「なんだ。腹でも痛いのか? 」 「……うっざ。通報すんぞ、おっさん」 俺はまだ17だ。この、クソガキが。
このお話を補完するおはなしを書きましたので、そちらもどうぞ。
11/16更新
「――少し、いいですか?」 「よくないです」 忙しいです、さようなら。お出口はあちらです。
「なんだ。腹でも痛いのか?」
「……うっざ。通報すんぞ、おっさん」
俺はまだ17だ。この、クソガキが。
その子に出会ったのは、駅前の広場だった。
まだ小学校の高学年くらいだろうか。持ち物や背格好から少し大人びては見えるが、同じ年頃の妹を持つ身としては、感覚的にわかるところがある。
手元の時計は午前9時を少し過ぎたくらい。休日はここから街へと繰り出す人が多く、中々の賑わいぶりを見せている。
そんななか、駅前の噴水の下。その前にいくつか設置されたベンチで一人、――さらりとした髪を肩まで伸ばし、数年後には、こりゃドエライ美人になるだろうな。そんな少女がしょんぼりと座っているもんだからさ。
我ながら、よせば良いのにな。
世間一般的に言えば、こんな少女に声をかけたとあれば、お世辞にもイケメンではない俺だ。周りの勘違い一つで即退場。世論はきっと許しちゃくれないさ、次の日には教室中で『ロリペドクソ野郎』というあだ名が自分の固有名詞になることだろう。
万が一にもそうなったら、アイツにもどんな目で見られることか、恐ろしい。
とは言ってもなぁ。わかっちゃいるけど、どうにも見過ごせない事ってのも、あるもので。
おそらくは、長年培ってきた『お兄ちゃん成分』が、俺の中で過剰に分泌された結果だろうね。
なんせ、休日といえど、この時間に小学生(仮)が泣きそうな顔で、手に持ったスマホを眺めてはグスリ。
俺は、たまたま隣のベンチに腰掛けていただけの無関係な一市民だけど、少女がなにやら悲しげに鼻をすすっているとあれば、非常に不本意ながら自分の妹と重ねてしまうわけで。
まぁ、その結果が、先ほど言われた暴言に繋がるわけだ。
俺の妹は、まだその時期が到来していないのだが、この子はいわゆる反抗期だろうね。
自分にもあったかどうか、その辺は覚えてないのだけど、もしさっきの台詞を身内から言われていれば泣いていたかもしれない。
だが、これですっきりした。この子には関わるべきではない。
俺は、そうかい邪魔したなと足早に元いたベンチへ回れ右。こういうときは二の句も告げず即撤退に限る。
多感な時期の女子小中学生には、近寄るべからずが大原則なのだ。
素直な良い子であれば、力の限り助け船を出すところだけど、この手のタイプは下手に手出しすると泥沼だ。良かれと思った行動が、何がどう曲解して周りに伝わるかわかったもんじゃない。
次の瞬間には防犯ベルが鳴らされているなんて、俺はゴメンだ。
「なにジロジロみてんの。やっぱりロリコン?」
おしかったな、今の調子で美人に成長すれば、10年後くらいには遊んであげても良いんだけどな。
「俺のストライクゾーンはもっと高めだ」
誰とは言わないけれど、同学年くらいがベスト。
「は? キモっ」
――意味わかんないんですけど。キモっ。
はてさて、あと何回俺は罵られればいいのかね。
しかも、――おいおい。勘弁してくれよ。
よいしょと、わざわざ俺の隣に座り直してきて、キモいのなら近寄るなよな。
理解できないという点においては、女子小学生は宇宙人と変わらない。まったく、この子は何をどうしたいのか。
「おっさんもひとりなの?」
「ほっとけ」
さっきはじめて会ったのに、まるで、親戚にでも話しかけるような気やすさなのだが、距離感のバグがやばくないか?
