心の犠牲者 ~事件現場へ~
いつも通り……そう…今日はいつも通り、暇な一日になるはずだった。特別なことが起きない限り、明日も明後日も、今日と同じように代り映えしない、ごく普通の暇な一日になるはずだった。
『事件だ』
私が手に持つ専用タブレット……チャットアプリを模したその画面に映された文言に、私は世の世知辛さを嘆かずにはいられなかった。
これは比喩表現ではなく、事実である。なんせ、ここ最近は我々が担当するような事件は起きておらず、警視庁の他の捜査課に対する捜査協力などもなかった。それが…目の前に見える文言一つで吹き飛ぶとは……。
『場所は添付しておいた。くれぐれも注意してくれ』
通信の相手、『その者』は私のそんな気持ちなど知らず――まぁ、知りようもないが――遠慮なく文章を送ってくる。
『今回の事件、上層部からの直接の指令だ』
我々オモイカネ機関が属している『組織』……ほとんど秘密結社のような存在だが、その影響力は計り知れない。警察内部への干渉はもちろんのこと、政界や財界にも顔が利くのだ。
つまり、今回のような直接命令を下すことなど造作も無いということ。本来であれば、その影響力は我々にとって優位に働くものだった。
『すまないな。最近、上層部は何かと問題続きのようだが、よりによってその不始末を君達に押し付ける形になってしまっている』
だが、その影響力は変わらず、かえってそれを行使する者達の諍いだか無能だかのせいで、今となっては我々にとって有害なものになりつつある。
画面の向こう側にいる『その者』に謝られたところで、そのような事態が変わるわけでもない。文面にある通り、事態は『その者』の思惑とは関係なく、進行していく。もっとも、奴に思惑と言えるほどの意思があるかは不明だが……。
『ああ、そうだな』
私は素直にそう返信した。『その者』はかつて、『組織』の崩壊について言及した過去がある。『組織』から支給された、この専用タブレットを介して、だ。ならば、この程度の文句は問題ないだろう。
『あまり嫌がらないんだな』
意外そうな表情を浮かべているであろう『その者』の顔を思い浮かべながら、私は大きくため息をつく。
また、面倒事が増える……誰にも聞こえないように呟いたつもりだが、その言葉は静かな部屋に響き渡った。そして、その言葉を聞き取った、普段はぐうたら寝ている部下の女警部は獲物を見つけた肉食獣のように俊敏な動きでソファから起き上がる。
「おっ、事件かっ!?」
※
「で、結局何だったんだ?」
――私達が現場に辿り着いた時、既に辺り一帯は封鎖され、現場検証が行われていた。
隣にいる女警部こと鬼島警部に問いかけられ、私は少し考え込む。その時、一緒に来たもう一人の部下である鳴海刑事が言った。
「話を聞いていなかったんですか、鬼島さん。殺人事件ですよ」
「はぁ? こんな山奥でか?」
私達が『その者』によって導かれた場所……そこは東京から遠く離れた長野県のある山間地帯にひっそりと存在する、柊村だった。
見た限りでは……こう言っては申し訳ないが、限界集落という言葉がしっくりくる寒村だ。とてもではないが、そこで殺人が起きたとは思えない。
「被害者の名前は、夫の中沢卓也さん、妻の中沢彩菜さん、長女の中沢遥奈ちゃん、長男の中沢良太君の四名です」
鳴海刑事は手にした警察手帳を見ながらスラスラと読み上げる。彼は車中で行った簡易的な情報伝達をしっかりと聞いていた。しかし、鬼島警部は少し考えた後にこう言った。
「一家全滅か?」それを聞いて、鳴海刑事は重苦しく答える。
「……はい、残念ながら……」
そう…今回の事件の特異性は、この一見したところ治安が良さそうに見える寒村で、一夜にして一家四人が何者かに殺害されたということだ。そして、そういった状況は現時点においてある特殊な捜査状況を生み出してしまっている。
鬼島警部もそれを察知しているのか、いつになく真剣な様子で思考している。それを珍しく思ったのか、鳴海刑事は彼女に声をかけた。
「どうかしましたか? 何か気になることでも?」
そして、鬼島警部はやはり、私と同じ懸念を抱いていた。
