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幻想異聞録ムーンデーヴァ  作者: 天槻悠奈
一章 蒼氷の姫は斯くも咲う
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12話 お茶でも飲んでごゆっくり

 目蓋越しにも感じる眩しさに、月成はベッドの上で身をよじる。

 薄く目蓋を開けば、真っ白な光が上空から降り注いでいる。

 月成の目が眩しさに慣れた頃、視界に初めに映ったのは、見知らぬ天井だった。

 そして、あれだけ眩しく感じていた光は、蛍光灯の明かりだったようだ。


「病院……?」


 喉がひどく渇いているせいか、口からまろびでた声は情けないほど掠れてしまっている。

 調子が悪いのは喉だけではない。

 目蓋が重く、瞬きひとつですら、ひどく労力を要する行為に思えた。

 いや、目蓋だけではなく、全身が鉛に変わってしまったかのように重い。

 まるで何年も動かしていなかったかのように関節が凝り固まっていて、手足は皮膚の内側から微弱な電流を流されている。


「……これが『知らない天井だ』ってやつか。なるほど」


 そんな不調(デバフ)まみれの状態でも、テンプレ通りの台詞を呟くくらいの余裕はあるようだ。

 ……そもそも、体調が万全な方が珍しいので慣れていた、というのもあるが。

 脈拍も安定しているし、呼吸もしっかりできているから、このくらいならまだマシだとすら思える。


『お目覚めですか』

「っ!?」


 突然視界の端からフェードインしてきた女性の顔に、月成はベッドの上で飛び上がりそうになるくらい驚く。


「な、なっ……!?」


 首だけを動かして確認すれば、ベッドのすぐ横に置かれた椅子に、メイドのお仕着せを着た女性が、膝に両手を置いて行儀良く座っていた。

 落ち着いたモノクロの空間の中で不自然に浮かび上がる、鮮やかな青緑色の髪と瞳。

 アニメキャラのコスプレでもしているのかと思うほど奇抜な格好をした彼女は、椅子にちょこんと腰かけたまま微動だにしない。

 本物の人形と見紛うレベルだが、確かにさっき月成の顔を覗き込んできたのは彼女だ。


『ただちにマスターをお呼びしますので、お待ちください』

「え、あの……」


 頭に疑問符を浮かべる月成を置き去りにして、メイド姿の女性は足早に部屋を出て行こうとする。

 あまりにも部屋の景観に溶け込みすぎていて分からなかったが、白い壁の一部が扉になっているらしく、左右に開いて、女性が出て行った後、元通りに閉じる。

 一人残された月成は、女性が出て行った扉を見つめたまま呆然と固まっていたが、途中で我に返って、他に何かないか室内をきょろきょろ見渡す。

 天井どころか壁や床に至るまで真っ白で、ベッドと医療器具以外は何も置かれていない、殺風景な空間の中心に、自分は寝かせられているようだった。

 真っ先に頭に浮かんだのは病院という単語だったが、すぐに否定する。

 小さい頃、何度か病院のお世話になった経験があるが、こんなに広い空間の真ん中にベッドと機械だけがポツンと置いてある病室は見たことがない。

 そもそも病院にメイドがいるわけないし。


「ナースコールとかも見当たらないし、病院というよりは実験室みたいだな」


 呟いた瞬間、月成の背筋が粟立つ。

 冗談のつもりで口にした言葉だったが、自身の状況を鑑みれば、それもあり得なくはないとようやく思い至ったからだ。

 学校の上空が赤く染まったあの日。

 月成は信じがたい光景を嫌というほど目の当たりにさせられたし、他ならぬ自分自身も人の理解が及ばない"異能"を使った。

 あまりに非現実的な記憶に、もしかしたら夢だったのではないかという希望的観測に駆られるが、そんな月成を嘲笑うかのように、掌に冷たい感触が現れる。

 視線を向ければ、右手にいつの間にか黄金の剣を握り締めていた。

 奇妙に捻れていて、剣と呼べるかも怪しい形状のそれを蛍光灯にかざせば、明かりを反射して硬質な輝きを放つ。

 重さを感じないどころか、初めから体の一部だったように自由自在に振り回せる不思議な剣は、間違いなくあの時のものだ。


「……夢じゃない」


 あの日の出来事は全て現実だった。

 目が痛くなるような赤い空も、一瞬にして粉々になった校舎も、外界と学校を隔絶して聳え立つ肉の壁も、燃え盛る建物の中で大立ち回りしたのも。

 ……少女を、この腕に抱いたのも。

 途中でぷっつりと記憶が途切れてしまっているが、恐らく月成は魔力の使い過ぎで倒れたのだろう。


(……あの子達は?)


