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厳寒の狩場 ~雪山に見る避難所~

「ったく……なんでアタシらがこんなことしなくちゃいけねぇんだよ、あ? 所轄の警官とかがやることじゃねぇか!」

「まぁまぁ、警部。そう怒らずに…なんせ遭難事件なんですから」

「そうであります。今こうしている間も、遭難者の方は心細い気持ちでこの広い山中をさまよっているはずでありますよ」

「さまよってるのはアタシらの方じゃねぇのか? どこだよ、ここは?」


 鬼島警部がそう言うので、私はいったん立ち止まって胸ポケットから地図を取り出して広げた。

 季節は真冬――それも雪山の山中となれば肌を刺す寒風もまた一層厳しい。そもそも、我々オモイカネ機関は普段は内勤の扱いであり、もし体を動かすことが必要な『事件』が起きたとしてもだいたいは都内やそれ以外の都市圏だ。

 まれに人里離れた村の中という状況もあるが、それでもかなりインフラがしっかりしている地域での活動が中心である。


(しかしこれは……)


 地図を見ながら、私はため息をついた……どう考えても、今回の出動地域はこれまでに例がないほど自然にあふれている。

 ここは長野県で間違いないようだが……どうやら、我々がいるのはかなり県境に近い山中のようだ。そのことを鬼島警部に話す。


「……やってらんねぇ…サボろっかな…」

「警部!」


 警察官にあるまじき発言をする鬼島警部を大倉刑事がたしなめる。

 彼は体育会系とだけあって、これだけ山中を動き回ったにもかかわらず疲れていない様子だ。とはいっても、彼も真冬の寒さには耐えられないのか、しっかりと防寒着を身にまとっている。まぁ、それはここにいるみんながそうなのだが……。

 私は一応特殊な訓練を受けてきたため、それほど肉体的な疲労は感じていないが、やはりこのような状況に慣れていないせいか、精神的な疲労はいかんともしがたい。


「うーん、このあたりだと電波も届かないようですしね……」


 鳴海刑事がスマホを操作しながら言った。彼の言うとおり、スマホは圏外になっているらしく、いくら操作しても通信できない状態になっていた。

 おそらく、遭難したと思われる人物もこの山中では外部との連絡手段を失っていることだろう。それどころか、もしその人物が登山に不慣れな人間なら、自分がどこにいるかもわからないはずだ……まぁ、だから遭難したのだろうが…。


「それにしても、腹が減りましたなぁ…」

「おい、お前がそんなこと言うんじゃねぇ! こっちまで腹が減るだろうがっ!」

「そ、そんなことを言われましても…」大倉刑事の発言に鬼島警部が噛みつく。


 しかし、確かに空腹感はある。この山の中に来るまでに昼食を取ったきりなので、当然と言えば当然なのだが……。軍用の腕時計を見ると時刻はすでに午後3時を回っていた。太陽は傾き始めており、日暮れまでの時間はそう長くないと思われた。