「よく考えてみろ。こんな閉鎖的な村の中で、一夜に四人の人間を殺した犯人が、まだ捕まってねぇんだぞ?」
「ええ、そうですね。恐ろしいことだと思います」
「バカッ! そういうことじゃねぇよっ!」
「えっ!?」驚く鳴海刑事に対して、鬼島警部は声を潜めて言った。
「いいか?……誰かが死体を発見したとして、それからもう数時間は確実に経ってる。犯人がどんな目的で殺人を行ったにせよ、いまだに犯人が捕まってないってことは、犯人は今も逃亡してるか、あるいは街の方に潜伏しちまってる。その場合は――」
「押忍。ただいま戻りましたであります」
タイミング悪く、私達が乗ってきた車を近くの駐車場に停めに行っていた大倉刑事が戻ってきた。
そんな彼を見て、鬼島警部はため息を吐いた。当然、大倉刑事は自分が何かやらかしたのではないかと不安な様子を見せるが、鬼島警部が先ほどまでの説明を彼にもすると、大倉刑事はニッと笑った。
「ほぅ、確かに大変だな。しかし、不肖大倉源三、街での聞き込みから近隣の山狩りまで、体力には自信があるぞっ!」
「おう、そうだな……」
高らかに、自慢げに自らの長所を話す大倉刑事に対して、鬼島警部はさほど気にしていないようだ。
「け、警部…自分、やはり何か不始末でも――」
「そうじゃねぇよ」
……不機嫌な様子の鬼島警部に代わって、私が大倉刑事に説明した。
もし、犯人が外部からやってきて何らかの理由で一家を殺害。そのまま逃亡するなり潜伏するようならば、時間はかかるが犯人は発見できるであろうし、さほど問題のないことである。
「それが、どうかしたのか?」
……いまだに状況を理解できないでいる大倉刑事に対して、私は核心部分を話した。
だが、もしも犯人が内部の者、つまり――。
「あ、そうかっ!」どうやら、鳴海刑事は理解できたようだ。
「せ、先輩。どういうことでありますか?」
「つまりですね、大倉さん。この殺人事件…犯人が外部の犯行だった場合、言い方は悪いですが普通の殺人事件なんです。ですが、もし殺人を犯したのがこの村の人間だった場合……事態は一気に緊張します」
「緊張って……ま、まさか、村人が犯人をかばうということでありますかっ!?」
……そう、この事件の最大の難点はそこにある。特に、事件現場がこのような閉鎖された自治体では……私の目の前で、大倉刑事は唸る。
「むぅ…確かに、絶対にないとは言い切れないでありますな……」
実際問題、私達はそういった事件に遭遇したことがある。今回も、そういった状況に陥る可能性は十分にあり得ると考えるべきだろう。
「ま、あまり考えても仕方ねぇけどな」
場の空気を少しでも良くしたいのか、それとも本人は本当にそう思っているのか、鬼島警部は楽観的な調子でそう言った。
まぁ、確かにここで考えても仕方ない。まずは捜査だ。
私がそう考えてみんなに指示を出そうとした時――どこからともなく、その声は聞こえてきた。
「おぉー、やはり皆さんも来ていましたかっ!」
体育会系の、元気な声色……振り向けば、そこには少し体格の小さい、警察官の制服を着た大倉刑事…に、見える別人。
「お久しぶりです、皆さんっ!」
忘れていた……地方の村などで事件が起きた時は、高い確率で加山巡査と遭遇するという法則を……。
※
「いや~、やはり本官の推理に間違いはありませんでしたっ!」
寒空の下、さびれた村の中心で似つかわしくない元気な声が轟いている。
加山太郎巡査……我々オモイカネ機関が接触した中で、もっとも生存率が高く、もっとも大倉刑事に近い存在……彼は私に対して、最敬礼をして話し続ける。
「神牙警視正っ! 本官、今回の事件についても、粉骨砕身の覚悟を持って臨む所存でありますっ! ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いしますっ!!」
……私はもはや、生返事しか彼に返す言葉はなかった。しかし、そんな彼との再会を喜ぶ人間もいる。
「こちらこそ、よろしく頼むぞ、加山っ!」
「押忍、大倉先輩っ!」
……大倉刑事と加山巡査は、互いに共鳴しあう部分があるのか、かなり仲がいい。まぁ、特に困ることはないので、今回も適当にいなしておこう。