四人掛けのベンチなのに、すぐ隣に座るとか、何? 何が目的なの? それとも最近の小学生ってみんなこうなの? あと、俺はおっさんじゃない。
とにもかくにも厄介そうなクソガキだ。触らぬ神に祟りなし。ほかのベンチに移動しようと――腰を上げた時だった。
「そういえば、こないだ先生が言ってたっけ。最近、小学生に気安く声かけてくる変態がいるから、即通報――」
「よーし、そこまでだ」
マジでやめて。
俺はあれだ。待ち合わせだよ。もう約束の時間を20分ほど過ぎちゃいるがな。
いよいよ俺が観念したと見えたのだろうね、楽しいおもちゃを見つけたかのように、少女の顔が、いたずらに微笑んだ。
「待ち合わせ? ふーん、おっさんのくせにやるじゃん」
そう。
俺がわざわざこの休日に、こんな人の多いところまで足を運んだのは、満を持して清水の舞台から飛び降りたから。もとい、大好きな女の子との約束を取り付けたからに他ならないわけだが、
「そして、――ドタキャンされたんだ?」
「……」
恐ろしく的を射た質問に、くやしい。言い返せない。
……やっぱり迷惑だったのだろうか。
金曜日に突然、今度の日曜ヒマか? だもんな。下校途中の夕暮れ時だったし、もうアイツの家は目と鼻の先で、早く言わなきゃと焦っていたからだろう。緊張でちょっと声が上ずってたし、もしかすると気持ち悪かったのかも。
でもさ、アイツもその場でイヤならイヤと言ってくれれば、落ち込みはすれど、無理強いなんてしないのに。
『……わかった』
まぁ、あの場ではそう言ってくれたけど、ぷいっと顔を背けて逃げるように家に入った時点でいくらか察してやるべきだったかもしれない。
あぁ、イヤだイヤだ。達成感が先行して、その帰り道『やったぜ』なんて、小躍りして喜んだ自分が恥ずかしい。
時間に厳しいアイツだから、待ち合わせに遅れるなんてないはずだしさ。それを理由もなしにすっぽかしたとあれば、心底、来たくないのだろう。
せめて、何かしら理由をでっち上げてくれた方が幾分救われるのだが、それすら無いところを見ると、トホホだな。数年越しの片想いなわけだが、脈なしか。
「彼女?」
「……ちげーよ」
それなら俺は、何時間でも待つよ。……そうじゃなくても気が済むまで待つんだが。
「やっぱりね。どうせすっごい美人でしょ。高嶺の花だよ、はなから相手されないって」
ったく、さっきから弱点の突き方が上手い子だよ。
そうだよ、悲しいことにおっしゃるとおりだ。どうせ俺からの一方的な片想いだよ。
今日の待ち合わせも、あの手この手と画策して、遠回りに回り道で、どうにかこうにかこぎ着けたのに、その結果がコレだからな。ほら笑え。
「あんたヒトが良さそうだから、からかわれたんじゃない?」
目をそらし、無言を貫く俺の姿がどう映ったのだろうね。
イタズラに笑うその顔が、もし俺が小学生なら取っ組み合いのケンカになってるところだぞ。
そもそも初対面の年上に向かって、アンタ呼ばわりとは、いったいこの子の親はどういう教育をしているのだろうか。
あのな、義務教育で身につけるべきものは勉学だけじゃないからな。頭の使い方と人付き合いも同じくらい必須科目だから、親にもそう言っとけ。
それに、アイツの名誉のために言わせてもらうが、人をからかうだとかそんなくだらないことアイツは絶対にしない。中学からの付き合いだ、そんなヤツじゃないのはわかっている。
だから今回の一件は、俺の誘いが強引すぎたんだ。二日前にいきなり言われても、そんなの相手にとって迷惑なだけ。
そうなんだよなぁ。いっつもそうでさ、俺ってヤツはちっとも成長しやしない。
こんな出来の悪い俺だけど、毎回なんだかんだとアイツが助けてくれるから、きっと嫌われていないはずだ。なんて、……今更だけど勘違いだったんだよな。
傑作だよな。頑張ってオシャレして、デートプランまで考えてきて、はりきって待ち合わせの一時間前からスタンバって。……結局、コレだもんな。一人舞い上がっての独り相撲。ピエロすぎて、ヤベェ、泣けてくるわ。
「その子、絶対に彼氏いるって。すっごい可愛いんでしょ。いなきゃおかしいって」
おい、やめろ。
何この子? 言葉で俺を殺そうとしてんの? 切れ味鋭すぎてあと一歩で致命傷だぞ?
