第四十七話 がんばった
始業まで時間があるのなら、その時間を有効に使うべきだ。パンの品揃えを確認したり、フードコートを覗きに行く以外のことにも力を注ぐべきだ。
しかし、時には全力で寮に戻らなければならない。
「その地図渡せー!」
「な、何事ですか!?」
「日課をこなした後に気付いた。どれが空き教室かよく分からん!」
幹部が既に来ているという報告に動揺した結果、肝心なことを忘れていた。
そもそも空き教室とはどれなのか。
どの教室にもネームプレートが付いているため、外から見ただけでは何の区別も付かない。かといって、一個一個開けて周れば幹部と出くわす可能性まである。
まあ、その幹部の顔を知らないから、一方的に目を付けられるだけなんだけど。何それ不条理。
「では、この地図を差し上げます。明日も地図が必要になるでしょうし、私は他にも持っているので」
「ありがたく使わせてもらおう。今度こそ出発だ」
多少のトラブルはあったものの、特段問題はない。新発売の菓子パンがあると聞いて見に行った結果、空き教室に費やす時間がなくなったが、これから六時間もあるのだ。何も問題はない。
教科書とは便利なもので、机上を隠す心強い盾として活用できる。おかげで、誰に気づかれることもなく、真剣にかくれんぼの作戦を立てることができる。
「なに書いているの?」
「この辺の地理に疎いから、少しお勉強をな。クラースは気にせず、ぐっすりと眠っていいぞ」
「......うん」
引っかかるところはあったようだが、特に追及することなく再び眠りについてくれた。ありがとう、快眠グッズ。
「授業中に地図を出すのは、だいぶリスクがあるぞ」
「誰か一人に気付かれたとしても、その一人が快眠グッズに身を委ねれば障害はない。一度バレてからこそ、冷静さが確かめられるんだ」
「何故、このタイミングで自分の冷静さをチェックしようとする」
「一時間も経たないうちに、俺も快眠グッズに身を委ねてしまう未来が濃厚だからだ」
「本当に、大した奴だよお前は。情けない台詞を堂々と言い張ることにおいて、お前の右に出る者はいないさ」
サファイアの皮肉には対抗したいところだが、無意識のうちに腰当てを装着していたせいで既に睡魔が襲ってきている。だから、今は地図に集中しなければならない。
「がんばった、よくがんばったよ、俺」
「一時間目は何とか起きていたが、二時間目開始三十秒でノックダウンか」
「俺、お昼はピザを食べるんだ......」
数時間後の未来に思いを馳せて、俺は穏やかな眠りについた。じゃあな、黒板に書かれた数字ども。俺はお前らを置いていくぜ。
「ピザ!」
「お前の腹時計はどうなっている。四限の終わりを告げるチャイムが鳴りだしたのと同時に、忽然と立ち上がって料理名を叫ぶとは。誰も真似できない次元の精度だぞ」
「頭の中に突然ピザのイメージが浮かび上がった。ただそれだけだ」
「すごい。過程はよく分からないけど、すごいと思う」
自分でも気づかないうちに、新たな特技を習得していたようだ。昼休みとなった瞬間に意識を覚醒させる。これで、午前中は心置きなく眠れることが確定したな。いやはや、自分の才能が恐ろしい。
「今日のお昼はピザ?」
「二時間目から、今日はずっとピザの気分でな。今の俺は、ピザへのほとばしる欲求を抑えられそうにない」
サファイアからもクラースからも異論は出なかったため、俺は意気揚々と階段を上ってピザ屋で腰を下ろした。
ピザ屋の香りは恐ろしいな、歩きながら注文してしまいそうになる。
「そういえば、二人は土曜日どうするの?」
「土曜日? 何かあったか?」
「実地演習の話をされただろ。私たちも参加するだろうな」
「すっかり忘れていたが、そんな話もあったな。思い出したよ、詳細が教えられていないことも含めて」
「詳しいこと、知らない?」
「先生からその話を聞いたとき、丁度ドタバタしていてな。正直なところ、俺たちは実地演習について日時が土曜日だということ以外、何も知らない」
「なら、私から教えておくの。土曜日の実地演習は、一年生にとって初めての演習。場所は、毎年使用されている近くの森。演習ではミッションがあって、全部で十一個隠された宝箱を探し出す。制限時間は三時間で、持ち物は学院から渡される森の地図とグループの人数分の水。それ以外は、指定された肩掛けバッグに入る範囲内で自由に持ち込んでいい」
「やけにご丁寧な説明だな」
「プリントの受け売りなの」
さっきの口調から察するに、丸暗記している可能性が高いな。クラース、本当にハイスペックだな。
「グループってのはもう決まっているのか?」
「一応決まっている。けど、多分二人は先生が割り振ると思う」
頼むぜ、先生。くれぐれも、仲のいい二人組の班に入れるなんてことはしてくれるなよ。友人二人に対して、見知らぬ人一人はかなりしびれるぞ。居心地の悪さはもちろんのこと、あれは随分と退屈なんだ。
あれ、あの子どこを見つめているんだろう? なんて憐れみを込めた発言は聞きたくない。気を遣って邪魔をしないように努めているなかで、そんなことを言われてしまうのはひどく悲しい。それまでの努力が水の泡だったということが、そのまま突き付けられる感覚だ。
ただ、誰と組むかはある程度見当がついている。授業中だろうとなかろうと、先生が俺たち三人のことをよく見ている。これで実地演習と関係なかったら、三人のうちの誰かが青い春を迎える可能性まである。
「恐らく、調理実習のときみたく私たち三人で一グループだろう」
「やっぱそうだよな。青い春なんてないよな。少し早いが実地演習ではよろしくな、クラース」
「......うん、よろしく」
朝と同じような不自然な間が空いたが、今回は朝とは違う理由がありそうだ。目を伏せているし、一体何があるのやら。片手にピザを持ちながらの挨拶が気になったのなら、あとで改めて挨拶をすればいい。
だが、もしそうでないのなら、快眠グッズを紹介してくれた恩もある。じっくり向き合ってみようじゃないか。