おそらく今回も、加山巡査はこの村の駐在のはずだ。私は彼に、事件現場に案内するように頼んだ。
「もちろんであります、神牙警視正っ!」
……そして、彼の後に付いていく。
事件の起きた中沢家には、すでに所轄の警察が到着しており、周囲に規制線を張って調査を行っている。
私達が来ることはすでに『その者』が手を打ってあったのか、加山巡査と一言二言、私達とも同じくらいのやりとりで、我々は事件現場である中沢宅に足を踏み入れることができた。
「これは、ひどい有様だな……」
鬼島警部は、部屋の様子を見てつぶやく。確かに、それはとても悲惨な光景であった。
室内は、まるで台風でも通ったかのように荒れ果てている。家具は破壊され、壁には無数の穴が開いている。床には、何か巨大なものでもなぎ倒されたかのような跡があり、血痕も残っている。
「これでは、犯人の姿も何もありませんね……証拠が残っていたとしても、ちゃんと検出できるかどうか…」
鳴海刑事の言葉に、私も同意する。家の外から見た限りでは、何の変哲もなかったように見えたのだが……気を取り直して、私は加山巡査に遺体はどこかと尋ねた。
「はっ、こちらになります」
そう言って、彼は、廊下に出て二階へ向かう。我々も付いて行くと、途端に鼻腔をあの、鉄臭い不快な臭いが満たした。
「うっ……」
……もはや大倉刑事は、こういった血生臭い現場を探知するためのレーダーと化している。二階へと続く階段や壁、挙句の果てには二階の廊下や壁にはそこかしこに血痕が付着していた。
「……吐きそうだったら外に出ろよ?」
「お、押忍……」
鬼島警部に注意されながらも、大倉刑事は私達についてきた。
だが、災難だったのは加山巡査で、彼はこの不快な臭いが強まるにつれて見る見るうちに体調を崩し始め……おそらく遺体があるであろう部屋の前に来ると、その廊下で立ち止まって部屋の中を指差す。
「こ、こちらで、あります……うぅ……」
……私は加山巡査に礼を言って、大倉刑事と一緒に家の周囲を捜索してほしいと頼んだ。
「お、押忍、了解でありますっ!」
「う、うむ、それならば……」
こうして、私はレーダー二人を外に追いやり、残った刑事二人と共に部屋の中に入った。
「……」
中に入ると同時に、先ほどよりも強烈な臭気が襲ってくる……思わず、顔を背けたくなるような気分であったが、何とか我慢して部屋に踏み入った。
「これはまた、すごいな……」
鬼島警部も、苦笑を浮かべる。
目の前に広がるのは、まさに地獄絵図……いや、もっとおぞましい、凄惨な光景が広がっていた。
その被害者は、四人……夫と思われる遺体は頭部が切断され、妻は胸から下がない。子供たち二人は、遺体のどこかしらを欠損している。そのどれもこれもが、酷い状態であった。
部屋には布団が四つ敷かれており、床はほとんど被害者の体組織や血液で汚れていた。見たところ、夫である中沢卓也は起床中に殺害されたらしく、頭部は部屋の隅に転がっており、遺体は布団から完全に出た状態で倒れている。それは妻の中沢彩菜の方も同様のようだが、こちらはおそらく…起床した直後に襲撃されて殺害されたのだろう。遺体は布団の上にある。
二人の子供達は、目の前で両親が殺害されるという惨劇の時にも眠っていたのか、あるいはまったく抵抗できなかったのか、彩菜よりも遺体や着衣の乱れが少なかった。私は二人に遺体の検視を頼み、部屋の隅にある卓也の頭部に調べる。
……見たところ、やはり卓也は起床中に殺害されたのだろう。見開かれた目は充血して、眉間にしわが寄っており、口元は『あ』の形で開かれている……その死にざまは凄絶なものがあり、この部屋で起きた惨劇を思い起こすには十分なものだった。
私は二人とは別に部屋の観察を続けるが、すでに所轄の警察の鑑識が調べた後なのか、めぼしいところには番号札が置かれ、遺体や欠損した部位の周囲には白いテープが張られていた。
しかし……この部屋は、殺害が起きたにしてはきれいに思える。もちろん、抵抗の跡はあるし、なにより遺体の惨状はひどい。だが、一階の部屋やその他の家中の惨状に比べて、この部屋は遺体以外はきれいなままに見える……これは、どういったことだろうか?