おっしゃるとおりメチャクチャ可愛いんだからな。他校の生徒からも告白されたなんて噂すらあるんだから、失恋したばかりの俺だぞ。今、彼氏の話なんかしたらリアルすぎて吐きそうになっちゃうだろ。
「だいたい、そっちこそどうなんだよ。朝から辛気くさい顔しやがって」
こんな目立つ場所で、可愛いくせにそんな顔してるから、俺みたいなのが話しかけちゃうんだろうが。
本当にその手の変態だったらどうするつもりだ。言うなればアレだぞ、お前自身が事案製造機なんだからな。
たぶん、次に口から出たこの言葉は、少女が、あまりにも的確に俺の痛いところを突くもんだから、上手くいかない恋心が、ふて腐れたのだろう。
あの時間から、あんな待ち合わせやすい場所で、ひとり、スマホを見ながら悲しい顔をしていたんだ。――言わなくても良いことは、基本、言わない方が良い。
それなのに、小学生相手に情けない。大人げない八つ当たりだったと思う。
「ようは、ドタキャンだろ? お前もさ」
一度、口から出た言葉は戻らない。
正直、言わなきゃよかったと後悔したが、もう後の祭り。
言ってしばらくは、その可愛い顔で気丈にも俺のほうを睨みつけてはいたんだけど、何かをこらえるように下唇をかんで、……ホロリ。
ひい~~~っ!!
俺の心は叫び声を上げたね。
あぁ、やっべ。やらかした。
その可愛い瞳から、思い出したかのようにポロポロと涙をこぼすもんだから。身から出た錆。小学生といえど、立派な女の子。こうなってしまうと俺は、もはやなすすべがない。
「……ちがうもん」
「お、おう。そうだよな、違うよな。ごめんな」
よく考えてみればそうなのだ。こんな少女が、朝から一人でしょんぼりしてるんだ。出歯亀根性丸出しで、どうしたこうしたと尋ねても、こんな冴えない俺だぜ? 一体何が出来るというのだろう。
仮に友達とのいざこざだったとして、俺が出て行ったところで何が変わるのか。余計に拗れて、今以上に苦しむことになるかもしれないのだ。
責任のとれない事に、首を突っ込むのは絶対にダメだ。
「ママとケンカしただけだもん」
「……ん?」
まま?
「アタシ、昨日お留守番したもん。今度の土日はお留守番してねってママが言うから、ちゃんと言うこと聞いて、いい子にしてたもん」
ままってあれだよな、母ちゃんのことだよな? 母ちゃんと、なんだって?
