59話 乖離する心と白いキャンバス
キャンバスに筆を走らせる。
無心に、けれど一筆一筆真心を込めて丁寧に、色を塗り重ねてゆく。
妥協はしないが、自我も出さない。
自分はあくまでも裏方。
描き手のサポートに徹するのが己の役割だと幾度も言い聞かせながら、月成は筆を走らせていた。
「鳴海、そろそろ休憩してきていいぞ。後は俺がやっとくから」
文化祭でお披露目する巨大壁画の仕上げを手伝っていた月成は、背後から肩を叩かれてようやく現実に帰ってくる。
「分かった。他の場所手伝ってくる」
「いや、だから休憩しろって……聞いちゃいねえな」
返事も聞かず、疾風の如く駆け出していった月成に、男子生徒は肩を竦める。
「あれ、鳴海君は?」
壁画を描いていた美術部の女子生徒が、つい先程まで隣で作業していた月成の姿が何処にも見当たらないのに気が付き、不思議そうに辺りを見回す。
「鳴海なら別の場所手伝いに行ったぞ」
「また!? 今まで手伝ってもらってたあたしが言えることじゃないけど、あの子いつ見ても働いてない!?」
「本当にな。休めって言って素直に聞くタイプでもないし、その内ぶっ倒れんじゃね?」
「もう! シャレにならないこと言わないでよ!」
文化祭準備期間も、残るは一週間となった頃。
この時期になると、生徒達はクラスや部活の出し物の準備でてんてこ舞いになる。
月成も例外ではなく、朝七時から最終下校時刻まで慌ただしく校内を駆けずり回っていた。
大道具制作、買い出し、荷運び、備品修繕、絵の仕上げまで、月成の仕事は多岐に渡る。
素早く、仕事ぶりも丁寧な彼は今や何処に行っても重宝される万能ピンチヒッターと化していた。
あえて特定の係に就かず、手の足りていないグループを手伝い、落ち着いたらまた別のグループを手伝いに行く、という多忙な道を選んだ理由は、以下の通りだ。
「なんでって……俺はリオみたいに大局を見て的確に指示を振り分けることはできないし、協調性もない。でも、ごく限られた状況下で最適解を見つけ出すのだけは得意だからね。適材適所ってやつだよ」
あっけらかんと答えた月成に、同じく一年C組の実行委員である白藤叶未は思わず手にしたメロンパンを取り落とす。
「おっと、危ない」
月成はメロンパンが地面に落ちる前にキャッチすると、叶未の手に握らせる。
「叶未ちゃん、ご飯中にぼーっとしちゃダメだよ。メロンパンがダメになる所だった」
「そんなのどうだっていいでしょ!? どんだけ働けば気が済むのッ!? この体力オバケッ!」
「ええ……?」
数少ない月成の休憩時間、それは昼食タイムだ。
中庭のベンチで叶未とお弁当を食べながらここ数日の働きを語った所、突然茹で蛸みたいに真っ赤になった彼女に罵倒され、月成は困惑の表情を浮かべる。
尤も、彼の表情筋は硬いので、はたから見れば無表情にしか見えないのだが。
「なんで怒ってるの?」
「はぁ!? 別に怒ってなんかないしッ! 月成くんが馬鹿みたいに働き者なのは知ってたけど、ここまで馬鹿だとは思わなかっただけ!」
「馬鹿って二回も言われた……」
確かに、平日は朝から晩まで文化祭準備、休日は白詰草ノ塔攻略に当てているせいで、いつにも増して多忙ではあるが、月成にとっては充実感に満ちた日々だった。
「突出して特技があるわけでもない俺が他人の役に立つには、人一倍働くしかないでしょ? 俺一人の労働で誰かを助けられるなら安いものだよ」
「……はぁ……お人好しもここまで来ると病気ね……」
とうとう頭を抱えられてしまった。
自分なりに皆のお荷物にならないよう考えて、意欲的に行動したつもりなのだが、何か間違えてしまったのだろうか。
「……あ、そろそろアーチの手伝いに行かないと。またね、叶未ちゃん」
「まだ休憩時間なのに、もう働くつもりなの……? 月成くんがいいなら止めないけどさ……」
「うん、行ってくるね」
奥歯に物が挟まったような物言いの彼女を置いて、月成は駆け出した。
* * *
昇降口で靴を履き替え、渡り廊下を超えて体育館へとやってきた月成は、早速アーチ作成担当の美術部員を探す。
まだお昼休憩の時間だからか、体育館の人影は疎らだ。
体育館の隅、全身絵の具まみれになりながら絵を描いている男子生徒の前で月成は立ち止まり、敬礼をする。
「臥竜部長、こんにちは」
「ん? ……おお、鳴海氏ではないか!」
臥竜と呼ばれた男子生徒は、分厚い瓶底眼鏡の下の瞳を細めて月成を凝視したかと思うと、ぱっと顔を綻ばせた。
「はい。ピンチヒッター鳴海月成、ただいままかり越しました」
「よくぞ来てくれた、あちらのアーチの仕上げを手伝ってくれたまえ! 君の仕事は丁寧だからな、期待しているぞ!」
「ガッテン承知です」
寝癖なのか癖毛なのかも分からないバサバサの黒髪を頭の後ろでひとつに束ね、白いシャツに絵の具のシミを大量に作りながらキャンバスに龍を描く臥竜は、変わり者で気難しいと評判の美術部部長だった。
二人が知り合った切っ掛けは、美術部の展示作品のアシスタントとして月成がやってきた時。
初めは部外者が関わるのを良しとしなかった臥竜だったが、月成の真面目で丁寧な仕事っぷりに今ではすっかり心を許している。