もしかしたら、犯人は被害者達を殺害した後に家の中で暴れた?……だとすれば、その理由はなんだろうか? 考えれば考えるほど、わからないことだらけだ。まぁ、いつものことだが。
私は思考を一時中断し、刑事二人に一度外に出て情報をまとめようと言った。
そのまま家を後にして、命令通り家の外観や周囲に異常はないか、入念に捜索していた大倉刑事や加山巡査と合流した――一応、二人に聞いてみたが、家の周囲や外観に不審な点は見つからなかったらしい。
私はそこで、犯行時刻を聞くことを思い出し、加山巡査に尋ねた。
「えっと、確か……朝の五時から六時くらいの間だと思われます。正確な時間はわかりません、押忍……」
……珍しい。几帳面でまじめな性格の彼ならば、聞き込みなり検視官に詳細に質問したりして、犯行時刻を絞り込んでいると思ったのだが…。
私は念のため、加山巡査に犯行時刻が曖昧な理由について質問した。
「そ、それが……」
……加山巡査は、その場で脂汗を流し始めた。間違いない、何かあるのだろう。
私は彼に、気になることや隠し事があるなら、素直に言ってほしいと言った。
「そうだぞ、加山。我々は同志ではないか」
「お、大倉先輩……」
……私としては、ありがたいアシストだ。大倉刑事に態度に感銘を受けたのか、加山巡査は周囲を気にしながら静かに話し出す。
「じ、実は、今本官が言った死亡推定時刻は、こちらに派遣された検視官から聞いた話でして…」
「ほう?」
「そのあと、地元警察の方々や本官は聞き込みをしたのでありますが、その、誰も不審な人物は見ていないし、不審な物音なども聞いていないと……」
「…つまり、遺体の状態だけが手がかりってことだな?」
「そうであります、押忍……」
そのまま黙り込んでしまう加山巡査をしり目に、鬼島警部は少しだけメンバー達から私を離して小声で語りかけてくる。
「……どうする? いったん、引くか?」
彼女が言いたいことはわかる……我々は敵陣にいるのだ。
あれだけ室内が荒らされ、その直後とはいえ、起きていた人間を殺害したのに誰も悲鳴や物音の類を聞いていないとは……周囲を見渡せば、中沢家の他にも家々が立ち並んでいる。被害者の家は決して、某番組で紹介されるようなポツン具合の家ではない。
加山巡査が教えてくれたように、被害者達の死亡推定時刻が午前五時から六時なら……偏見かもしれないが、この村に暮らす老人達なら起きている時間帯だろう。それで、誰も見ていないし聞いていないというのは、かなり信じがたい。それに、被害者達は全員どこかしらの部位を欠損している。状況からみて、殺害後に行われたのだろう。しかし、その最中にもし尋ね人が来た場合、犯人にとっても訪問者にとっても危険だろう。
だが、現場ではそのような状況に陥った形跡は見られないし、犯人が市街や山中に逃亡したという情報もない…少なくとも、今の時点ではこう考えざるを得ない――。
(犯人は……この村にいる)
……その考えは、私の思考の海に暗い影を落とした。できれば、間違いであってほしい。あるいは、何かそれを否定できるような証拠が見つかってほしい……個人的にはそう思わずにはいられないが、私はメンバー達の命も預かっている…独りよがりな判断は行うべきではない。
……悩んだ末、私は鬼島警部に対して、捜査の続行を宣言した。同時に、一度加山巡査が駐在しているであろう駐在所まで向かい、この事件に関するすべての資料を持ち出したうえで、地元の警察署や市街を拠点にして、この村を調査することを命じた。
「なるほどな……ま、いいと思うぜ。分かった」
そう言って、鬼島警部は私と一緒にメンバー達の元へ戻り、私は改めて加山巡査を含む残りのメンバー達に指示を出した。
みんな、最初はその指示を訝しがっていたが、鬼島警部が先ほどの加山巡査の証言を元に説明してくれた結果、重々しい空気になってしまったものの、私の指示を理解してくれた。
そして、私達は加山巡査に導かれて、彼の新しい仕事場兼自宅へ向かったのだが、その道中、私は注意深く村の様子を観察した。
村人達の多くは農作業に従事しており、時折、老人達が集まって談笑している姿が見える。また、商店らしき建物もちらほらと見える。ただ、それらの建物は民家に比べて大きいが数が少ない。おそらく、昔はもっと栄えていたのかもしれないが、過疎化の影響なのか、今ではすっかり寂れてしまったようだ。
そんな中、私はある一軒の建物に目が留まった。それは、他の家屋に比べてもかなり大きく、木造の二階建てで、屋根に瓦が使われている……どうやら、そこは雑貨店らしい。入り口の上に看板が出ている。
『佐藤雑貨店』……それが、その店の屋号らしい。
「あの……どうかしましたか、警視正?」
私は加山巡査に問題ないと返事をして、再び前を向いて歩き出した……なぜか、その建物が気になったが、今は、目の前にある事件を解決することに集中しよう。
私は気持ちを切り替え、これからの行動についても考えた――。




