長沼五郎三、大喜び
その日、皆川ユウキは所用により幸徳井晴香と共に、今出川御門の北にある某私立大学へと赴いていた。
その途中、晴香が
「背後霊の長沼さん、嬉しそうですね」
と話しかけて来た。
聞くとこの霊、道を挟んで反対側にある一帯が御所だと認識した途端、パアっと明るい気を放っているのだという。
「やはり昔の武士なんですね。
御所とか見たらテンション上がるみたいで」
生前の長沼五郎三は、分家の庶子であり、京都大番役に任じられるような家格では無かった。
京都に出仕した事は無い。
だから、御所が在る、京都だ、それを知って喜んでいるようだ。
「……つーか、今の今まで、自分が京都に居るのを知らなかったのか……、アホだな……。
痛っ!」
「霊には場所って認識が無いけど……え? どうしたの?」
「殴られた」
「いや、確かに長沼さんがユウキ君を叩いたのは見たけど、霊が殴ったって痛くも痒くもないでしょ?」
「それがこの人、物理的な打撃力も持ってるみたいで、殴られたらかなり痛い」
「はあ?
そんな霊、初めて聞いたよ。
そんな事有るの?
ねえ、試しに私の事も叩いてみて」
霊にも多少のデリカシーがあったようだ。
女性を殴るのは、かなり手加減したようだが、それでも
「痛い……。
もうちょっと女の子には優しくしてよ……」
と文句を言われていた。
(武士の手加減と、現代人の基準は全く違うからなあ……)
実際、ユウキを叩く時も、子孫の彼には相当の手加減をしているのだろう。
零感過ぎてどうなっているのか、よく分からないのだが。
「最近は、もう俺の背後霊の所業に慣れたの?」
以前はこちらを見ては、目を背けるような感じだった晴香も、長沼五郎三の霊をじっくり見る事が多くなっている。
「流石にね」
ゼミで頻繁に顔を合わせているのだ。
もうこの霊のやってる事にも慣れたようだ。
「もしかして、付近の霊を狩り尽くして、変な事しなくなったとか?」
その質問には、残念な答えが返って来る。
「それは無い!
今だって、テンション爆上がりしたみたいで、周囲の動物霊を追いかけていって矢を放ってる。
犬追物だっけ?
あのテンション。
動物霊にしたら、いい迷惑だと思う。
あの犬の霊、どっかのペットだったでしょうに、矢を射かけられて可哀想に……」
鎌倉時代の逸話を知っているユウキには、
(同じレベルの霊が居ないのが幸いしてるな)
と思ってしまった。
ユウキは、犬に矢を射かけているという話で、鎌倉時代の逸話を思い出す。
仁治二年(1241)、武士たちが酒宴をしていた所に犬が入り込んで来た。
武士はその犬に対し矢を射かける。
しかし、流れ矢が別の酒宴の席に着弾。
流れ矢を受けた武士たちと、矢を放った方の武士たちとで大乱闘となったのだ。
問題は、その当事者が鎌倉幕府の重鎮・結城朝広(矢を放った方)、三浦泰村(矢を受けた方)であった為、鎌倉幕府が仲裁に乗り出す騒ぎとなった事である。
最終的に、当時の執権・北条泰時が結城朝広・三浦泰村両者に謹慎を命じて終息する。
この結城朝広は、ユウキの先祖の長沼氏とは同族の小山党なのだ。
長沼五郎三も、同じくらい血の気が多い事は想像出来る。
そして現世には、上手く仲裁して処分を下す北条泰時の霊なんて降臨していない。
だが、三浦党級の霊も居ないのだから、強烈な武士の霊同士の乱闘も起こらないだろう。
七百年を消滅せずに残った霊なんて、規格外も良いとこだ。
しかもその七百年、山で神として扱われ、神聖さまで身につけている。
……内面は鎌倉武士そのまま成長していないが。
この強力な霊に太刀打ち出来る浮遊霊も地縛霊も動物霊も妖怪も、今まで出て来なかった。
それどころか、生身のチンピラすら撃退してしまう。
こんなのチートも良いところ。
これに対抗するには、同じくらい「古い霊」でなければならないだろう。
そんなの滅多にはいない。
だから大乱闘は生じようもない。
戦いは同じレベルの者同士でないと生じないのだから……。
最近、背後の長沼五郎三は、零感の子孫に対しても実力行使をすれば、自分の意思を伝えられる事に気づいたようだ。
流石に今出川の大学に子孫が用事で入っている内は静かだったが、用事が終わって学外に出た瞬間に子孫に拳骨言語で話しかける。
「痛い、痛い!」
「あー……、なんか長沼さん、帰りたくないみたいね」
「面倒臭いなあ。
こんな所に居ても意味が無…………痛い、痛い……ここじゃないって?」
ここの大学から徒歩で行ける範囲内に、下鴨神社があった。
痛覚での意思疎通により、その下鴨神社に行きたいというのが分かる。
行ってみて、何故神社に来たかったのかを理解する。
「あー、蹴鞠やってる」
「蹴鞠だねー」
「蹴鞠が見たかったんだ……」
「討ち取った霊の首で蹴鞠してたけど、下手くそだったから……痛いっ……。
ちょっと、女の子に実力行使しないでよ!
武士の風上にも置けない……」
二代将軍源頼家や、執権北条一門の影響もあり、鎌倉武士は蹴鞠が好きであった。
源頼家は、戦争を起こさずに、何かしらで目立てる、それでいて連携を重視するものとして、蹴鞠を幕府公式行事として認定して利用した。
それもあってか、田舎武士であっても蹴鞠は「やってみたいもの」として広まっていた。
神社で蹴鞠奉納者たちの妙技を堪能し、満足した長沼五郎三は、憑依している子孫に帰宅を許す。
もっとも、ただ帰るわけではなかった。
一番上手かった競技者に、自分の印をつけていた。
そして深夜、その競技者はうなされる。
「わしは下野住人、藤原秀郷公の末にて長沼淡路守が親類、五郎三郎宗村と申す。
蹴鞠が腕前、感服仕った。
是が非でも奥義を伝授いただきたく存ず。
我が本願叶うまで、日参致す所存」
枕元に立つ甲冑姿の武士の霊は、それから三ヶ月余り毎晩のように現れ、競技者をぐったりさせるのであった。
「鎌倉武士が御所(朝廷)を敬うか?」
長沼さん、敬って喜んでいるわけではないです。
田舎武士のおのぼりさんなんで、ミーハー的にはしゃいでいるだけです。
なんせ、彼の頭の中では今でも日本の首都は京都なので。
次話は明日18時に投稿します。