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幻想異聞録ムーンデーヴァ  作者: 天槻悠奈
序章 クレマチスの憧憬
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5話 すぱいしー・あんど・くれいじー

 旧校舎で出会ったあの日からというもの、折部は毎日のように月成のクラスに遊びに来るようになった。

 違うクラスの人間が万屋の噂を聞きつけて月成を訪ねてくるのは珍しい出来事でもない。

 ただ、依頼も何も関係なく、休み時間丸ごと月成と雑談だけしては名残惜しそうに去ってゆく人間は後にも先にも折部だけだったので、最初の頃は周りが物珍しげに様子を窺っていた。

 しかしそれも日を追うごとに慣れたのか、落ち着いてきたので、月成もあまり気にしないようにしている。


「なぁ、お前なんかよそよそしくないか?」


 昼休み。

 前の席の生徒が不在なのを良いことに、勝手に席を拝借して月成の机とくっつけている折部が、突然そんなことを言い始めた。


「……急になんなの、折部くん」

「ソレやソレ。いつまで苗字で呼ぶ気やねん。俺ら同じ学年やろーが」

「人に向かって指をささないの」


 眼前に突き立てられた人差し指をそっと押し返す月成は相も変わらず無表情のままだったが、内心では折部の言い分にも一理あると認めていた。


(でも、こういうのってよく分からないんだよなぁ)


 自家製の梅じそおにぎりを咀嚼しながら、月成は思考する。

 今まで月成が家族を除いて親しくなった人間は極端に年上か、年下かの二択だった。

 つまり、同年代の男子との交流の仕方が分からないのである。

 周りを観察した限り、下の名前で呼び合っているケースが多いようなので、月成も倣うべきなのだろうか。

 ……しかし、名前呼びに変更するにあたって、致命的な問題が残されていた。


(……俺、折部くんのフルネーム知らないんだよなぁ)


 そう。

 初対面からずっと『折部くん』呼びが定着しているので、フルネームを尋ねる機会がなかったのだ。

 そのことに気づいたのは大分後になってからで、今更名前を訊いて変な空気になるのも怖かったので、今日の今日まで訊けずじまいでいた。


「えーと……」


 無言で期待という名の重圧をかけてくる折部と目を合わせないよう俯いていると、ふと彼の弁当箱に目が留まった。

 朱に塗られた重箱の片隅に、マジックペンで名前が書いているのを奇跡的に発見する。

 これだ! と思って注視するが、あまり見ない漢字の組み合わせで、読み方が分からない。

 流行りのキラキラネームというやつなのだろう。


(折部……リオ、かな?)


 自信はなかったが、他の読み方も思いつかなかったので、恐る恐る、それを口にする。


「り……リオ、くん?」


 名前を読み上げてからしばらく、折部はきょとんとした顔でフリーズしていた。

 やはり間違えてしまったのかと月成が不安になり始めた頃、折部はにっこりと笑みを浮かべた。


「……うん! そういうのもええな!」

「そ、そう?」

「なんなら『くん』も要らん。リオでええよ。俺も月成って呼ぶから」

「いいけど」

「よっしゃ! 決まりやで!」


 何がそんなに嬉しいのか不思議になるくらいの喜びっぷりに、月成はただ首を傾げるしかなかった。

 と、そんな時。


「おい鳴海。ちょっといいか?」


 同じクラスの男子生徒が一人、月成とリオの間に割り込んでくる。

 月成は咄嗟に名前が出てこなかったものの、その特徴からよく雑用を頼んでくる生徒だと気がつく。

 声が大きいし、馴れ馴れしく肩に腕を回してきたりするので、苦手なタイプだが、困っていると請われて断れる月成ではなかった。


「俺今日どうしても外せない用事があってさ。部室の掃除代わりに……」

「おいバカお前! 後ろ見ろ、後ろ!」

「後ろ?」


 彼は例に漏れず、今回も雑用を頼もうとしていたようだが、周囲のクラスメイトが必死に押し留める。

 尋常ではない様子に、何事かと月成は視線を彼の後ろに向けて、全てを察した。

 いつの間にそこに立っていたのだろうか。

 背後に大口を開けて威嚇する蛇と虎のオーラを背負った男女二人組が、昏い眼差しで男子生徒を睨みつけている。


「……ふむ。君、確か野球部のヤツやったな?」

「え? そ、それが何か……」


 その高い身長を活かし、腕を組んで威圧感たっぷりに男子生徒を見下ろしながら、リオは疑問を口にする。


「おかしいな。今日野球部は一日かけて大掃除するってマネージャーから聞いてんねんけど。部室の掃除よりも優先せなあかん用事ってなんなんや?」

「え、いや、それはその……」

「私、知ってるよ。今日他校との合コンがあるんですって? 何も言わずに部活をサボったらマネージャーにキレられるから、月成くんを代わりに行かせようって心算なんでしょ」