 室内を隈なく見回すが、一緒にいたはずのバーンや、白い少女の姿はどこにもない。

 寝ぼけていた頭が目覚めるに連れ、全身から温度が失われてゆく。

 血管の中に霜が張り、血液がシャーベット状になったような悪寒が駆け巡る。


「バーン君っ! いるなら返事して!」


 堪らず友の名を大声で叫ぶが、返事どころか気配すら感じられない。

 しばらく呼びかけ続けるも、やはり返事はない。

 焦れったくなった月成は裸足のまま床に足をつけ、立ち上がろうとするも、支え代わりにベッドに着いていた肘が何かに絡まり、バランスを崩してしまう。


「う、わ」


 咄嗟に体を捻ってベッドの方角に倒れ込むと、柔らかなクッションが衝撃を吸収してくれたらしく、痛みがないことを確認すると、月成はホッと安堵の息を吐いた。

 驚いて集中が切れた拍子に、手の中の剣も消えてしまう。

 どうやら、現実世界でこの剣の形を維持するには相当な集中力が必要らしかった。

 月成はすぐに思考を切り替え、倒れる寸前、蔓のようなものが腕に絡まり、引っ張られたように感じたことを思い出す。

 腕を確認しようと首を傾けた瞬間、赤みがかった銀色の髪が垂れてきた。


「…………え」


 間抜けな声が漏れてしまうのも無理はない。

 咄嗟に自分の頭に触れ、その毛束が自分の頭皮から生えているものだと確かめた月成の顔が、再び青ざめてゆく。


「な、なんで……こんなに伸びて……っ!?」

「それはこっちが訊きたいんだけどな」


 月成の疑問に被せるように、若い男の声が響く。

 声の聴こえた方角を振り返ると、さっき女性が出て行った扉に白衣を着た人物がもたれかかっていた。

 中性的な容姿で、一目見ただけでは男か女か分からなかったが、女性にしては肩幅が広く、背も高いので、恐らくは男性だろう。

 豊かな金髪は頭の後ろでひとつに括り付けているだけで、顔立ちは恐ろしく整っているくせに化粧っ気はないし、着ている白衣もよく見ればしわくちゃで、薬品のシミまでついている。


(……身嗜みに頓着がないんだろうか)


 初対面の月成ですらもそう思ってしまうほど、玖蘭鬼灯は残念な美人だった。

 鬼灯は、さっきまでメイド服の女性が腰かけていた椅子に腰を下ろした。

 反射的に月成が身構えると、微笑を浮かべる。

 容姿が整っている上、立っているだけで周囲の視線を一心に集める優美さを持った彼の微笑みは女神の魅了にも等しい魅力があり、危うく月成も絆されかけたが、辛うじて正気を保った。


「初めまして、鳴海月成君。僕はここの責任者の玖蘭鬼灯だよ。目が覚めたばかりで悪いけれど、いくつかお話を訊かせてもらってもいいかい?」


 流れるような挨拶に、月成は片眉を跳ね上げる。


「なんで、俺の名前……」

「君の友達が教えてくれたよ」

「友達……?」

『大将ぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおぉぉ!!!』


 言うが早いか、白衣の襟から碧い炎が飛び出す。

 それは月成の目の前まで飛んでくると、一際激しく燃え上がった。


「バーン君……!」

『ばかやろぉおおおおおおお! 起きるの遅えんだよぉぉおおおおおぉ! オレ様がどんだけ心配したと思ってるんだ!? 飯は一日三食しか喉を通らなかったし夜しか眠れなかったんだぞ!?』