「だから今日はお姉ちゃんの番だもん。お留守番の日だもん。でも、大切な用事だからって。……そんなのずるいもん」
聞けば、この子。朝から母親と一悶着あったらしい。
どうやら姉が間違って予定を入れてしまったようで、その姉がどうしても外せない大切な用事だからと母ちゃんに泣きついたもんだから、巡り巡って、仕方ないわねと妹にお留守番の指令が出たらしい。
でも、そうは言っても遊びたい盛りの小学生だ。もしかするとこの子自身、本当に約束があったのかも知れないわけで、唐突にわいてでたその不条理に憤慨。そのまま黙って家を飛び出して、今に至る。
スマホを眺めていたのも、震えっぱなしの携帯画面を出もせずに、恨めしそうに睨みつけていただけとのこと。
「そ、そっかぁ、ママとケンカかぁ」
クソほどしょうもない理由だな。とは言えないけれど。同時に、良かったその程度の事で。ほっと、胸をなで下ろした。
そういえば、うちの妹もしょっちゅう母ちゃんとケンカしてるな。
何故か、最終的に俺のせいになっている事が多々あるのだけは納得できんが、この年代の女子は血の気が多いのだろうか。俺なんか、まず勝ち目なんてないことを悟っているからさ、争いが発生しないよう立ち回るんだけど。
「お姉ちゃんもキライ。バカじゃん。なんで今日予定入れるのよ」
その隣で、少女は悔しげに言葉を紡いでいく。
人様の家庭事情なんざ、聞いたところで何も面白くはないけれど、泣かせた手前、ここは聞き役に徹するべきだろう。
「どうせ、デートだもん。中学の時から片想いのヒトがいるって知ってるし、おとといは真っ赤な顔で帰ってきたし、昨日なんて、どれ着ていこうって鏡の前で浮かれてたし、わざわざ美容院まで行ってさ……ばっかみたい」
「おまえの姉ちゃん、青春謳歌してんなぁ」
この子の姉ならきっと可愛いんだろうな。いいなぁ、彼氏。
「ふん。どうせそんな相手、顔だけのクソ野郎だもん。お姉ちゃんなんて可愛いだけの真面目ちゃんだから、世間知らずの女なんて、騙されて泣いちゃうのがオチよ」
しばらくの間、小学生もストレスは溜まるのだろうね。まぁ愚痴る愚痴る。
ここは愚痴自慢大会の会場かと思うほどだった。
やれ、携帯のアドレス聞き出すのに数ヶ月かかっただとか、おなじクラス委員になったとか、いっしょに帰ろうと誘ってくれたとか。毎日毎日興味のないことを延々と聞かされる身になってみろ、うっとうしい。なんて、主に姉のことばかり。
何だか、耳が痛い内容も多数あって俺の心もわりかしダメージを負っているのだが、やっぱり片想いの人間の行動パターンは似通うのだろうね。
「そのくせモジモジしてばっかで全然進展しないんだもん。いつだったか、あぁもう面倒くさい! スマホ取り上げて、代わりにアタシが告白してあげるって画面操作したら、お姉ちゃん、どうしたと思う」
「……そりゃ、怒っただろ」
「いや、泣いた。号泣した。……彼は私の事なんてなんとも思ってないからって、それなら今のままでいいって、余計なことしないでって」
「ひでぇ妹だな」
「もちろんフリだよ。電話かけるフリ。でも、アタシ、初めて心の底からゴメンナサイした」
駅前の噴水が、マイナスイオンを振りまく中。高校生と小学生の凸凹コンビが、小一時間並んで座ってるんだ。
周りの目にはどう映ってるんだろうね。マイナス方向に勘ぐられてなければいいのだけど。
「は~、すっきりした」
言うだけ言って満足したのだろう。少女は、あ~もぅと唸りながら、ぐぅっと両腕を上げ背伸びをしてみせる。
「おっさんも気をつけなよ。女の子は中身だからね」
おう。肝に銘じておくよ。
疲れたOLが吐いたような、なんとも妙に為になる言葉だからな。やっぱりコイツ、十歳くらい年齢誤魔化してんじゃなかろうか。あと、おっさんはやめろ。
「はぁ~。……お姉ちゃんも、おっさんみたいなの連れて来ればいいのに」
