プロローグ 魔女の手紙
少年は、星の海に小さな舟を浮かべる。
胸にはいっぱいの希望を、リュックには真っ白な仔猫を詰めて。
未熟なその手に溢れんばかりの青い理想は、時には重石となるでしょう。
荷を下ろしたくなる時もあるかもしれない。
けれどどうか、忘れないで。
一面に紫が咲き誇る花畑で、一際輝く星に向かって手を伸ばした運命の夜を。
その日から、あなたを取り巻く残酷で愉快な歯車が廻り始めたことを。
わたしは泡沫の夢。
泡のようにひっそりと、人魚姫のような美しさを演出することもなく、流れては消え失せる存在。
わたしはあなたをずっと視ていた。
眺めることしかできなかった。
その、呪いじみた運命を。
愛の茨は満遍なく。
頭の天辺から爪先まで、少年を雁字搦めに絡め取り、ひとつ身動きを取るごとに小さな体を傷つけてゆく。
それでもあなたは痛みに耐えて、皮膚が裂けるのにも構わず荊を掻き分けて、引きちぎって、前に進み続けた。
誰よりも無力な少年は、神の決めた運命なんて存在しないとばかりに、勇敢に己の運命に立ち向かった。
その小さな背中に、どれほどの人が勇気付けられたことでしょう。
あなたが意図していなくとも、あなたが救ってきたものは、確かに存在する。
わたしは泡沫の夢、切り離された一欠片。
真夏の悪夢のようにひっそりと、誰の記憶に留まることもなく、虚ろに融けるだけの存在。
すでに残滓と成り果てたわたしの言葉は、あなたには届かない。
わたしにできるのは、あなたの永い旅路が少しでも善いものになるように祈り続けることくらい。
どうか、その茨の路に救いがありますように。
……前置きはこのくらいにして、始めましょう。
これからわたしが語り聞かせるのは、或る運命の噺。
まずは、月の系譜のはじまりを。
恋も知らない少年が、たったひとつの愛を求めて旅をする、長い長い冒険のお噺から、語ろう。
貴方が眠りにつくのが先か、わたしが役目を終えるのが先か、楽しみね。
――親愛なる貴方の隣人・フィーネより、愛を込めて。