「いやガッツリ食べてるし寝てるじゃないか」


 鬼灯はすかさずツッコミを入れる。

 そしてどこから取り出したのか、虫取り網を振ってバーンを捕獲する。


『わーーー!? なんだこれ!? はーなーせーーー!』

「あんまりブンブン飛び回らないでおくれよ。気が散る」

『ふぎゃ!? せ、精霊である俺を虫扱いするなんて……!』

「実質虫みたいなものだろう。羽根ついてるし」

『学者にあるまじきクソガバ理論やめろ! つーかオマエも半分は精霊だろうが! 属性魔術のひとつも使えないカスが調子乗ってんじゃねえぞ!』

「よし、今日の晩ご飯は精霊の踊り食いにしよっか」

『おいやめろ! ガチで口に入れようとすんな! ノー! 共食いノー!』


 戯れ合う二人(一人と一匹?)の光景に、完全に蚊帳の外に置いて行かれた月成は目を丸くする。

 バーン達がどうなったのか、気が気でなかったが、今のやり取りから察するに、捕まって酷い目に遭わされている、とかではなさそうだ。

 感動の再会という空気ではなくなってしまったが、安堵に胸を撫で下ろしていると、ちょんちょん、と何者かに服の裾を引っ張られた。


「……猫?」


 どこからやってきたのか、ふわふわの毛玉が月成の体をよじ登ろうとしている。

 雪の塊みたいに真っ白なのに、耳と手足と尻尾の先の毛は黒いせいで、黒い靴下を履かされているような模様が愛らしい。

 悪魔のような角と蝙蝠羽のアクセサリーを付けているが、飼い主の趣味だろうか。

 仔猫は月成の膝まで辿り着くと、そこが落ち着くとばかりに手足を折り畳んで座り込んだ。


「仲が良いね」


 バーンとの痴話喧嘩を終えたらしい鬼灯が、月成の膝の上で丸くなる子猫を覗き込んで微笑む。

 尚、バーンはこれまたどこから持ってきたのか、鳥籠に押し込められて天井に吊り下げられている。

 前衛芸術的なランプの一種にしか見えないのはさておき、鬼灯がこの部屋に入ってきた時、確かに手ぶらだったはずなのだが、どうなっているのだろう。


「この子、あなたの猫ですか?」

「おや、君の彼女じゃないのかい?」

「は?」


 怪訝そうに眉を寄せる月成に、鬼灯は苦笑を浮かべる。

 その笑い方は前にも見たことがあった。

 確か、叶未にビンタされて保健室に行った時に、零音から向けられた意味深な困り笑いと同じ表情。

 ただし、鬼灯に関しては同情というよりも面白がっている色の方が強いが。


「君はこの子を大事そうに抱きかかえたまま倒れてたんだよ」

「はぁ……」


 全くもって記憶にない。

 月成が覚えている最後の記憶は、あの屋上で、倒れそうになる彼女を受け止めた瞬間で途切れている。

 ……嫌な汗が月成の背中を伝う。


「…………まさか」

「そのまさかだね」


 対する鬼灯の声色は、憎々しいくらい愉しげで。

 続く言葉を口に出さずとも、答えを語っているも同然だった。


(……そんなはずはない)


 月成が倒れる前に抱きしめていたのは女の子であって、猫ではないと頭では理解しているのに。

 膝の上の猫は、真ん丸な瞳で月成をじっと見上げている。

 その瞳は、美しい紫水晶(アメジスト)の色で。


「……きみ、あの時の?」


 猫が質問に答えるわけがないとは思いながらも恐る恐る問いかけると、猫は頭を微かに上下に揺らす。

 それが肯定の意味だと確信した月成は、猫を抱き上げるとモフモフの海に顔を沈めた。


「まじかー……」


 もっと早く気がつくべきだったのかもしれない。

 この子は人間でもなければ、ただの猫でもなく、魔獣(アニマ)と呼ばれる生き物だ。

 アクセサリーだと思っていた角や羽根も非常にリアルな触感で、しっかりと体に固定されていて外れそうにない。

 恐らく、これも本物なのだろう。

 モフモフを味わう月成に羨ましそうな目を向けながら、鬼灯は軽く咳払いをする。


「そろそろ本題に入りたいんだけど、いいかな?」

「あ、はい」


 咳払いで鬼灯の存在を思い出した月成は、ベッドの上で姿勢を正す。

 反対に鬼灯は足を組んで座っていて、自宅のようなリラックスっぷりだ。


「君に訊かなきゃいけないことはいくつかあるんだけど、まず、君は創造主(ロード)で間違いないね?」

「……たぶん、そうじゃないですかね」


 意地の悪い質問だ。

 友達(バーン)に月成の名前を訊いたというのなら、事情については粗方彼から訊いているだろうに。


「あなたは一体何者なんです? それにこの場所は?」

「僕はただの魔導学者で、ここは僕の研究所だよ。君を連れてきたのは単純に治療と、事情聴取が目的」

「事情聴取、ね」


 月成は鬼灯の背後で激しく揺れる鳥籠に目線を送る。


「あの日あの場所で何が起こったかについては、俺よりもバーン君の方が詳しいと思いますよ。俺はただ居合わせただけの一般人ですから」


 月成は一息で言い切ると、顔を逸らす。

 愛想のない態度になってしまったのは、まだ鬼灯を心の底から信頼しきれないからというのもあるが、どこからどこまでを話せばいいのか分からなかったというのが一番の理由だ。

