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第三十六話 物理

 気持ちよさげに眠っている同級生を挟んで、サファイアが大声を出しているなか、俺は全力で肩を揺すっていた。

 最初は加減をしていたが、そよ風にしか感じられていない感触だったため、痛みを覚えてもおかしくない強さで肩を揺れ動かす。それでも起きはしないのだから、自分の腕力の弱さにショックを覚え始めたころ、僅かに寝言が聞こえ始めた。


「いったん休まないか? 浅い眠りにかわったようだし」


「そうだな。私ものどに危機感を抱き始めた」


 息を切らしながらの提案は、同じく肩で息をしているルームメイトに承認された。しかし、すぐに寝言が聞こえなくなったため、一分の休憩を挟んで再び作戦行動をとることとなった。


「も~、どうして、こんなに寝つきがいいんだよ! これだけ眠れるんだったら、布団業界に在籍してくれよ。他の追随を許さない広告塔になれるからさ!」


 穴を掘ってすぐにその穴を埋める作業の方が断然楽だと思い始めたころ、再び寝言が聞こえ始めた。さらに、そこから粘ること数分。ついに覚醒を迎えさせることに成功した。


「おぅ!」


 覚醒を迎えた彼女の行動は、いたってシンプルだった。自らで肩を揺すって俺の手を外すと、がら空きとなった俺のみぞおちに裏拳を入れた。

 覚醒したとはいえ、まだ目は半開きのままだった。それでも、彼女の裏拳は、いとも容易く俺の膝を床に付かせた。


「お、おい、大丈夫か?」


「これが大丈夫なら、俺はボクシングで世界を獲れる男になっている」


「まあ、そうだな。正直なところ、私には何が起きたか見えなかった」


「その点は安心しろ。真後ろにいた俺でさえ、いつの間にか、経験したことのない衝撃との出会いを果たしたんだ」


 強引に起床させて仕返しされるお約束の展開と、目の前にいた調子乗りを天秤に乗せた結果、俺は調子乗りの優先度がより高いと感じた。だが、それが大きな間違いであったことを、身をもって理解させられた。

 たとえ定番が通用しない世界でも、睡眠の恨みは絶大的なものであった。


「いい裏拳だったぜ。がくっ」


「気絶したふりをしても意味ないぞ。さっさと席に座って、授業を受ける用意をしろ」


「確かに気絶はしていないが、雰囲気くらいは味わってもいいだろ。そもそも、俺がダメージを食らう羽目になったのは、お前が打ち出したアナログ作戦が原因だからな」


「さっき心配してやったというのに、実に偉そうなことを口に出してくれるじゃないか。お前だけに責任があるとは言わないが、あれは強く揺さぶりすぎだ。お前だって、あの強さで起こされたら不快に感じるだろう?」


「最初に全力でやるよう促したのは、正真正銘お前しかいなかっただろ」


「私の作戦に問題があったと言いたいのか」


「いや、違うね。お前の作戦に問題があったから、謝罪をしろと言っている」


「起こすことができたからといって、調子に乗ってくれるなよ。策の立案は私、加減を間違えたのはお前だ」


「起こしたのはあなたたち?」


「......いや~、それは違うかな。なあ?」


「確かに起こそうとはしたが、その直前で起きてくれた、というのが真実だな」


「じゃあ、何かに手が当たったことも気のせい?」


「もちろん気のせいだとも。だって、誰も睡眠の邪魔をしようとはしなかったからな。そんな愚かな奴がいたら、俺が必死に止めるさ」


「食べ物の恨みは恐ろしいというが、睡眠の恨みだって恐ろしいものだ。それを知っている私たちが、無理に起こそうとする理由がない」


 逆境の中でこそ他人についてよく知れるとは本当だったのか。

 隣で真っすぐに立っている自称指揮官は、こと魔法に関しては、どこまでも偉そうな態度をとる。しかし、物理的な方面で際立った力を持つ者には、とことん低姿勢である。今も、まるで定規を入れているかのように、背筋を伸ばして立っている。


「さて、私たちも授業を受けるとしようか」


「おう。忘れていたが、授業中だったもんな」


「え~と、それじゃあ授業を」


「あなたたちは隣の席なの?」


「自己紹介がまだだったな。俺の名前は蒼。今日からお隣さんだ」


「私の名前はサファイアだ。確か、クラースといったか?」


「そうなの。私の名前はクラース。趣味特技は寝ることだけど、授業中に見かけたら起こしてほしい」


「おっと、そうきたか。なるほどね。ちなみに、クラースは自分の寝起きの状態がいい方だと思うか?」


「よくはないけど、悪くもない、と思う。やっぱり、迷惑をかけた?」


「いやいや、そういうことじゃない。ただ、すぐにシャキッと目覚めるかは、私たちが起こす際の加減に影響を与えるからな」


 表情も口調も、ともにまったりとした感じだが、かえってそこが怖い。文字通り強い力を持った相手が、全くその力をイメージさせない外見だと、力が振るわれるタイミングに一切見当がつかない。それは、いつ逆鱗に触れてしまうかも予想できないことを意味している。

 それを加味しても、サファイアの態度は変わりすぎだと思う。俺も含めて、サファイアが他人を呼ぶときはお前とかこいつとか貴様とか奴とかだ。口悪いなこいつ。

 しかし、新たな隣人に限っては、自分から名前を確かめている。


「どうかした?」


「何でもない。魔法が存在しても、物理の権力は健在だと考えていただけだ」


「物理?」


「クラースには何ら関係ないから、これっぽっちも気にしなくていいぞ」


 勘付いてはいたが、やはり自覚がないパターンか。これは、いよいよ気を抜くことができなくなったな。


「え~と、今度こそ授業を。って、もうこんな時間ですか! それじゃあ、残り時間は自習でお願いします......」


 どんまい、先生。次があるさ。


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