 私はみんなに、夜になる前にどこか休める場所まで引き返そうと提案した。


「そうですね…」

「ったく……なんでこんなことに……」

「むぅ…遭難者の方を思うと心苦しいが…」


 ぶつくさ言いながらも、メンバー達は私の後に続く。

 しかし、そこで地元の警察署から借りた無線機に連絡が入った。発信者は――長野県警からだ。


『こちら本部。聞こえますか?』


 無線機から声が聞こえたと思った瞬間、鬼島警部が私から無線機を取り上げて代わりに答える。


「はい。感度良好です」彼女は無線に向かって話しかけた。

『そちらの状況を報告してください』

「現在、我々は長野県と富山県の県境付近を捜索中です。遭難者は見つかりません」


 彼女がそう返すと、無線からは少し浮ついた声が返ってきた。


『わかりました。そのことなんですが、遭難者は無事発見されました。繰り返します。遭難者は無事発見されました。どうぞ』

「……は?」


 鬼島警部が思わずそのような声を漏らすと、電話の向こうにいる相手はうろたえながらも報告してきた。


『えー、繰り返します。遭難者は無事発見されました。場所は富山の立山連峰付近。

 今、救助隊を派遣していますので、皆さんはどうぞ県警の方まで戻ってきてください。お疲れさまでした』それだけ言って、通話は切れてしまった。

「なんだよそりゃ……」


 鬼島警部は無線機を握りしめながら呆然としていた。無理もない。ついさっきまで必死になって山中を駆けずり回っていたというのに……。


「どうやら、無事に発見されたみたいですね。よかったじゃないですか」


 鳴海刑事はあっけらかんとした口調で言った。彼の言うとおり、遭難者の命が助かったことは喜ばしいことだ。しかし、鬼島警部は納得いかない様子で呟くように言う。


「なんか釈然としねぇ……」

「とにかく、戻りましょう。遭難者も保護されているとのことですので、我々がここでいつまでもうろうろしている理由はありませんよ」

「……そうだな。戻るか……」


 こうして、私達は下山を始める……が、すでに日は傾きかけていた。私は急いで地図を取り出し、周囲に宿泊施設のようなものはないかと目を皿のようにして探した。すると、どうやらこの近くにロッジ群があることがわかった。私はそのことをみんなに話す。


「本当か、神牙?」

「やったぜ! さっそく行ってみようぜ!」


 鬼島警部が喜びの声を上げて歩き出した。他のみんなもそれに続くようにして、その場を離れる。

 その時――ふと、奇妙な音がした。私の耳はその音を捉えていた――カシャッ、と何かが地面に落ちたような……そんな音を……。

 私は周囲を見渡したが、特に変わった様子はない――気のせいか……。

 私はそう思いつつも、念のために懐中電灯をつけておくことにした。この暗闇の中だと、何が起きるかわからないからだ。

 そのまま私たちは、先ほどよりも軽い足取りで山道を進んでいった。


                        ※


 約一時間ほど経った頃、すでに日は沈み、若干ではあるが雪も降り始めた。吐く息は湯気のごとく白い。

 もうそろそろ鬼島警部が怒り出すか……そう思えてきた瞬間、先頭を歩く彼女から『あっ!』という声が聞こえてきた。


「警部、どうかしましたか?」


 鳴海刑事が尋ねると、彼女は前を指差しながら答えた。


「ロッジだ! ほら! あれがそうじゃないか!」


 彼女が示す方向に目を向けると、そこには確かに建物があった。木々に隠れて見えづらいが、確かにロッジのような建物が見えるし、人がいるのか、窓からは明かりが見える。


「ようやく着いたぜ……。ったく、散々な目に遭わせてくれたな……」

「何言ってるんですか、警部。これからお世話になろうとしている人たちに向かって」


 鳴海刑事の言葉に鬼島警部が「まぁ、そうだけどよ……」と言いながら、渋々といった感じで引き下がる。そして、彼女は私達を先導するように歩き出し、ロッジへと近づいていく。

 入り口には看板があり、『立山高原ホテル』と書かれていた。どうやらここはホテルらしい。外観を見た感じでは、かなり大きめの建物だ。だが、周囲を見渡してもほかに同じような建物は見当たらない。

 気になってもう一度地図を広げて眺めると、どうやらこの辺りの宿泊施設はこの一軒のみ。宿泊施設と思っていた建物は、このホテルを稼働させるためのインフラ施設などだったようだ。

 私が地図をしまっている間に鬼島警部が扉を開けて中に入るので、私は鳴海刑事達と共にホテルの中に入る。中から『いらっしゃいませ』という声が聞こえた。

 ホテルの中はかなり広く、ロビーと思われる空間が広がっていた。ソファーがいくつもあり、その前にはテレビが置かれている。室内に入った途端、暖房の優しく暖かい空気が私たちを出迎えてくれた。


「あ、あの……すいません。こちらのホテルの管理をしている方はいらっしゃいますでしょうか? 私達は警察の者で……」


 鳴海刑事がそう言うと、まだ年若い女性が立つ受付の奥にある階段の方から一人の男性が姿を現した。年齢は四十代後半くらいだろうか? 白髪交じりの黒髪をオールバックにした男性だった。彼はこちらを見ると、穏やかな笑みを浮かべる。


