武藤颯汰②
『あなたは、神様を信じますか?』
聞いたことのあるフレーズに思わず
「...宗教勧誘ですか?」
と返してしまった。
「いえ。違いますよ。」
くすくすと笑う彼女が何を言いたいのかわからない。
「神様を目上の方と仰ったので信じていらっしゃるのかなと。」
「あぁ...。いえ。そういうわけでは...。」
何となく神は偉いのだいう意識があるだけで、俺に信仰心はない。
「身を清める行為ですが、私は神様のために行うのでは無いと思っています。」
「え?」
「正確には、神様のためだけに、ですね。最近は、貴方のように神様を信じていない方が多くいらっしゃいます。でしたら、神様が穢れを嫌われるから身を清める必要はないと思いませんか?それなのに、神社にいらっしゃる方はここで身を清めていきます。なぜだと思いますか?」
「...そういう...ルールだから?」
「それもあると思います。ですが、皆さんご自身のために清めているのだと思います。」
「自分のため...。」
「ええ。神社にいらっしゃるということは神様にお祈りしたいことがあるからだと思います。皆さんその願いを叶えたいので神社の作法を守るのだと思います。」
言われてみればそうだ。日本で神を本気で信じている人は少ない。神社に来る人は神のためじゃなく、自分の願いを聞いて欲しくて来ているのだ。
「....名刺を.....。」
「名刺でございますか?」
「はい...。名刺を身分の低いものが低く出すのはなんでだと思いますか?」
俺は何を言っているのだろう。俺よりも若い巫女に神社とは関係の無い質問をしてしまった。でも、どうしても聞きたくなってしまった。この巫女なら答えてくれる気がしたのだ。巫女は少し考え、こう言った。
「どうしてでしょうね。」
俺は少しがっかりした。返答にもだが、いきなり質問をしてがっかりする自分の身勝手さにもがっかりだ。
「レッサーパンダをご存知ですか?」
「え。....あ。はい。」
「レッサーパンダは相手を威嚇する時に前足をを上にあげて後ろ足だけで立ち上がるんですよ。」
そういうと巫女は両手をあげてレッサーパンダの真似をした。
「どうですか?怖いですか?」
「怖くは...ないですね。」
「そうですよね。動物は相手よりも大きく見せることで怖がらせようとしますが、人間は相手よりも高いとか低いとかで偉さが決まるわけではないですよね。仮に本当に高いところから名刺を渡した方が偉いのであれば飛行機から落としてしまえばいいと思います。」
飛行機から落とすという発言に思わず笑ってしまった。言われてみればそうだ。俺は目上の人に名刺を低く相手に差し出す度、自分が格下で何も出来ない人間のように感じでいた。でも実際は弱いから低く渡す、強いから高く渡すというわけでは無いのだ。ではなぜ、俺は名刺を低く差し出しているのだろう。
「それも禊と同じではないでしょうか。」
「禊?」
「身を清めることでございます。相手が偉い人だから相手のためにわざと低く名刺を差し出してるのではなく、その相手と今後友好な関係を築いて行きたいと思うから低く出すのです。」
「なるほど...。相手と仲良くなりたいという自分の願いを叶えるため...。」
「そうですね。関係を築くために相手のことを思いやるというレッサーパンダにはできない人間ならではの作法ですね。」
「そうか....。禊も神様を思いやっての行動か..。」
俺の中にあった何かが一瞬にして無くなったような気がした。今まで何となくで生きてきて、教わったこと言う通りにして動いてきた。こんなこと意味が無いと否定することはあったが、どうしてしなければ行けないのだろうと自分で考えたことは無かった。言われた通りにやっているから悪くないと思い込んで、どこが悪かったのかを考えもしなかった。俺に足りなかったのはそういう力なのかもしれない。
「....あの!俺!」
「は、はい。」
急に大きな声を出したので驚かせてしまった。こんな大きな声を出したのは久々だったので裏返ってしまったが、俺はカバンから名刺を取り出した。
「俺...!〇✕会社、営業課の!武藤颯汰と言います...!」
両手で低く差し出した名刺は手汗で少し滲んでしまった。巫女は驚いた表情をしたあと先程と同じ微笑みを俺に向け、両手で名刺を受け取った。
「頂戴致します。あいにく名刺を持ち歩いておりませんので、口頭で失礼致します。私、矢間神社の巫女をしております、矢間陽神子ともうします。」
俺は、社会人8年目にして初めて自分の意思で名刺を交換した。大切なことに気づかせてくれた人に感謝を伝えるため。そして、今から俺は変わるのだという決意を神に見せるために。神を信じている訳じゃないが神社という神聖な雰囲気に当てられて、神様が大切なことを教えるために神社に招いたのではないかと少しだけ思ったからだ。
「陽神子さん。ありがとうございました。.....俺、仕事に戻ります。」
「ようこそのお参りでございました。お仕事頑張ってくださいね。」
俺は陽神子さんと神社に一礼をし、急いで会社に戻った。案の定、どこをフラフラしてたのだと上司に叱られてしまった。
それから俺は物事の意味を考えるようになった。
テンプレに当てはめるだけの資料は読み手の気持ちになって読みやすくなるように作った。すると、やり直しと言われる回数がだんだん減っていった。やり直せと言われたらどこがダメなのかを考え、改善するように努力した。資料には必要なことが書いてあればいいと思っていたが、相手のことを考えるだけで資料に目を通してもらえる。俺に足りないのは資料を作成する能力でも、調べる能力でも無く、相手を思う能力だった。
そんな簡単で当たり前のことに気が付かせてくれたあの神社に、また行かなければなと思う。今度は、1人で取った契約書を持って。
「ふぅ...。1人で神社の掃除をするのはやっぱり大変ね...。」
私が矢間神社の巫女をして10年。日課の掃除を終わらせ、境内を見渡す。神社は毎日掃除しなければいけない。神様は穢れを嫌い、清浄を好むと信じられているから。
「...信じるものは救われる...か。」
掃除道具を片付けて本殿のある方を向けば、夏の入道雲が夕日に照らされ赤く燃えるに広がっていた。そんな空に向かって私は呟いた。
「それなら、私は救っていただけないですね。」