38話 エンヴィー・トライアングル
紫電は鬼灯の顔面に向けてまっすぐ飛んでいったが、ぶつかる寸前で弾けて跡形もなく消え去ってしまう。
鬼灯は視線を揺らすこともせず消滅を見届けると、優雅に髪を掻き上げた。
「おやおや、宴席で攻撃魔術とは穏やかじゃないな。落ち着きたまえよ」
「うるさいッ! アンタはいつも! 人を小馬鹿にしてッ!」
「何を怒っているんだい? 僕はただ、愛弟子のお披露目をしただけだというのに」
「こ、コイツ……! よくもまぁいけしゃあしゃあと言えたものね……!」
愛弟子、という単語を強調しながら、勝ち誇った顔で月成の肩を抱き寄せる鬼灯に、弓弦はいよいよ噴火しそうなほど顔に熱を集中させる。
「え、えぇ〜……?」
意図せず猛獣と猛禽の睨み合いに巻き込まれた小動物こと月成は、ただ状況を見守ることしかできなかった。
鬼灯が何らかの悪意を持って、此処で自分のお披露目を行わせただろうことは推測できたが、どうして自分の顔を見るなり弓弦が怒り出したのかが分からない。
間違いなく初対面のはずだというのに。
(一体、何が起きてるんだろう……?)
助けを求めて視線を彷徨わせるが、気付けば周りを囲んでいたはずの人々は忽然と姿を消している。
それどころか、自分達を中心に半径数メートルほど空間が空いていた。
(いつの間に!?)
飛び火を恐れて離れたのだろうが、あまりにも対応が早すぎる。
尚も月成が諦め悪く視線を巡らせていると、人混みから少し離れた場所に見知った顔を見つけた。
見習いの証である白いローブを着た子供達の中でも、頭ひとつ飛び抜けている七三眼鏡の少年――リオ。
月成と目が合ったのに気がつくと、彼は困った表情を浮かべ、口をはくはくと動かす。
――あ、き、ら、め、ろ。
声は出さず、唇の動きだけでそう伝えてくると、リオは人混みの奥へと消えていった。
「ちょ、リ――……」
月成が呼び止めようとしたのも束の間、何者かに強く腕を引っ張られる。
行動を中断させられたことに不満を抱きながら振り返ると、月成を掴んだ犯人はなんと弓弦だった。
彼は強引に月成を腕の中に収め、鬼灯に詰め寄る。
「大体、アンタに魔術の指導ができるの!? 正式な魔術師でもないくせに!」
「ご心配なく。僕が教えるのは主に幻界やアーキソードについてだからね。むしろそちらが僕の専門分野だし」
「ぐっ……だとしても、その子に魔力があるなら訓練は必須よ。アタシならすでに弟子を魔法大学に送り出した実績もあるし、学習環境だって完璧よ! アンタなんかよりよっぽど相応しいわ!」
「魔法大学……ああ、君の一番弟子のことかい? 成績は優秀だけど、問題行動ばっかり起こして停学と転科を繰り返しているっていう? ダメだよ、ただ勉強させるだけじゃなくて一般常識や道徳心も教えてあげないと」
「うっ……うるさいわね! アンタに一般常識を語られたくないわよ! この社会不適合者!」
……これはまずい、と月成は悟る。
鬼灯がひたすらに煽り散らかすものだから、口論はヒートアップするばかり。
誰かが止めなければ魔術も暴力も何でもアリの無差別大乱闘が始まってしまいそうな予感がするが、この空気の中、割り込もうと思える勇者は居ないだろう。
むしろ、いるとすれば、それは馬鹿を通り越して大馬鹿者だ。
「――はいはい、二人とも。喧嘩はそこまでだよぉ」
緊張感のない間延びした口調に、張り詰めていた空気が僅かに弛緩する。
一体どこの大馬鹿者が割り込んできたのかと鬼灯が冷めた視線を投げかけた矢先。
そこに立っていた人物が誰か理解した瞬間、それまで飄々としていた鬼灯が、目を見開いたまま硬直した。
その尋常ならざる反応に月成も振り返ろうとしたが、それよりも早く、件の人物は弓弦の拘束を器用に解くと、月成を外に引っ張り出した。
解放された月成が顔を上げると、ワインレッドのドレスに身を包んだ少女と目が合う。
潤んだ瞳と、ぷっくりと膨らんだ唇はルビーの如く赤く、頭の後ろで団子に結い上げられた艶やかな黒髪が肌の白さを際立たせる。
歳の頃は月成と同じか、少し上くらいだろうか。
幼いながらも完成された美しさに目を奪われていた月成だったが、彼女が自分を弓弦達から引き剥がしてくれたのだと気が付き、慌てて感謝の言葉を口にする。
「あ……ありがとう。えっと……」
「アラクネ・マーヴェリックだよぉ。よろしくねぇ」
「う、うん。アラクネちゃん……」