「これはこれは警察の方ですか? ご苦労様です。こんな時間にどうなさいましたか?」


 男性は丁寧な口調で尋ねてくる。鳴海刑事は緊張気味に答える。


「実は、遭難者を捜索していたのですが、別の場所で発見されまして……山を下りようとしたんですが時間が遅くなってしまいまして、今晩はここに泊めていただけませんか?」


 鳴海刑事がそう言うと、男性は笑顔で答える。


「わかりました。そういうことでしたら、お部屋を用意いたしますので、しばらくお待ちください。そちらの皆さんもどうぞ」


 そう言い残して、男性はまた階段の方に戻っていった。

 どうやら予定にない宿泊客の私たちも歓迎してくれるらしい。正直、ここまで親切にされると逆に不安になる。


「なんか……すげぇいい人っぽいけど、大丈夫かな……このホテル」

「警部!」


 大倉刑事が小声で注意する。だが、幸いにも受付の女性や男性の耳には届いていないようだった。私は安心してため息をつく。


「さすがに、そこまで心配しなくても……」

「でもよぉ……なんか、このホテル怪しくねぇか?」

「何言っているんですか。いきなり訪れた僕たちを泊めてくれるって言うんですよ。感謝こそすれ、疑うなんて失礼ですよ」


……私は鬼島警部に、何が気になるのか尋ねた。すると、彼女は答えづらそうな様子で言った。


「だってよ……こんな山奥にこんなどでけぇホテル建てて、採算とれんのか? この山、観光地ってわけでもねぇだろ?」

「それはそうですが……経営が苦しいのかもしれませんよ」

「……それにしちゃ、なんつーか……ちょっと不自然じゃね?  なんか、質のいいもん取り揃えてるっていうか…」


 彼女の言葉を聞きながら、私はホテルの内装を眺める。確かに高級感はあると思う。だが、それだけだ。特におかしなところはない。むしろ、好印象を受ける。


「とにかく、今はお世話になりましょう。ここで一晩明かすだけで体力の回復もできますし、明日の出発も楽になるはずですから……」


 鳴海刑事はそう言って鬼島警部を説得する。だが、それでも彼女は納得できないようで、『う~ん…』と首を傾げるばかりだった。

 そんな会話を交わしているうちに、案内係の女性がやってきて私たちを部屋まで連れて行ってくれる。

 このホテルの最上階であろう三階まで上がると、私たちはそれぞれ別々の部屋に通された。鳴海刑事は大倉刑事と一緒で、私は鬼島警部と一緒だ。

 部屋の中にはベッドが二つと机が一つ。それにドアで仕切られたトイレとバスルームまでもが完備されている。地方都市の駅前なんかにあるホテルと遜色そんしょくない設備だ。


「はぁ~、やっと休めるぜ……」


 鬼島警部が部屋の中央に置かれたソファに腰かけると、大きくため息をつく。

 私は彼女の隣に座る。ふと隣の鬼島警部を見ると、彼女はこれでもかと疲れ切った表情を見せていた。


「神牙ぁ…アタシ、ちょっと寝るわ。もうクタクタだからよ……」


 私が鬼島警部に『ごゆっくり』とだけ言うと、鬼島警部はそのまま眠りに落ちてしまったようだ。静かに寝息を立てている。

 私は荷物を置くと、改めて室内を見渡した。宿泊客が止まる部屋も、ホテルのロビーと同じで似たような高級感のある家具で統一されている。全部屋がこのような状態ならば、確かに鬼島警部の言うように運営資金――特に開業費用などはバカにならなかっただろう……鬼島警部の言っていた言葉が、今更ながらによみがえる。まぁ、だからといって彼女のように何が怪しいかまでは分からない。

 窓の外からは相変わらず雪が降っているのが見える。私はふと思い立って外のバルコニーに出ることにした。

 外に出るなり、私は空を見上げる。そこには満天の星空が広がっていた。山中の澄んだ空気のおかげもあってか、いつもよりはっきりと星を見ることができる気がした。

 私はしばらくの間、その光景に見入っていた――その時だった。

 部屋の扉がノックされる。こんな時間に誰だろうか?

 私は不思議に思いながらも扉を開けると、そこに立っていたのは先ほどロビーにいた女性だった。


「あ、あの……すいません。お客様にお渡ししたいものがありまして……」


 そう言うと女性は手に持っていた封筒を差し出してきた。私がそれについて質問すると、女性はおずおずとした様子で答える。


「あの、当ホテルからです。この度は当ホテルをお選びいただきありがとうございます。また、ご宿泊いただいたお礼にと、こちらをご用意させていただきました」


 女性は丁寧に説明してくれた。私はそれを受け取って中を確認する。中には一万円札が十枚とホテルのパンフレットが入っていた。

……私はパンフレットは頂くが、現金の方は警察関係の法律で受け取れないと言って有無を言わさず突き返した。


「あ……いえ、すみません。それでは、ごゆっくりとお休みください」


 そう言い残すと、女性は立ち去っていった。私は部屋に戻ると、封筒の中に入っていたパンフレットに目を通す。どうやら、ここのホテルのレストランで使える食事券のようだった。有効期限も二週間後までとなっている。せっかくだし、今日の夕食にでも使ってみるか……。

