武藤颯汰①
「暑い...。」
真上から照りつける容赦ない太陽を遮るように手をあげる。
今日の最高気温は38度。
顔の汗が頬を伝ってゆらゆらと揺れるアスファルトに流れ落ちる。水を飲んでもすぐに喉が渇いてしまうから意味が無い。
今すぐにでもクーラーが効いた部屋でビールを飲んで寝てしまいたいが、仕事中のためそうはいかない。
俺は武藤颯汰30歳。中小企業の営業をやっている。地元でそこそこ有名な大学に進学し、地元でそこそこの企業に就職してはや8年が経った。
小中高は何となく地元の公立に通い、男は大学に行くべきという身内の意見を鵜呑みにして自分の学力で行ける大学に行った。就職も特にやりたいこともなかったので地元では名のある企業に就職した。
就職してすぐはとても慌ただしく新鮮な日々を送っていた。
初めての一人暮らしは分からないことだらけでいかに自分が親に頼って生きてきたかを痛感した。洗濯をする時は柔軟剤を入れなければタオルが固くなってしまうことや、夏はゴミ箱にあるゴミをすぐにまとめて捨てなければ異臭を放つことなど、親がやってくれることが当たり前で気が付かなかったことが多かった。それでも毎日好きなものを食べて好きな時に寝る生活はそれなりに解放的で楽しく感じた。
仕事では名刺の渡し方や貰い方、言葉遣いや姿勢など業務内容ではなく基本的なマナーを教えられた。正直、名刺を渡す高さなんて重要なことではないと思っていた。身分が低いものが名刺を低く渡すなんてなんの意味があるのかと。
だが、俺は30歳になった今も相手よりも名刺を低く出し続けている。今日会ってきた取引先の社長は26歳。俺より4つも下なのに、考え方や未来を見据えているその姿がとても眩しかった。
新入社員の頃は教わることが多く、先輩や上司の言うことに従っているだけでよかった。それがいつからか、自分で考えて動くようにと言われた。
それからは散々だった。
先輩と一緒に取った契約は俺1人になった瞬間切られ、テンプレ通りに作った資料は毎回やり直しを要求される。教わったとおりにやっているのに契約が取れないまま気づけば三十路になっていた。俺より若い人がどんどん出世し、今日行った取引先も後輩が親戚の葬式に行くため代わりに行ってきたのだ。
「俺...なんのために会社にいるんだろう...。」
暑さのせいか、考え事のせいか、だんだんめまいがしてきた。日陰で休みたいと思い辺りを見渡すと、小さな森があった。比較的低めの鳥居があるから神社なのだろうと思うが年季が入っているからか少し入りにくい雰囲気を感じる。
「こんなところに神社があったのか。」
鳥居をくぐると陽の光が遮られてとても涼しく感じた。古いが丁寧に掃除されている参道を歩いていくと再び眩しい光と拝殿が見えてきた。
「鳥居もそうだったけど、拝殿も古いな。」
あまり綺麗とは言えない拝殿の近くに掃き掃除をしている巫女がいた。
「あら。こんにちは。」
挨拶をした巫女は10代にも20代にも見える小柄な人だった。
「こんにちは...。えっと....。」
「ご参拝ですか?」
「いや、ちょっと暑くて。涼もうと日陰に...。」
「そうでしたか。今日は特に暑いですねえ。」
「はい...。」
「少し涼しくして欲しいと神様にお願いしたいくらいですね。」
ふふふ。と笑う巫女はとても上品でいかにも巫女という感じだ。そんな巫女が神に願うと言うのだから本気なのか冗談なのかわからなかった。
「あ。よろしければ手水舎で手を清めませんか?少しは涼しくなるかもしれません。」
「手水舎?」
「はい。あちらにございます。」
手の方を向くと中央に水の入った桶に柄杓が置かれた小さな建物があった。
「いや。俺。やり方とか知らなくて...。」
「お教えいたしますよ。」
「じゃあ...。はい。」
用事もなく神社に入った他人にも優しいなんてさすが巫女だなと思いながら手水舎に向かった。
「まずは手水舎の前で一礼いたします。その後柄杓を右手で持ち、1杯のお水で4ヶ所を清めます。」
「4ヶ所?」
「順番も決まっていまして、左手、右手、口、最後に持ち手でございます。」
「持ち手もなんですね。」
「はい。左手を清め、柄杓を左手に持ち替えます。次に右手を清め、また柄杓を右手に持ち替えてください。左手に水を注ぎ、口の中をすすいでください。」
「え。水を口に入れるんですか。」
「衛生面や化粧が気になる場合は口をすすぐ真似で大丈夫ですよ。」
「なるほど...。」
「最後に両手で柄杓を持ち、立てて持ち手を清めます。柄杓を置き、一礼して終了です。」
「はぁ...。なんかめんどくさいですね。」
思わず思ったことを口に出してしまい慌てて巫女の方を見る。
「そうですね。でも手は少し涼しくなったでしょう?」
俺の言葉に怒ることなく、そう巫女は聞いてくる。
「あ...。はい。.....あの。なんで神社って入る前に手を洗う...いえ、清めるんですか。」
「神様が穢れを嫌われるからと言われております。」
「神のためですか。」
「はい。神様は清浄を好まれるため、昔は川などで身を清めていましたが、近くに川がない場所もあるため手水舎が作られたと言われております。」
「....結局これも目上のためか...。」
俺はため息をついて本殿を見た。
そんな俺を巫女が不思議そうに見つめていた。
「あ...。すみません。俺。仕事が...。」
「あの。」
「え。....なんですか?」
「あなたは、神様を信じますか?」