助手ってことになるわね」
……確かに、その可能性はある。ただ、どちらの説にしても、なぜ私達の目の前で起きたのか、あるいは、そもそも遺体にそうなる要素があったのかも含めて調べてみないことには始まらない。
「……そうだな。その線で調べてみる価値はありそうだ。どうする、神牙?」
鬼島警部の問いかけに、私は首肯して姉妹に礼を言って応接室を後にした。
「頑張ってね~」
後ろから、そのような間延びした声が聞こえてきた。
しかし、結局この日は解散となった。すでに日は傾いており、この森を抜けた時には夜になっているだろう。その状態で調べられることは何もない。
結局、私達は大倉刑事の運転する車で警視庁に戻った後、そのまま解散ということになった。
私はというと、みんなが帰った隙に一人本部まで立ち寄って専用タブレットを取り出し、『その者』と連絡を取る。
『どうした?』
『例の遺体の件だが……我々が調べた遺体以外にも、同じような症状を起こした遺体はあるか?』
『ああ、あるぞ』
『やはり、そうなのか……』
『というと?』
『あれから色々と調べてみたが、あの遺体に起きた出来事が私達の見せる目的で起きたのか、それともたまたま私達が出くわしてしまっただけなのか、気になってな』
奴からの報告からして、後者のようだ。ということは、犯人は被害者達にかなり特異な措置を施したか、もしくは意図せずになんらかの理由でそうなったのか……私が考えていると、『その者』からの返信がきた。
『なるほど。だが、気になっているところ悪いが、私が送ったファイルは見てくれたか?』
『いや、ちゃんとは見ていない』
『私としては、そのファイルに記載されている研究所が事件の発端だと思っている。ぜひ、そちらの線で調査してほしい』
……おかしい。私が知る限り、『その者』がこちらの捜査にここまで干渉してきたことはない。
『どういうことだ?』
私がそう返信すると、しばらくして奴からメッセージがきた。
『今回の事件、私個人としても『組織』の関与が濃厚だと思う。ただ、『組織』がなにか意図して起こした事件ではないと考えている』
『つまり、事故などの可能性が高いと?』
『ああ。今回は特にそうだ。現に、この事件はすでにマスコミを通して大々的に報道されてしまっている。
今から報道管制を敷こうにも、おそらく週刊誌やネットブログ辺りがこの事件を報じ続けるだろう。そんなこと、『組織』は望まないはずだ』
『だが、この事件に関しては、お前はいち早く情報をもたらしている。今もそうだ。その行為は、『組織』の総意として受け取っていいのか?』
私の問いに、しばらく沈黙が流れた。そして、数分経った頃に返ってきたメッセージを見て、私は驚愕した。
『残念ながら、これは総意ではない。例によって、私の独断だ。今回の事件も、私が君に送ったバイオ研究所の存在も、組織は闇に葬り去ろうとしているように思える』
……まぁ、いつものことか。私は奴の言い分を軽く流して、返信した。
『それで、これからどうすればいい? 研究所を調査すればいいのか?』
『私としては、そうしてほしい。そこに犯人がいる可能性は低いが、何かしらの手がかりは手に入るだろう』
『分かった』
そして、私は『その者』との通信を終えて本部を後にする。
カチューシャは、あの遺体を起きた出来事を聞いてゾンビと呼んでいた……。
今わかっていることは、アシュリンいわく、あの遺体には筋肉増強剤の成分が多量に摂取されていたこと。カチューシャいわく、その影響が現れたのは、細胞を活性化させる術式が発動したからということ。
つまり、あの遺体には少なくとも、科学的な痕跡と霊的な痕跡二つの証拠があることになる。明日、『その者』が知らせてきた研究所を調査すれば、その答えは出るだろうか?
地下駐車場から車で出ると、すでに外は暗闇に包まれ、煌々(こうこう)と光る街灯が私の身を照らしてくる……この事件に、この光のような結末が待っていればいいのだが……。