 私はそう考えながら、もう一度バルコニーに出て夜空を見上げた。


「うぅ……ん」


……どうやら今の会話で鬼島警部が起きてしまったようだ。私は彼女に挨拶をする。


「おう、神牙……いま何時だ?」


 私は壁に掛けられた時計に目を向けながら彼女に、寝てから十数分ほどしか経っていないと答えた。


「なんだ、そんなもんか…ん? なに持ってんだ?」


 私は鬼島警部にパンフレットを渡して先ほどの出来事を話した。すると、彼女は眉間にシワを寄せる。


「ほらな。やっぱりアタシが言った通り、このホテルは怪しいんだって」


 だが、私がその理由について尋ねても、彼女は『う~ん』としか言わない。

 仕方ないので、私は彼女に、鳴海刑事達も誘ってこのホテルの夕食を食べようと誘った。


「そうだな……確かに腹減ったわ」


 鬼島警部がそう呟いてから数分もしないうちに、私たちは鳴海刑事達の泊まる部屋の前にいた。ドアをノックすると鳴海刑事が部屋の扉の隙間から顔を覗かせる。彼もまた疲れていたのか、少し眠そうな顔をしている。


「あれ? どうかしましたか?」


 私と鬼島警部は彼にパンフレットを見せた上で、このホテルの食事を一緒に食べないかと誘う。


「えぇ!? 本当ですか! それはありがたいですね!」


 彼の了承を得て、私たちは部屋の中に足を踏み入れる。大倉刑事はベッドの上で横になっていた。


「む…警部殿に神牙…いったいどうしたでありますか?」


 彼は私たちに気付くと、寝転がっていた体勢を起こしてベッドの上に座り直す。

 鳴海刑事が事情を説明すると、大倉刑事は嬉しそうに立ち上がる。


「もちろん行くでありますよ。助かったであります! 携行食だけではどうにも腹が満たされず…」


 こうして、我々は全員でホテルのレストランへと向かうことになった。

 階段で一階まで降りて一度ロビーに向かうと、そこの受付には私に意味深なプレゼントをくれた女性が立っていた。


「あ、お客様……どちらに?」


 彼女は我々を見るなり、そんなことを訊ねてくる。私はレストランはどこにあるのかとパンフレットを見せながら尋ねた。


「ああ、それでしたら、ほら。あちらにございます」


 そう言って女性が指し示した場所は私たちがいるロビーとは反対方向だった。確かに、その方向には長い廊下の向こうにいくつかの丸テーブルと椅子が見える。どうやら、あそこがレストランのようだ。

 私は彼女に礼を言って、そちらの方に向かう。しかし、我々の背後から女性の小さな声が聞こえてきた。


「………………ば……かな……どうして……?」


 振り返ると、そこには愕然がくぜんとした表情の女性の姿があった。それを見て、鳴海刑事が話しかける。


「あの、何かあったんですか?」

「あ、いえ……なんでもありません。失礼します……」


 女性は慌ててそう言うと、そそくさと奥へと引っ込んでしまった。私は首を傾げながらも、そのままレストランへと向かった。

 レストランに入ると、夜の七時前だったためか、既に多くの客で賑わっていた。と言っても、やはりこのような山間部のホテルではさほど来客は多くないようだった。

 私はウェイトレスに四人分の席を用意してもらい、メニュー表に目を通す……山中のホテルにあるレストランにしては、なかなかに豊富な品揃えだ。私はその中からビーフシチューのセットを頼むことにした。

 次に私は鬼島警部と鳴海刑事の様子を窺う。彼らはハンバーグステーキのセットを頼んでいたようだ。ちなみに、大倉刑事はカレーライスである。


「さぁ、頂くとするか」


 注文した料理が運ばれてきて鬼島警部がそう言ったのを皮切りに、各々が食事を始める。私はスプーンを手に取り、ビーフシチューを一口食べる。そして、すぐにそれを飲み込んだ。

 恐ろしくおいしい……どうやら、このホテルのシェフはかなり腕の良い人物らしい。それからしばらく、我々は黙々と食事を続けた。


「ところで、警部殿」

 