優しいブサイクは、信用できるもんね。
そう言って、真っ赤な目のままでイタズラに笑うもんだから、呆れ半分、嬉しさ半分といったところか。俺もつられて笑ってしまう。
「おいおい、やめろよ。ブサイクが身の丈忘れて期待しちゃうだろ」
もし、俺が今の恋に完膚なきまで打ちのめされて、ベコベコに凹んでいたら、まずはお友達からお願いしたい。
「お姉ちゃん、面食いかもよ? 」
「そこで、可愛い妹の出番だろうが」
とうぜん、お前も口添えしろよ。10割増しで、俺を褒めちぎってくれよな。
「ゼロにいくら掛けても、限りなくゼロだよ」
「うるせぇ」
ひひひ。
少女はもう一度、小悪魔的に笑って見せた。
――だけど、平和な時間ってのは、そう長くは続かないもんで。
「おっさん、アイス食べたくない?」
「いっちばん安いやつな」
「は、だっさ。低所得負け犬クソザコおっさんじゃん」
「あ? てめぇこの。いちばん高ぇの買ってくるから待ってろ」
相変わらずの小生意気さを発揮して、俺にたかってありついた高級アイスのおかげか、幾分少女のご機嫌も回復した矢先。再度、少女のスマホが震えはじめたわけだ。
さっきから何度となく着信があるみたいだけど、いよいよ出た方がいいのでは。
「……ヤだ、出たくない」
十中八九、家族からだろうな。そして、黙って出てきたという話だから、電話の向こうは心底心配しているか、もしくは何度鳴らしても出ないワガママ娘に、怒り心頭、烈火のごとく感情を煮えたぎらせているかだろう。
画面とにらめっこしたまま。数十秒。未だ震え続けるスマホが、相手の必死さを伺わせた。
「さっさと出たほうがマシじゃね?」
「お姉ちゃんからだもん、……ずっとライン無視してたから、めっちゃ怒ってると思う」
サッと青ざめる少女の顔で色々と察することが出来る。
確かに画面には、『お姉ちゃん』と表示されており、よっぽど、姉ちゃんは怒らせると怖いんだろうな。確かに、楽しみにしていたデートがお流れになったとあれば、怒りのボルテージが軽くMAXを振り切っていてもおかしくはないか。
「でも、ちゃんと謝ったほうがいいぞ」
家族間といえど、先延ばしは面倒なことになりかねない。
それに、姉ちゃん側にも言わせてもらえるならば、デートを一度ドタキャンしたくらいでダメになる関係なら、そんな相手はやめとけ。どうせ長くは続かない。
だって俺なら何時間でも喜んで待つし、たとえ来なくても、余裕で許しちゃうもん。
俺は、真っ青になった少女に『なんなら一緒に謝ってやるよ』と大袈裟にガッツポーズ。
実際は、初対面の男が可愛い妹の隣にいれば、血相変えて即通報するだろうから、不可能に近い約束ではあるのだけど。
それでも、頑張れと、ずっと隣にいてやるからと笑って見せた。
「……なにそれ、もしかして口説いてるの?」
ずっと隣にいるってのは、そういう意味ではないけれど、ようやく少女が笑ってくれたから、俺も何だか気恥ずかしくなって笑ってしまう。
「なら、10年経ったら口説いてやるよ」
「おっさん、やっぱりロリコンじゃん」
「だからロリコンじゃねぇし、おっさんでもねぇよ」
いいから、電話に出てやれよ。
――多くの人が行き交う駅前で、様々なカップルの逢瀬を眺めながら、ゆっくり俺は空を仰ぎ見た。
せっかくのピーカン晴れ。本来なら手放しで喜ぶところだろうけど、残念なことに、今の俺にはどうにもありがたみなんてありゃしない。
先ほど見た時計は午前10時を過ぎており、こうなればいよいよ彼女は来ないのだろう。
やっぱり、失恋したみたいだな。先ほどの言葉を借りるとすれば、俺にはどうにも高嶺の花だったわけか。
中学からの恋心だからな、恥ずかしながら初恋でもあるわけで、そりゃ悔しくないわけでも、それこそ悲しくないわけでもないけれど、不思議と隣の少女のおかげか、取り乱すこともなく、しっかりと飲み込めている自分がいるのだから不思議な気分だ。
