VS地獄の神
「あの……こちらは陰陽師の芦屋様のお宅でしょうか?」
それは小さい子の手を引いた女性であった。
芦屋ミツルは胡散臭い奴だが、霊能系の仕事で阿漕な事はしていないのが許せるところだ。
数万円の料金を請求する事はあるが、それで大儲けなんかはしていない。
何かを調達したり、どこかに参拝して来たりと、必要経費としてほとんど使っている為、それくらいは貰っておかないと無料働きになってしまう。
問題なのは、そっちの業界で
「特級呪物を使った呪術師を返り討ちにした、最強の霊能力者」
という評判が立ってしまった為に、こうして彼を頼った者が訪れる事である。
大体「最強の霊能力者」に頼らねばならないってのは、相当ヤバい場合が多い。
霊能者も自分の稼ぎになる仕事を、他人に紹介してやる義理などない。
医学で言えば「もう当院では対処できません」という重症患者が藁にも縋る思いでやって来るのだ。
この女性もそういった類の人間であった。
「何か見えますか?」
皆川ユウキは、余計な口を出さないよう応接室には近寄らない。
芦屋はただでさえチャラい兄ちゃんにしか見えない。
そこに陰キャの同居人がウロウロしている姿も加わったら、より「こいつで大丈夫か?」と思わせてしまう。
気を使って、商売の邪魔にならないようにしているのだが、よくよく考えれば邪魔をした方がユウキには良いのだ。
なにせ、虚名とは裏腹に大した能力が無い芦屋は、大抵の場合ユウキの守護霊を利用しようとするからである。
この辺、人の弱みに付け込めない性格のユウキの残念な部分であろう。
だがその日は、たまたま応接室の中の声が聞こえた。
妙に暑く、ドアを開けっ放しにしていたからでもある。
「貴女の左手、霊気が全くありませんね。
思うように動かないのではないですか?
背後……というか、かなり遠くですが、神様みたいなものが見えますね。
でも、あれは日本の神様ではないですね。
大陸の方ですかね?
かなり手を出せないレベルの神様ですが、貴女は大陸の方と縁があったのですか?」
退魔の能力は低いが、霊視能力だけは大したものである。
見事に言い当てた芦屋に、その女性は涙を流して語り出す。
彼女は若い時にピアノを得意としていた。
そして大陸の方にも行った事があった。
その時に魅入られたようだ。
色々な占い師に
「あんた、長生き出来ないね」
と言われ、神様を祓う事なんか出来ないとも言われて来た。
だが、彼女周囲の人の信仰により、平将門、白狐、そして親戚の修道女の生霊が彼女を護っているという。
それでも子供が生まれ、その子を守らねばならない母の役目が終わる時には連れて行かれるという。
最近、将門の加護が切れたようだ。
ちょっとした不義理をしてしまったという。
彼女は既に何度も交通事故に遭い、身体はボロボロであった。
そしてよく夢を見るようになる。
夢の中で、どこか大きな家でピアノを気持ち良く弾いていたのだが、謎の声が
「そろそろずっとここに居なさい。
邪魔者はもう居なくなったのだから。
ここでずっと弾いていなさい」
と言って来た。
そこで背筋がゾッとして目を覚ます。
それが毎晩のように繰り返される。
覚悟を決めていた筈だが、まだ子供が小さい。
せめて、前に占い師から言われたように、この子が大人になるまで寿命を延ばして欲しい。
そういう願いであった。
ユウキが聞こえたのは、将門云々の部分であった。
これが良くなかった。
坂東武者にとって、ある意味「平将門」とは「東国独立」の魁として敬われている。
ユウキの守護霊・長沼五郎三の先祖・藤原秀郷は、この将門を討った人物ではあるが、秀郷流の武士にしたら「それはそれ、これはこれ、うちの先祖のような名のある武士に討たれて将門公もさぞ幸せだろう」という考えであった。
その将門公が苦戦する相手と聞き、長沼五郎三は俄然やる気になったようだ。
そんな戦わせろオーラを、数部屋越しでも感じられる程強力に放たれた以上、芦屋は
「自分には無理です、すみません」
と言う事も出来ず、その晩はこの家に泊って貰い、一回様子を見て貰う事とした。
「また俺の守護霊頼みか?」
「違う!
断ったら、ユウキ君の守護霊に何をされるか分からないんだよ。
君、知らないんだろうけど、俺は頻繁に強制幽体離脱させられ、酷い目に遭ってるんだぞ」
その日は、女性の旦那さんにも来て貰い、空き部屋に寝て貰う。
果たして、女性は死んだような眠りにつく。
それに対し、芦屋もユウキも基本的には何もしない。
出来ない。
守護霊のやりたいようにさせる。
翌朝、女性はゲッソリした表情で目覚めた。
何が有ったのかを聞いてみる。
それは以下のようなものであった。
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――
彼女は気持ち良くピアノを弾いていた。
しかし、急にどこからか破壊音が聞こえる。
ピアノを弾いていた豪華な家の家具が滅茶苦茶に壊されていた。
見ると、甲冑を着て馬に乗った武士が、手当たり次第に物を破壊している。
やがてピアノにも巨大な木槌を振り下ろし、使用不能な状態に粉砕する。
「この愚か者が!