「――ちょっとアンタ! 急に割り込んできてなんなのよ!」
アラクネ、の四文字を口の中で転がすように呟いていると、押し退けられた弓弦が不満も露わにアラクネへ突っかかる。
だが、アラクネはまるで怯える様子もなく、あざとい仕草で首を傾げる。
さりげなく、月成を己の背中に隠しながら。
「えー? せっかくのパーティーなのに、喧嘩してるなんてもったいないよねぇ? あらまぁは、みんなで美味しいものを食べて楽しくお喋りしたいだけなのにぃ……」
「ぐ……」
無垢な少女の訴えに、周囲もうんうんと頷いている。
そこで初めて自分がヒートアップしすぎていたことに気が付いたらしい弓弦は深く息を吸い込んだ後、周りに向き直る。
「……皆、お騒がせしてごめんなさいね。パーティーを続けてちょうだい」
それだけ残して、弓弦が自分の席へと戻ったのを皮切りに、水を打ったように静まり返っていた会場が再び賑わい始める。
たった今騒動があったばかりなのに皆切り替えが早いな、と月成は驚いたが、今夜呼ばれているのは弓弦と鬼灯を幼い頃から知る者ばかりであり、あのくらいの騒ぎは彼らにとって日常茶飯事だと彼に教える者はいない。
「……まぁ、ここが潮時か。そこそこ楽しめたからいいや」
鬼灯も、あっさりと身を退いた弓弦に物足りなさを感じながらも、その場から立ち去るべく、己の弟子に呼びかける。
「月成君、僕達も向こうでご飯食べようか」
「……………………」
「月成君?」
返事がないのを不審に思った鬼灯が振り向くと、月成はアラクネの背中に隠れたまま、恨みがましく鬼灯を睨みつけていた。
「……まず、俺に言うべきことがあるんじゃないんですか?」
「え? あー……」
「こういったことには無頓着そうな鬼灯さんが、当日の衣装から挨拶まで細かく指定してきた時点で、おかしいとは思ってましたけど。全部、雅楽海さんを怒らせる為だったんですか?」
「それは、その……」
視線を明後日の方向に彷徨わせている鬼灯を見て、やはり意図的に騒動になるよう仕向けていたのだと確信を得た月成は、更に詰め寄る。
「重ねてお尋ねします。……雅楽海さんは、どうして俺を見て怒ったんですか?」
「……あれぇ? 君、ホントに何も知らないのぉ?」
鬼灯よりも早く反応したアラクネに、どういう意味かと視線で問えば、彼女はまるで夕食のメニューを伝えるような気軽さで、こう続けた。
「そりゃあ、怒りもするでしょ? 彼からしたら、元婚約者もその息子も奪われ――……」
「あらまぁ君! ちょっとこっちに来ようか!」
「んぇ? なぁにぃ〜?」
「少し話してくるから! 月成君はご飯でも食べて待ってて!」
鬼灯はアラクネの発言に被せる形で大声を発すると、そのまま彼女を引きずって会場の外に行ってしまった。
一人その場に取り残された月成は、鬼灯の去っていった方角を呆然と眺める。
「……元婚約者? 何の話?」
『さぁな。とりあえず大事にならなくてよかったぜ』
いつの間にか真横に立っていたバーンに、月成は冷ややかな視線を送る。
「…………ああ、バーン君。戻ってきてたんだ」
『うぐ……さては置いてったの根に持ってるな……?』
「……ちょっとだけ」
『ご、ゴメンて……あの雅楽海ってヤツ、なんか魔力の感じが怖かったんだって……』
騒動が始まると同時に気配を消した不忠実者の脇腹に軽くパンチをしつつ、言われた通り飲食スペースで鬼灯の帰りを待つ。
バーンは主が困っていた時、真っ先に逃げた負い目があるからか、月成の分も取り分けてくると言ってバイキングのコーナーに行ってしまった。
それほど腹を立てていたわけではないものの、先程の騒動で気疲れしていた月成は、遠慮なく好意に甘えることにした。
(緊張が解れた途端、急に疲れが……)
テーブルに並べられたジュースを視界に入れた瞬間、月成はようやく自分の喉がカラカラなのに気がつく。
甘いジュースで渇きを潤そうとグラスに手を伸ばした、その瞬間だった。
「う、わ……!?」
背中に強い衝撃を感じ、月成の体が大きく傾く。
テーブルにぶつかる直前、咄嗟に身を捻って受け身を取ったが、手元のグラスにまでは気を配れず、白いローブに思いっきりオレンジジュースがかかってしまう。
「ひぇ……!?」
――このレース、本物だよな? アンティークレースって高いんじゃ……こっちの宝石も本物だし……――
いつぞやの会話が脳裏を過ぎる。
(す、推定数十万円の服が……!)