「どうだ、鳴海氏。そろそろ我が美術部に入る気になったかね?」
「お誘いは嬉しいですけど、遠慮しておきます。部活に入ると自由に動ける時間が減るので」
「ははは! 正直なことだ。だから気に入った。しかし、気が変わったらいつでも来るといい! 我が部は君を歓迎するぞ!」
「あはは……」
最近は隙あらば美術部に勧誘されるので、月成も少し辟易としていた。
月成は美術部に限らず、特定の部活動に所属するつもりはない。
そんな暇があるなら自身の鍛錬や、人助けに時間を使いたいからだ。
「うははは! 良い、良いぞ! 見たまえ鳴海氏! 吾の渾身の龍を! 今にも飛び立ちそうだ!」
喋り続ける間も、目にも留まらぬスピードで筆を動かす臥竜。
普通であれば自意識過剰とも取れる発言だが、彼の描く龍は生きているかの如く荒々しい迫力に満ちていた。
月成もそれなりに絵が描ける方だと自負しているが、臥竜の溢れる才能の前では比べ物にならない。
純粋な画力の高さは勿論のこと、その奇抜な発想力や、それを形にする表現力は、天性のものとしか言いようがなかった。
(……俺も負けてられないな)
月成も下描き通りに筆を走らせてゆく。
彼が手伝っているのは、文化祭当日に校門前に飾るアーチだ。
全身ツギハギだらけのウサギっぽい謎のキャラクターが、威嚇するように鋭い鉤爪の付いた両手を上げたポーズをし、大きく開いた口の中を空洞にくり抜いてアーチ状にした、極めて前衛的なデザインなのだが、何故か女子には好評だった。
どうやらこのウサギは人気スマホゲームのキャラクターらしいが、月成には不気味なウサギとしか思えない。
しかし、仕事は仕事。
下描き通りに色を載せて、乾かして、上から色を塗り重ねて……その繰り返し。
無心で手を動かしていると、いつの間にか真横に臥竜の顔があった。
一切の気配なく近づいてきたので、心臓が飛び出そうになったが、臥竜はまるで気にせず月成の手元を観察している。
「……素晴らしい。人によって指紋や歩き方が異なるように、人の絵柄は千差万別。どれだけ気をつけていても、己の癖が出てしまうものだ。しかし君は、どんな絵であろうと百パーセント下描きに沿って忠実に描く。絵を描くというよりは、複製作業をしているかのようだ」
「……それ、褒めてます?」
「無論、褒めているとも。君はアシスタントとして最高だと言っているのだ。絵師としては三流だがな」
「絶対褒められてないですよね?」
いちいち口を挟んでくる臥竜に集中力を削がれつつも、作業を進めていると、ふっと雲がかかったように突然視界が暗くなった。
停電だろうかと顔を上げると、壁と見間違えるほど背の高い男子生徒が悪戯っぽい笑みを浮かべて月成の前に佇んでいた。
「…………リオ」
「よっ。どんな調子や?」
「遅くても明日中には、って所かな。乾かす時間も必要だし」
「はは、そんだけ超大作やったら時間もかかるわな」
からからと笑いながら、利桜は麦茶のペットボトルを投げ渡してくる。
「差し入れや。お前のことやし、どうせロクに休みも取ってへんやろ」
「失礼な。さっきまで叶未ちゃんとご飯食べてたよ」
「ほーん、そうかそうか。なら、メシ休憩以外で少しでも休んだか?」
「む……」
「はぁ……そんなことやと思ったわ。このワーカホリックめ」
麦茶を口に含んだまま、分かりやすく言葉を詰まらせる月成に、利桜は深い溜息を吐いた。
人に溜息を吐かれるのは本日二回目だ。
解せぬ。
「それにしても、お前って絵まで描けたんやな。料理も得意やったし。逆にお前にできひんことって何があんねん」
「ただ器用貧乏なだけだよ。俺は普通の中学生なんだから」
「…………普通、か」
自分の実力は自分が1番把握しているし、褒められるほどでもないと思って発した言葉なのだが、その瞬間利桜の笑顔が固まった。
だが、月成はそのことには気づかずに話を続ける。
「俺からしたらリオの方がすごいよ。同じ学年だけじゃなくて、上級生や先生にも頼られててさ。実質リオが現場の総監督みたいなものじゃん」
「……まさか。俺は委員長の期待裏切らないよう必死こいてるだけやって」
「な〜に謙遜してんだよ、折部リーダー。事実、お前がいなきゃ現場回んねーだろうが」
突然割り込んできた男子生徒が、後ろから利桜の肩に手を回す。
「そうそう。委員長は事務仕事で忙しいとか言って中々こっち来ないしさ、現場でまとめる人は必須だよね」
「よっ、次期実行委員長!」
「お前ら勝手なこと言うな! 俺は実行委員長になりたいなんざ一言も言うてへんのやからな!?」
それを皮切りに、他の生徒達も次々と会話に混ざってきた。
そこからは皆でリオを囲んで褒めちぎる流れになったので、月成はそっと存在感を消して自分の作業に戻った。
(リオ、皆に好かれててすごいなぁ)
元から人気者ではあったが、文化祭準備が始まって以降、一層頼られるようになった友の姿に、月成は一抹の寂しさを覚えた。
月成もあちこち手伝っている内に顔見知りは増えたが、友達と呼べる存在は少ない。
きっと、まだまだ努力が足りていないのだろう。
一層気を引き締めていかなければ、と月成は筆を持つ手に力を込めた。