 食い気味に答えた叶未に、男子生徒は小さく肩を震わせる。

 どうやら図星を突かれたらしく、驚愕に目を見開きながら口を開いたり閉じたりしている。

 二人がその隙を見逃すはずもなく、ずり落ちた眼鏡を直しながら、眼光を一層鋭くする。


「ほう、合コンなぁ。うちの学校そういうの禁止しとるはずなんやけど、これは先生方に報告せなあかんかなぁ?」

「するべきでしょ。ああ、ほんっと最低。こんなやつ、全身の穴という穴から血を噴き出して死ねばいいのに」

「あ、それええな。試してみるか?」

「ひぇっ……な、鳴海! やっぱなんでもねえわ! じゃあな!」

「あっ……」


 リオが不気味に笑みを深めながら、意味ありげに男子生徒を見やると、彼はすっかり青ざめた顔で、逃げるように教室を飛び出して行った。


(……行っちゃった)


 無理もないだろう。

 リオが獲物をじわじわと毒で痛めつけ、動きを止める蛇なら、叶未は一切の容赦なく牙や爪で獲物を引き裂く虎だ。

 そんな彼らに睨まれて、普通の中学生が耐えられるはずもない。

 恐る恐る、二人に視線を戻すと、先程の出来事などなかったかのように、和やかに弁当をつつき合っていた。


「おうおう月成、全然昼飯食っとらんやんけ。食わんなら唐揚げもらうで」

「ちょっと折部くん、食べすぎだよ。月成くんの分がなくなっちゃうじゃない」

「な、なんや叶未ぃ。お前はさっさと女子グループに帰れよ」

「なんでよ! 私はもうお昼ご飯食べ終わったし、第一、ここが私の席なんだからいいでしょ!」


 先程の騒動で教室全体が静まり返っていたが、こういった騒動も一度や二度ではないので、すぐに元の空気に戻りつつあった。

 誰も何も気にしていない風に見えたが、ここで大人しく黙っていられるほど、月成は我慢強くはなかった。


「ちょ、ちょっと二人とも。あんまり怖がらせちゃダメだよ。本当に困ってたのかもしれないし」

「やとしても、自分の部室の掃除は自分でやるべきやろ。月成に頼む意味が分からん」

「同感だね。あ、折部くんのタコさんウインナーひとつもらっていい?」

「お前もう食べ終わったんちゃうんかい」

「いいでしょ、ひとつくらい。ケチくさいなぁ」

「むぐ……」


 勇気を振り絞って注意するが、逆に言いくるめられ、しょんぼりと背中を丸める。

 ――月成は知らなかった。

 リオと叶未が揃っている時に、鳴海月成に雑用を押し付けてはならないという暗黙のルールが出来上がっているということを。

 虎の威を借る狐ならぬ、虎と蛇の威を借る兎という構図が出来上がっていることを知らぬのは、(月成)のみだった。



     *   *   *


 今日は午前授業のみの日なので、部活に所属していない生徒は昼食後、軽く校内の清掃を終えると、早々に帰宅の準備を始めていた。

 叶未はテニス部の練習の為に体育館に向かってしまったので、月成はリオと共に帰宅することになった。

 月成が小さくあくびを漏らすと、リオが目ざとく気付いて不安そうに顔を覗き込んでくる。


「……月成、大丈夫か?」

「大丈夫って、なにが?」

「誤魔化すな。朝からずっと上の空やし、あくびもさっきので三十二回目やぞ。ちゃんと寝てへんやろ」

「なんで数えてんの……こわ……」

「オイコラ待てぇ! 人が心配してるのにその態度はなんや君ぃ!? そこに直らんかい!」


 半眼でリオを睨みながら距離を空けると、リオが大声で怒鳴りながら詰め寄ってきた。

 迫真のツッコミに、月成は思わず噴き出してしまう。


「冗談だよ。ちょっと遅くまで本読んでて、寝不足気味なだけ」

「なんや、またか。集中するのはええけど、ほどほどにせんと読書禁止にするからな」

「それは困るなぁ」


 この時、月成は少し嘘をついた。

 本当は、本を読んでいたせいではなく、毎晩のように見る夢が気になって、寝付けなかったのだ。

 瞼を閉じれば、影絵の丘と、白い少女の後ろ姿が浮かぶ。

 しかも、日に日に少女との距離が近くなっていて、昨夜なんてとうとう少女の真後ろまで辿り着いたのだ。

 だが、声をかけようと喉に力を込めた瞬間、目を覚ましてしまった。

 何度も夢の続きを見ようと意気込んだが、結局眠れないまま、気がつけば窓の外が明るくなっていた。


(……あと、一回。もう少しで、あの子と話ができる)


 あの子に尋ねたいことは、山ほどある。

 何故毎晩月成の夢の中に出てくるのか、あそこで何をしているのか、名前はなんというのか。

 今夜こそは絶対に話しかけるという決心を胸に、月成は顔を上げて。


「…………え?」

 