この無礼許さぬ」
どこかから声が聞こえる。
それはいつも優しく誘う声と同じであったが、今回のは怒気に満ちていた。
そして口からは牙が生え、額には縦に避けた第三の目が開き、3つの瞳は金色、赤ら顔で豪華な服を着た存在が現れる。
「このおろ……」
愚か者とすら言わせて貰えない。
武士は馬を使ってそのモノに体当たり。
跳ね飛ばすと、矢をガンガン放ち始める。
矢の先には刃がついていて、そのモノの腕を切り落としたり、目を射抜いたする。
倒れたそのモノに縄をかけると、馬を使って引き回し始めた。
そして、夢の中の話であるが、お堂のようなもの、祭壇、神像なんかを破壊していく。
目の前で破壊活動を見せつけられ、ドン引きして動く事も、目を覚ます事も出来ない女性。
やがて、引き摺られたモノは、崩壊が始まって消えていった。
しかし声はまだ聞こえる。
「愚か者め。
現身を幾ら消しても意味が無いと分からぬか?
余はそこには居らぬ。
余に刃は届かぬのだ」
そうなのだろう。
神という高次元の存在にしたら、人間の夢とか三次元世界には、像を写しているだけ。
その像にすら手も足も出ない、それが現世の人間な筈だ。
だが、武士は目を瞑っている。
声のする方を探っていた。
やがて目を開くと、一本の矢に自分の唾を付け
「日光権現、宇都宮、那須の温泉大明神」
と唱える。
彼女が武士の言葉を聞いたのは、これが最初であった。
そして矢が放たれる。
何処かを消える矢。
また声が届く。
「お前は何者だ?
天に唾するが如く、人の力は我々には届かぬものなのだ。
なのにお前は宇宙の枠を超えて矢を当てた。
信じられん」
宇宙とは、この場合は「次元」「天界や人間界や地獄界という世界の事」であろう。
「よく見ると、お前にも我等と同じ力を感じる。
お前も、あの守護神と同じように、この女を護るというのか?」
それに対し、武士の言葉は想像外であった。
「疾く、出でませ!
御首級、頂戴いたす」
(意訳:さっさと姿を現せ、首寄越せ!)
声は呆れたように言った。
「お前のような凶悪なモノを相手にするだけ無駄だ。
まあ良かろう。
我々にとってすぐに連れて行くのも、天寿を待つのも同じ事だ。
時間とは意味の無いものだからな」
武士はそんな言葉を無視し、
「疾く疾く、出でませ!
我が手柄になられよ」
と扇を開いて呼び出している。
「誰が行くか、馬鹿め!
話も通じぬ相手と付き合っておれん」
「こな卑怯ものよ」
また矢を放つ。
「痛いだろうが!
何だってこんな凶悪な奴が居るんだ?
もう良い。
お前の矢が届く所には近づかん!」
余程逃げられたのが気に入らなかったのだろう。
武士は辺り一面に火を放った。
女性は、その煙たさで目が覚めた。
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――――――――――
「ともかく、解放されたかもしれません。
ありがとうございます」
女性とその家族は礼を言って帰って行った。
謝礼に大金を包んでいたが、1万円だけを芦屋は受け取る。
その金で酒を買って来て、ユウキの守護霊に備えた。
「それにしても、神様にすら矢を当てるって、その武士何者なんだろうね?」
芦屋の呆れたような言葉に、ユウキはいつぞやの自称宇宙人の言葉を思い出していた。
「神とか仏とかは、高次元宇宙に居るそうだよ」
「え、ユウキ君、急に何を言い出すの?」
「以前、ちょっとおかしな事件に巻き込まれてね。
そこで聞いたんだ。
地獄の神とやらも、本体は別な高次元宇宙に居て、ここには姿を投影していただけ。
将門公も今では神だから、同じように姿を投影しているだけ。
影がいくつも出来るように、神は同時に複数の人間を護る事も出来れば、祟る事も出来る。
それに比べてうちの先祖は、神の居る次元よりも低いこの世界に残っているんだけど……
どうも次元を超える力があるみたいで」
「は?
そんな。
理解が追いつかねえ」
「そんな力があるって分かった上で言うけど……、
本当にうちの先祖、何者になっちゃったんだろう?」
結局、凡人には理解出来ない長沼五郎三であった。
おまけ:
鎌倉武士は基本的に負けず嫌いである。
ナメられたら、死を以って償わせる。
そんな鎌倉武士・長沼五郎三は、何度やってもサラブレッドに勝てない事が不満でならない。
そこで、子孫の同居人である芦屋ミツルの夢枕に立ち、競馬について説明させた。
「まず、馬の品種が違うから、逆立ちしても勝てないっス。
大きさが全然違うっしょ。
日本の固有種では歯が立ちませんよ。
……って、歯を立てないで!
その馬、こっちが言ってる事分かるんですか?
怒って噛みついて来たんですけど。
勘弁してや……」
その他にも乗馬の姿勢が全く違う。
まず弓など持っていない。
甲冑も着ていない。
戦闘用の姿勢ではなく、純粋に走る事に専念したスタイルである。
そういう事を細かく説明し、武士や軍馬がその存在意義を捨てない限り、決して勝てないと説明した。
長沼五郎三も、愛馬・至月も、ようやく「戦闘用の疾走では勝てない、あれは一里(3.93km)にも満たない距離を走り切るだけのものだと理解し、負けを受け容れた。
ジャンルが違うのである。
あいつらに、大鎧を着た武士を乗せて、荒れた戦場を走り回る事は出来ない。
やっと諦めてくれたようでホッとした芦屋であったが、彼の苦難はまだ続く。
「蹴鞠、馬比べと来たら、今度は相撲が観たい?
チケット取れないんで勘弁して……いえ、努力して手配させていただきます、はい!」
相変わらず矢を向けて脅迫する、守護されていない人に対しては悪霊同然の武士と愛馬であった。