第三話 初夜
俺は助けを求められれば、内容次第ではあるが手を貸そうとする優しい人間だ。だから、食べ物を少し与えるくらい、逡巡することもなくこなす。相手の肩に手を置き、顔を近づけて言うんだ。
「そんな残念なお願いで、俺の偉大な一歩を上回るんじゃねー!」
何が「食べ物を恵め」だ。こちとら、新たな人生の一歩目を踏み出す瞬間だったんだぞ。ひょっとしたら、伝説の始まりだったのかもしれない。それを、腹の音をかき鳴らしている相手に邪魔されるなんてあってはならない。せめて、二歩目を踏み出すくらいで来てくれよ。よりにもよって、右足が地面から離れて再び着くまでの短い間にその妨害を挟んでくるな。
「てか、いい加減手を放せ!」
「断る」
こ、こいつ。腹ペコで力尽きて倒れているくせに、足首を掴む力だけはまったく弱まらない。
近くを通る人は皆、俺たちのほうを見て眉を顰めている。気のせいじゃなきゃ、少し遠くのほうからも声が聞こえてくる。
「頼むから放してくれ。俺は勘弁だぞ! 新たな生を授かった直後に、社会的に命を落とすなんて」
「たべもの、くれ」
むなしい争いを続けること数十秒。遠くからの声はだんだんと近づいて、いまや聞き取ることもできるほどだ。
流石に気になって、声が聞こえてくる方向を見るとこっちに向かって走ってくる男と目が合った。食い逃げでもしたような勢いで走っているが、目と目が合った以上相手が避けてくれるだろう。だってほら、俺は動けないし。それに向こうは、目を見開いている。
「避けないのかよ!」
黒いローブを着た男は、足首が固定されている俺に向かって一切進路を変えずに走ってきたので、当然ながら衝突。すぐには立ち上がれない俺と対照的に、相手は素早く立ち上がると、黒いローブを置いて走り去っていった。
「おい、あそこだ!」
立ち上がって、置き去りにされた黒いローブに手を伸ばそうとすると、威勢のいい声が聞こえてきた。反射的に声の方向を見ると、銀色の鎧を着た騎士らしいのが俺たちの方を指さしている。嫌な予感がしたため走り去ろうとしたが、人間が馬の脚力に勝てるはずもなく、あっという間に回り込まれてしまった。
「その黒いローブ。間違いないな」
リーダーらしき騎士がそう呟くと、周りの騎士たちもうなずいて俺たちにプレッシャーをかける。
「もしかして、あなたの落とし物ですか? 俺はまったく、全然このローブとは関係がないので、どうぞ持って行ってください」
「ここまで追い詰められて、なおも虚言を吐くか」
「その虚言の主、ひょっとして俺だったり」
冗談めかした調子で尋ねるも、全く相手にされていないことが目を見れば伝わってくる。
「当たり前だ。お前たちこそが宝石を奪った張本人。ここから逃れることができると思うなよ」
「私もか!?」
危険を察知していたのか、死んだふりをしていた金髪だが、自分が含まれたことを知るや否や勢いよく立ち上がった。
「どんまい。俺とお前は運命共同体みたいだ」
「こんなふざけた共同体があるか! 第一、私が欲しているのは宝石なんてくだらないものじゃない。食べ物、食料だ。だから宝石なんぞ盗むはずもない」
「まあまあ、一旦落ち着いて下を見てみろ」
熱弁を振るった金髪に、地面を指さして視線を誘導する。
自らの足元を見た運命共同体は、俺の言葉の意味を理解したらしい。へなへなと地面に座ると、不気味な様子で独り言をつぶやき始めた。目からはハイライトが消え、金髪からも心なしか光沢が失われた気がする。
「これより、身元不明の男女二人を連行する。証拠となる黒いローブ。それと、あいつらの足元に落ちている、盗まれた宝石は丁寧に扱え」
手錠をはめられ、馬に乗った騎士たちに引っ張られて始まりの地から一歩一歩離れていく。後ろを見れば、軽蔑した目で見てくる村人たち。前を向けば、立派な鎧を着て馬に乗る騎士たち。そして、隣を見れば、不自然に口角が上がっている金髪碧眼で同年代くらいの女子。
第二の人生。一難去らずして、新たな一難が訪れてきました。ハク、難易度調整ミスってるぞ。
「聞いてくれよ。私、今日この国に来たばかりなんだ。予定ではギルドに行って、冒険者としての登録を済ませて、両親が勧めた宿に泊まるはずだった。だというのに、今の私は空も見えず、壁と檻で出入りすらも自分の意志でできない。笑ってしまうな」
壁を隔てた向こうから、忽然と不気味な笑い声とともに声が聞こえてきた。カーペットなどあるはずもないひんやりとした石の床よりも、更に冷たい声音で話しをする運命共同体。
「こんな日もあるさ。俺だって遠いところから来たばかりだってのに、濡れ衣着せられてこのざまだ。思い返せば、一銭も持ってないことを俺がすぐ言えば、これは回避できたことなのかもな」
今だから言えることではある。だが、無一文だということをはっきり伝えておけば、こいつだってすぐに諦めてくれる可能性もあった。
「卑屈になるな。ぶつかったときに、私があの男にしがみつけば万事解決の可能性もあった。というか、あの男だろ。すべての元凶は!」
「そうだよな! 宝石を奪って逃げるなんてしょうもないことしやがって。俺たちにとって、あそこは出発点だった。なのに、着飾るためだけのものを盗みやがって」
「腹の足しにもならないものを盗んで、何が楽しいのやら。しかも奴は、捕まることを恐れて、宝石を手放したんだ。盗むなら、最後まで保持しろってはなしだ」
同じ環境に身を置くことで親近感がわき、さらに冷たい飯で英気が養われたことで、自然と内から湧き上がるエネルギーは宝石泥棒に向かい始めた。
「決めた。ここから出た暁には、奴に濡れ衣を着せてやる」
「しかも周りの村人から、軽蔑の目で見られるくらいのだ」
始まりの町から数キロは離れているだろう街の地下牢で、目に宿る仄暗い灯りとともに浮かべられた笑みが響き渡った。
「起床の時間だ」
いつの間にか落ちていた意識は、見回りの看守によって覚醒させられた。
どこからともなく現れた、昨日の夕食と代り映えしない冷たいパンとスープをじっくり味わう。食後には軽いストレッチをこなしていると、檻が開錠されて手錠と看守とともに外に連れ出された。
空っぽの部屋に意識を傾けて歩いていると、後ろから開錠の音が聞こえた。目的地は分からないが、到着地はきっと同じだろう。
牢屋といっても、カビが生えていたり淀んだにおいがするわけでもない。しばらく歩いても、暑さも寒さも感じない、快適な環境だ。これも魔法のおかげか。
魔法にはやっぱりロマンがある。ただできることなら、牢屋の快適さや、歩いていたらいきなり出現する牢獄なんてのとは別の形で知りたかったものだ。
現実逃避に飽き、興味を惹かれるものも無くなったころ、一際大きな檻が目に入ってきた。
ゆっくりと開く檻を抜けると、反射的に目を覆った後、看守の注意も無視して思わず立ち止まった。
「いい天気だ」
空は偉大だ。その広大さの下では、手錠も看守の存在もきれいさっぱり忘れてしまえる。
異世界で初めての朝日を浴びて一息吐いた俺は、やがて馬車に押し込まれて目的地が分からない旅へと出発した。