 ふと見上げた校舎の屋上、黄色いレインコートを着た子供のような人影と目が合った気がして、思わず口を半開きにしたまま間抜けな顔を晒してしまう。

 どうして、あんな場所に子供がいるのだろう。

 見間違いかと思って目を擦ると、次の瞬間には夢のように跡形もなく霧散していた。


「あれ……?」

「どないしたんや、月成?」


 リオは突然立ち止まった月成を不思議そうに見つめた後、月成の視線を追って屋上を視界に収めるが、当然そこには何もいない。


「いや……子供が見えた気がしたんだけど、気のせいかな」

「子供ぉ? あの屋上は立ち入り禁止区域やで。子供がおるはずないやろ」

「うん、そうだよね……」


 リオもこう言っていることだし、疲れた脳が何かの影を人の形に錯覚しただけだろう。

 腑に落ちない点から目を逸らして、納得させた時だった。


 ――目の前の校舎が、真っ赤な光に包まれながら、崩れ落ちたのは。


「なっ……!?」

「な、なんや!?」


 鉄筋コンクリートが砕け散る爆音に、反射的に耳を塞ぐ。

 まるで足場が積み木に変わってしまったかのようにグラグラと激しく揺れて、すぐに立っていられなくなった月成は、亀のように背中を丸めて、振動と熱風に耐える。

 今何が起こっているのか、誰にも理解できなかったが、死という明確な恐怖だけがずっと頭を支配していた。



     *   *   *


 どのくらいの時が経過しただろう。

 地震が収まったのに気が付いた月成がそっと顔を上げた時、世界は一変していた。

 雲ひとつなく晴れ渡っていた青空は、目が痛くなるほど原色に近い赤に染まっている。

 校舎があった場所には瓦礫と骨組みが残り、グラウンドは自分達と同じように倒れている生徒で埋め尽くされ、時折悲鳴や啜り泣く声が風に乗って聴こえてくる。

 地獄としか表現しようのない世界の中心部で、誰もがただ呆然と立ち竦む他なかったが、周りがそんな状態だからこそ、月成達はいち早く冷静さを取り戻せた。


「……ば、爆発?」

「いや、分からん。校舎の被害はエグいけど、見た限り酷い怪我を負っているやつは一人もおらんな。それに、周りのアレはなんや?」


 リオがハンカチで口元を押さえながら、きょろきょろと視線を彷徨わせている。

 言われてみれば、コンクリートが焦げる臭いに混じって、何処からか鼻が曲がるような悪臭が流れてくる。

 夏場に母が生肉を冷蔵庫に入れ忘れて腐らせてしまった時の臭いもかなり強烈だったが、あれよりも遥かに不快な臭いだ。

 腐った生ゴミと鉄錆の香りを足したような悪臭は、グラウンドをぐるりと取り囲む外壁から発せられているらしかった。

 赤黒い巨大な壁が外界と学校とを隔て、遥か昔からそこに存在していたと言わんばかりに堂々と聳え立っている。


「なんや、アレ……あんなの、なかったよな……?」


 リオも絶句している。

 あんなに高い壁を、この一瞬で建築できるはずもない。

 では、あの壁はどこからやってきたというのか。


「……俺が見てくる。リオは怪我人がいないか確かめてきて」

「はっ!? おい、月成!」


 背後から呼び止める声も無視して、月成は壁に駆け寄る。


(大雨の日に田んぼの様子を見に行く老人も、こんな心境なのかな)


 近づくごとに悪臭が強くなるのと同時に、その壁の異様さがありありと分かってくる。

 柔らく分厚い壁の表面には表面をぬるりとした粘液に覆われており、更には血管のような模様が浮かび上がり、脈動していた。


(まるで、生き物みたいだ。壁に向かってこんな形容詞を使う日が来るだなんて、想像もしてなかったけれど)


 肉の壁は果てが見えないほど高く、本来のフェンスや校門も絡み取られて埋もれてしまっている。

 この肉の壁をどうにかしないことには救援も呼びに行けないが、高すぎてよじ登れそうにもないし、この見た目のせいで穴を開けるのにも抵抗がある。

 そもそも、掘削できるような道具も持っていない。


(……いや、旧校舎に行けばあるか)


 月成が作業場にしている倉庫に、ツルハシやスコップが置いてあるのは知っている。

 あのオンボロ工具でどこまでやれるかは不明だが、何もないよりはマシだろう。


(どういうわけか、携帯も繋がらないし……大人を探しつつ、道具を回収しに行こう)


 横目でちらりとリオを確認したが、幸いなことに、彼は生存者に声をかけるのに必死で、月成から注意が逸れている。


(どうせ勝手に動こうとしたら止められるだろうし、今の内に……)


 リオに悟られないよう、極限まで気配を消しながら、月成は旧校舎への道を急いだ。

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