絶対に汚すまいと誓っていたにも関わらず、速攻で汚してしまった。
「ふ、拭くもの……!」
ハンカチなどは持ち歩いていない。
控え室まで戻ればタオルくらいはあるだろうと思い立った月成は、慌ててその場から駆け出す。
踵の高い靴を履いてきてしまった上、丈の長いローブが足に纏わりつくせいで、走りにくいことこの上ない。
(こんな時に限って……!)
一刻も早く控え室に向かいたいが、下手に走れば転んでしまいそうだ。
足元にばかり注意していた月成は、前方の人物に気付くのが遅れてしまった。
「ぐっ……」
「わわっ……!?」
衝撃の後、尻餅をつきそうになって、咄嗟に眼を閉じる。
……しかし、覚悟していた衝撃はいつまで経っても訪れない。
恐る恐る瞼を開けば、至近距離に恐ろしく綺麗な顔があった。
夜の闇のように深い黒髪に、まるで一個の彫像のように完璧に均整の取れた顔立ち。
切れ長の瞳や、薄い唇は何処か冷たい印象を覚えるが、絶世の美少年と言っても過言ではない。
今まで散々美形に囲まれてきた月成でも、思わず言葉を失ってしまうほど。
咄嗟に支えようとしてくれただけなのだろうが、彼の腕が腰に回っているのが無性に恥ずかしくなってきた月成は、慌てて距離を取る。
「ご、ごめんなさい。前見てなくて――……」
「――胡桃?」
「え?」
下げかけた頭を上げると、何故か少年の方も驚いた表情を浮かべていたが、すぐに『……いや、違う』と誰に言うでもなく呟き、月成の腰から手を放した。
しかし、それきり黙り込んでしまい、二人の間に気まずい空気が流れる。
「あの、何か――……」
『大将!』
まるで幽霊でも見るかのような目が気になって、訪ねようとした矢先、背後から聞き慣れた声に呼ばれる。
振り返ると、タオルを持ったバーンが早足でこちらに向かってくるのが見えた。
同時に、ジュースでびしょ濡れだという現実まで思い出した月成は血相を変える。
「あっ……ごめん、今行く! ……それじゃ、失礼しますね」
「あ、ああ……」
後ろ髪を引かれる思いだったが、落ちているヴェールを拾いつつバーンの元へと戻ると、彼は眉を吊り上げながら月成のローブを拭き始める。
『何やってんだよ、びしょ濡れじゃねえか! 風邪引くぞ!』
「ご、ごめん」
これに関しては完全に自分が悪いので、反射的に謝罪の言葉が口を突いて出る。
……しかし、違和感を覚えた月成は、疑問をそのまま口にした。
「……バーン君、なんでタオルなんて持ってるの?」
『あ? 戻る時に、子供がジュースをこぼして走っていくのが見えたって話してる連中がいたから、もしかしてと思って持ってきたんだよ。大将って鈍臭そうだし』
「恐ろしく信用がないな……」
こぼしてしまったのは事実だが、釈然としない。
しかし、まだ疑問は残る。
謎の美少年との邂逅のせいで記憶が吹き飛びかけていたが、ジュースをこぼした時、確かに後ろから何者かに押された。
偶然ぶつかっただけかもしれないが、その直後に聴こえたくすくすと笑う声が耳の奥にこびりついている。
(わざと押された……? いや、まさかね……)
押されたと言う確証もないし、下手に騒ぎ立てて大事になるのも嫌だった月成は、不吉な予感をそっと胸の奥にしまい込んだ。




