第三十三話 特技
椅子に座っている青年は部屋に備え付けられた寝間着を着て、ソファにもたれかかっている少女は魔法使だとは欠片も感じさせない寝間着を着ている。現在時刻は始業の鐘が鳴る三分前。ちなみに、アイテムボックスの整理は放置している状況。
「しょうがない。遅刻なんて誰にでも等しく訪れるものだ。俺たちには抗うすべなどない」
「時間を知らなかった以上、間に合うも間に合わないもない。故に、今の私たちを遅刻という言葉で括ることはできない」
「よく分からないことを言いながらも、素早く制服を取り出しているあたり、私はお二人に非常に好感を持てると思いますよ。戸締りは私が済ましておくので、どうぞ学院生活を楽しんできてください」
間に合う可能性がある、それがよぎると自然と動いてしまう自分の身体が憎い。
「いってらっしゃいませ」
急いで制服に着替えると、アイテムボックスだけをポケットに入れて部屋を飛び出した。敵対しているはずの種族を相手に戸締りを任せることについて、ツッコみを入れている暇など当然ない。
「どこかに三十五分から始まるって書いていたか?」
「......いいから走れ。初日からちこくする」
徐々に後ろに下がっていくルームメイトに配慮する余裕もなく、階段を駆け下りて学校へと息を切らしながら向かう。
前世では体育ですらまともに走らなかった罰なのか、新たな人生では三日目から全力疾走を強制されている。生後三日でダッシュなんて、ジャマイカ人もびっくりだよ。
久しぶりのダッシュで足首が痛くなってきたころ、ようやく正門が見え始めてきた。
しかし、運命とは残酷なものである。中庭で悠然と構える植木も見えてこようかというとき、始まりを告げる終わりの鐘の音が鳴り響いた。
これじゃあ、朝食を抜いて全力で走った俺たちがばかみたいじゃないか。見てみろよ、フルマラソンで全ての給水所を抜いたような俺のルームメイトを。
「なぜ、そんなところでとまっている」
「俺たちの戦いはもう終わったんだ。この門は、俺たちには遠すぎたんだ」
「......そうか。だが、どうしてだろうな。すがすがしい気分だ」
校門の前で大の字に寝そべった彼女の顔を見ると、達成感を味わっているような表情をしている。これが朝活というやつか。運動不足であろう彼女がここまでの爽快感に満ちているのだ。効果はバツグンだ。
だが、彼女の顔が一切門に向かないことも、遅刻という事実が抜群に効いたことを示しているのだろう。
「両手を見える位置に出して、その場から動くな」
彼女と同じように一休みして正門を通った後、校舎に足を踏み入れようとすると数人に杖を向けられた。
「この国では、遅刻をすると拘束されるのか?」
「そんなわけがあるか。この国にそんなふざけた制度があれば、私は今ごろ別の国に移住している」
「お前たちに会話は許可されていない。許可されていることは、こちらの質問に答えることだけだ。その制服はどこで手に入れた」
「おいおい、この制服に見覚えがないのか? 他でもない、この学校の制服だぞ」
「随分と雑な出迎えをしてくれるじゃないか。私たちは特別生だ。疑いをかけるなど、あってはならない」
「お前たちは、自身がこの学校の生徒だと主張するつもりか?」
「当たり前だろ。こんなに制服を着こなしているのに、一体俺たちのどこに怪しむ要素があるっていうんだ」
「この学院に通う以上、生徒手帳の携帯が必須だ。しかし、お前たちが正門を通ったとき、生徒手帳の反応は全くなかった」
「私たちにかまをかけるつもりか? そんな見え透いた手は通用しないぞ。生徒手帳ならば、ちゃんとこのアイテムボックスの中に......」
「口をぽっかりと開けていないで、さっさとあいつらに突き付けてやれよ。これこそが、生徒手帳だって」
「わすれた」
「は?」
「今朝、軽く読んだ後、ソファにおきっぱにした」
こうも簡単に予想を裏切られると、拍手の一つでもくれてやりたくなる。
「しょうがない。そういうことなら、俺が身元を保証し、いや無理だ」
「どういうことだ」
「お前の発言に引っかかることがあって、少し前のことを振り返ってみたんだ。俺もベッドの上においてきた。このアイテムボックスに入っていないことが、何よりの証拠だ」
今朝の自分を呪いたい。ある程度はこの学校について学んでおこうという意欲を持った、数十分前の己の勤勉さを呪いたい。
携帯必須の持ち物を持たず、制服だけは正式なものを着ているって、完全にコスプレを楽しむ格好じゃないか。コスプレデビューの見物人が自分が通うはずの学校の警備員とは、あまりに想定外のことで、かえって落ち着き払ってしまう。
落ち着けてしまうもう一つの要因が、つい先日も連行される体験をしたことだというのだから、この世界はやはり侮れないな。
願わくば、大ごとにならずに解決されてほしい。
「何の騒ぎだ」
おっと、俺の特技に旗の建設を加えてもいいかもな。
一番知られたくない相手、学院長のお出ましだ。




