第四十二話 何とか
「べ、別に気にするな。それより、けがはないか?」
「大丈夫」
「ひとまず、その真っ二つに割れた皿はテーブルの上にあげておこう。食器を洗っている際に触れては危険だからな」
家に帰るまでが遠足なら、皿を洗い終えるまでが調理実習なのだ。そのことを、よく思い知らされた。
そっか~、考えてみれば、食器洗いにもリスクが潜んでいるな。
次の調理実習、延期にならないかな。
一日の流れは案外早いもので、調理実習の後フードコートでさらに腹を満たして、それからの授業は教科書を開いて意識を失えば、あっという間に下校の時間となった。
「お前、初日から堂々と寝るな」
「そう褒めるなよ。ただ、興味がない話を聞いていると瞼が重くなるだけだ」
「褒めていないし、誇れるところがどこにあった」
「まあ、明日からは何とか気合を入れるさ。それと、歴史科目が来ないように祈るだけだ」
どうやら、この学校では歴史を重視しているらしい。週五の世界史に加えて魔法史という科目も存在し、今日の午後の授業は二時間続けて魔法史だった。
正直なところ、歴史科目なんて暗記すればいいだけだと思っていたし、前世ではそれで充分だった。
しかし、そうは異世界が卸さなかった。特に厳しいのが、地理だ。
歴史を学ぶ上で、地理というのは非常に重要な要素となる。今日の授業でも、何とかかんとかが何とかというところで発見された、みたいなことを耳にした。それに続いて、どこどこの何とかは何とかを元に生まれた、と教えられた。
知らねーよ、そうツッコんでやりたかった。
発見されたものに聞き覚えがない、これは仕方がない。発見された場所に聞き覚えがない、これも仕方がない。問題は、聞き覚えがない事柄を分かりやすくするための言葉に聞き覚えがないのだ。
試しに、授業の中で記憶が残っている部分を一つピックアップしよう。
「ウェアス暦三百二年、史上二番目の魔脈がブルゴスで発見されました。皆さんご存知の、アンジス王国の中央に位置する魔柱は、実はこの魔脈を元に誕生しました」
あの何とか暦はどこにいったんだよ。暦からして初めましてじゃないか。
二番目なのかよ、一番じゃないのかよ。一番は何だよ。そこまで言うなら教えてくれよ。
魔脈って何だよ。昨日も教科書に目を通して思ったことだが、そんなに有名か? 魔脈についての説明が一切ない。
ブルゴスってどこだよ。その後のアンジス王国もどこだよ。この学校の名前を知ったのが昨日の上、この国の名前なんてもう忘れたぞ。
魔柱の説明をしてくれよ。字を見るとイメージできそうだけど、意外とシルエットだけで精一杯だよ。どうして魔脈と同じく、これの説明もないんだ。
たったの二文に、これだけ物申したいことがあるのだ。その間に、授業は無情にも進んでいく。当然、俺はついていけなくなり、どの部分を説明しているのか分からなくなって、最後には追うことを止めて現実から逃げるのだ。すると、あら不思議。いつの間にやら、教壇からは教師がいなくなっているではないか。
「明日への希望が見えない」
「勉強、にがて?」
「理系科目はご縁に恵まれなかったと諦めているが、どうやら文系科目との雰囲気も悪くなったようだ。こればっかりは復縁を待つしかないな」
「それなら、私が教えようか?」
「出来が悪いでは括れない生徒の家庭教師に立候補してくれることはありがたいが、クラースは大丈夫なのか?」
「だいじょうぶ?」
「だから、その、クラースもよく授業中に俺と同じ体勢になっているというか」
「心配ない。既に頭に入っている」
これは勝ったな。もう負ける気がしない。だって、すぐ隣の席に秀才がいる。しかも可愛い。やっぱり、異世界転生の恩恵はすぐ近くにあったってことだ。
「皆さん、気を付けて下校してくださいね」
小学校の緩い感じを思い出させてくれる先生の挨拶が終わると、クラースに挨拶をして寮への帰途についた。
「あ、おかえりなさい」
「ソファに座って私たちを出迎えるとは、お前も随分と出世したものだな」
「違いますよ! さっきまで、きちんと情報収集のために奔走していましたからね!」
「収穫はあったのか?」
「いえ、いつもと変わらない平和な日常でしたよ」
三日後に同胞たちが襲撃するという事実を踏まえると、煽られているようにしか聞こえない。ただ、ここでイラついてはいけない。こいつはそういう奴なのだ。少し馬鹿なだけだ。情報班としてはあるまじきことのようだが、寛大な心で許そうじゃないか。
「上司からも命令はなかったのか?」
「今夜、内通者と会って情報を照らし合わせろと言われました」
「平和が崩れ去る予兆じゃねーか!」
「小遣いがもらえなかった腹いせに、私たちにストレスを蓄積させようとしているのか?」
「何でそんなに怖い目つきをするんですか!? ひょっとして、また何かやっちゃいました?」
無自覚系主人公にも適性があるんだな。もし主人公がこれだけの無自覚を発揮する作品があれば、俺はその本を本棚の奥に押し込む。
また一つ、異世界での学びが増えたな。