そのうち、また日をあらためてもう一度誘ってみるさと、相手にも理由があったのさと、そうポジティブに考えるほどには落ち着いていた。
隣から聞こえてくるやりとりも、そろそろ終わりのようで、もちろん電話先にいる相手の声が聞こえたわけではないけれど、どうやら円満に解決しそうで安心だ。
「ううん。こっちこそごめんなさい。お姉ちゃん、デート行けなかったよね。うん、わかった……すぐ帰る」
ほら、あのうれしそうな顔。子供の頃の諍いなんて、そんな構えるほどのものでもないさ。
その後、また遊んであげるわと少女が言うもんだから、二度とゴメンだねと返して、ようやくお開きの時間がやってきたらしい。
妙な縁が織りなした、小学生と高校生の凸凹コンビも無事解散と相成ったわけだ。
最後に、名前を聞いてきたもんだから素直に答えてやったんだけど、その時のあの顔は何だったんだろうね。
大きな瞳を、それこそまん丸に広げて、何度も俺の名前を確認してくるもんだから、別に聞き返されるようなDQNネームではないはずだけどな。
「へぇ、そう、ふーん。ちょっとビックリだけど。まぁ、納得かな」
「なんだそりゃ」
しかも、何の意味があってか高校とクラスまで聞いてくるもんだからさ、もしや、
「おい、SNSとかには書き込むなよ」
〇月〇日、駅前で〇〇と。
なんて、ネットの世界に個人情報が流出してみろ、しかも、男子高校生が女子小学生となんて、世の中にはとんでもない邪推をするヤツらが一定数いるからな。それこそ俺の社会的死期が近づいてしまう。
「バッカじゃん、そんなことしないよ。……そうだなぁ、ただの答え合わせかな」
そして、最後にもう一度、照れたように笑うと、小学生らしく大手を振りながらサヨナラ。
「10年後、期待してるからね!」
まったく、最後まで、生意気な小学生だ。
「約束したからね!」
「おう。売れ残ってたら、そん時は喜んでもらってやるよ」
安心しろ、お前は絶対美人になるから引く手数多だ。そこに俺なんかの出る幕はないさ。
人混みの中に消えていく少女を見えなくなるまで目で追いながら、我ながら、おかしなことを言ったもんだと思う。
さてと。――俺は、手元の時計を見やる。
ただいまの時刻、10時半を少し回ったところ。
さぁて、どうせ今日は予定なんてないからな。家に帰ったところで、やる事なんざない。
それならそうだな、まぁ12時くらいまで待って、やっぱりダメならラーメンでも食って帰るとするか。
せっかくの天気だから、腹が減るまでここでぼんやりするってのも良い休日の過ごし方かもしれないな。
晴れ渡る青空の下。
俺はさっきまでの騒がしさを少しだけ恋しく思いながら、いつ来るかわからない相手の到着を、もう一度待ちわびることにした。
※※※※※※※※※※※※
それからほんの数年後、
「ちょうど今、あの時言ってた『ストライクゾーン』だと思うけど、どうする?」
約束はまだだいぶ先だけどね。なんて、はじめてお呼ばれした恋人の実家で、目を見張るほどの美少女に言い寄られるわけだけど、
「ちょっと、どういうこと?」
隣では、よく似た顔の美女が、俺を見つめて殺気立ち、
「いや、どういうことかといわれても……」
「こういうことだよ、お姉ちゃん」
その、姉には期待できない豊満な部位を俺の腕に押し付けながら、
「は? 浮気?」
「ち、違うぞ!」
「そうだよ。アタシはあの時の約束を守ってるだけだもん。だから、」
――あの時から遊びはそっち。本命はこっち。 だよね? おっさん♡
あぁ、あの時のクソガキか! 覚えの悪い我が脳みそが、どうにか記憶の扉をこじ開けるころには、もうとっくに場の空気は氷点下。
それから俺を挟んでふたり、竜虎相まみえる修羅場となるわけだが、それはまた、別のお話。