 そんな月成の葛藤を見透かしていると言わんばかりに、鬼灯は笑みを深くして月成に顔を寄せる。


「バーン君におおよその話は訊いたのは事実だけれど、君からも話を訊きたかったんだよ」

「……何が知りたいっていうんです?」

「んー、そうだね。まずは君のクラスから」

「一年C組ですけど」

「ううん、学校のクラスじゃなくて、創造主(ロード)としてのクラスのこと」

創造主(ロード)としての……?」


 月成が首を傾げていると、鬼灯は簡単に説明をしてくれた。

 創造主(ロード)は、剣の形状や戦闘スタイルに応じて七つのクラスに振り分けられるということ。

 近接戦に優れたブレイヴ。

 高い防御性能を持つシールダー。

 飛び道具を扱うシューター。

 アニマを使役し騎乗するライダー。

 治癒と浄化に特化したパニッシャー。

 隠密に特化したアサシン。


「……そして最後は"天秤"の役目を果たすと言われるルーラーなわけだけど、これはまずあり得ないね」

「あり得ない、というと?」

「このクラスは他の六つとは役割が違う。創造主(ロード)の影響で世界に致命的なエラーが出た際、創造主達を統治する役割を持つ者を指す特殊クラスなんだ。だから天秤の護り手(ルーラー)はひとつの世代に一人までしか覚醒しない」

「……なるほど、だから"支配者(ルーラー)"なんですね」

「その通り」


 天秤、という単語に月成は僅かに肩を跳ねさせて反応したが、特に質問は挟まず、大人しく相槌を打つ。

 月成が余計な口を挟まないのに気を快くしたのか、鬼灯は上機嫌そうに言葉を続ける。


「ただ、厄介なのが裁定の基準は完全にルーラー個人に委任されているって点なんだよね。……ルーラーに選ばれた者が悪しき思想の持ち主である場合、どうなると思う?」


 鬼灯は指を一本立て、月成に向ける。

 何も悪いことはしていないはずなのに、心臓がぎくりと鳴り、嫌な汗が額から頬へ伝う。

 自分は今、何を訊かれているのだろう。

 鬼灯はそんなことを探って、どうするつもりなのだろう。

 鬼灯は変わらず、麗しい(かんばせ)に花が咲くような微笑を湛えているが、答えによっては自分の身が危うくなるような予感がした。

 黙り込めば動揺に気付かれてしまうので、なるべく間を空けないように答える。


「……エラーを放って好き勝手しているわけだから、最悪の場合世界が滅ぶ、とか?」

「正解。まぁ、いかんせん実例が少ないものだから、彼らの性能も、もたらす結果も、未知数なんだけれどね」

『……オイ、玖蘭鬼灯。回りくどい訊き方してねーで、普通に訊いたらどうだ?』


 鳥籠の中で黙って事態を見守っていたバーンが口を挟むと、鬼灯は小さく溜息を吐く。


「そういうわけにもいかないだろう」

『あ? うちの大将が信じられねーっていうのか? 何も知らねークセにたった一人で幻界(ラビリンス)の中枢に突っ込む筋金入りのバ……お人好しだぞ?』

「今バカって言いかけなかった?」

『ひゅー、ひゅー……?』


 月成が半眼で睨みつけると、バーンはわざとらしく口笛を吹きながら、明後日の方向に目線を逸らす。

 あ、逃げた。

 これ以上の追及は無駄だと感じた月成は、鬼灯に向き直る。

 なんだか、バーンのお陰でさっきまで抱いていた躊躇が吹き飛んでしまった。


「……鬼灯さんは、俺のクラスがルーラーじゃないかと疑ってるんですね」

「ああ。その通りだよ」


 鬼灯は月成の方から切り出してきたのに驚いている様子だったが、大人なだけあってか、すぐに平常運転に戻る。


「クラスについては、俺もまだよく分からないので答えられません」

『戦い方だけ見るならブレイヴっぽかったけどな〜』

「ルーラーは他のクラスと違って、戦い方は人それぞれだから、それだけで判別はできないよ」

『ちぇっ』


 即座に嗜められ、バーンは拗ねたように鳥籠の奥に隠れてしまう。


「そもそもの話、なんで鬼灯さんは俺がルーラーだと疑ってるんですか?」

「色々と根拠はあるけど、そうだね。一番の理由は、一連の状況があまりにもお膳立てされすぎていたからだろうね。あの子が言っていたことも気になるし」

「え?」


 蘭玉(アクアマリン)の瞳が、何処か遠くを見つめるように細められる。

 何も知らない月成は、鬼灯の目線を辿るが、当然そこには真っ白な壁があるだけで、頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。


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