 しかし、途中でそれまで黙って食べていた大倉刑事が鬼島警部に声をかけた。


「ん? なんだ?」

「先ほど、警部殿が言っていたことなのですが……どうして、このホテルは怪しいと思ったんでありますか?」

「ん? あー……アタシも確信があるわけじゃないんだけどな。ただ、なんか妙な感じがしたんだよ」

「妙な……? どういうことでありましょう?」

「なんつーかさ……うまく説明できないんだが、このホテルに入ってから、ずっと誰かに見られているような気がすんだよ。最初は気のせいかと思ってたんだが……」

「見られてるって、誰にですか?」

「わかんね。でも、多分人間だと思うぜ。人間の気配っつうか、そういうのを感じるんだ。だから、アタシはこのホテルは怪しいって思ったんだ」


 鬼島警部の言葉に、鳴海刑事は困惑の表情を浮かべた。


「う~ん、警部がそう感じるなら、きっとそうなんだと思いますけど……」

「まあ、そうでありますな」鳴海刑事に続いて、大倉刑事もそう言った。

「……アタシはどうもこういうのは苦手なんだよ」


 鬼島警部はそう言いながら、一口大に切り分けたハンバーグを口に運んだ。


「それにしても、ここの料理は本当に美味しいですね」


 場の空気を和ませるように鳴海刑事はそう言って、笑みを見せる。私も同意して小さく首肯すると、再び食事を再開した。

 その後、我々は談笑を交えながら食事を済ませた。最後にデザートとして出されたパンケーキを食べ終えて、我々はレストランを後にすることにした。

 パンフレットに同封されていたチケットで会計を済ませて我々がレストランの外に出ると同時に、突然ロビーの照明が全て消えた。辺りは一瞬にして暗闇に包まれる。


「え? 停電っ!?」鳴海刑事の声が聞こえてくる。

「神牙っ! 大丈夫かっ!?」


 続いて、鬼島警部が私の名を呼ぶ声が聞こえてきた。私は大丈夫と答えて他の者達の様子を探る。

 すると……確かに聞こえた。何か、硬質な…それでいて軽い物体が床に落ちる、『コトンッ』という音が……誰かが何かを落としたのかもしれないと一瞬考えたが、私の第六感がそれを否定している。

 それに……この気配は、私が山林の中で聞いた異音の時にも感じた、不快にまとわりつくような気配だ。


「先輩、いるでありますかっ!?」


 しかし、そのかすかな音は大倉刑事の心配そうな大声でかき消されてしまった。


「はい!ここにいます!」

「警部殿! 神牙! 聞こえるでありますか!? 自分の声は!」

「ああ! ちゃんと聞こえるぞ!」


 私も、ひとまず異音と不快な気配を頭の中から消して鬼島警部に続いて返事をして、互いに安否を確認し合う。

 どうやら、このホテルには非常電源があったらしく、程なくしてロビーの電気は復旧した。といっても、先ほどよりも暗い、暖色の明かりだった。


「いったいなにが起きたんですかね?」鳴海刑事が不安げな声で呟いた。

「さあな……とりあえず、あのおっさんに聞いてみるか」


 鬼島警部はそう言うと、受付にいた男性の方へと歩いて行った。受付の男性は鬼島警部に気づくと、すぐにこちらに歩み寄ってきた。


「これは、お客様。どうかなさいましたでしょうか?」


 男性は丁寧な口調で訊ねる。それに対して、鬼島警部は少し声を潜めて答えた。


「見りゃ分かんだろ? 非常電源が点いたからいいものの……何があったんだ?」


 鳴海刑事とは違って遠慮のない態度に男性は多少面食らったようだが、すぐに表情を取り繕って口を開いた。


「申し訳ございません。実は、私どももまだ把握できていない状況で……」

「ちっ、使えねえな。じゃあ、質問を変えるぜ。このホテルでは最近何か変わったことはなかったのか?」

「いえ……特に何もなかったかと……」

「そうかよ。わかった。邪魔したな」


 鬼島警部はそう言うと、我々の方へと戻ってきた。


「警部殿、どうでした?」大倉刑事が怪しげな目つきで鬼島警部を見つめる。

「とりあえず、嘘は言ってねぇみたいだな。こうなったら、アタシ達で原因を――」


 鬼島警部がそう言っている最中、ホテルの明かりは通常に戻った。


「……とにかく、原因を調べてみようぜ。理由がわからないんじゃ、おちおち寝てらんねぇや」


……それは、先ほど部屋で仮眠をとったことが原因なのではないだろうか? まぁ、ここでははっきり言わないでおく。

 それにしても、やる気十分の鬼島警部とは違って、鳴海刑事と大倉刑事は完全に疲れ切った様子だ。私は二人には部屋で休むように、何かあったら手伝ってくれと言った。


「すみません、助かります」

「力仕事があったら、迷わずに自分に言うのだぞ」二人はそう言って、自室に戻っていく。

「…さ、夜の探検としゃれこもうぜっ!」

……睡眠をとったおかげか、元気ハツラツといった調子の鬼島警部の声が、夜のロビーに響き渡る。

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