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第三章 少年王と戦友 (3)

(3)


 ジャスティスが導かれたのは、古びた酒場の奥であった。サラは店主に話を通してあったのか、自分の家のように押し入り、店内を清掃していた老人へ目配せをしただけであった。老人も、にっこりとジャスティスに微笑みかけただけで、すぐに汚れた床へ目を落とした。

 奥の部屋は、老人の休憩場のようだった。あるいは、ここでそのまま暮らしているのかもしれない。生活に必要な一通りのものが、狭い空間に並べられていた。サラはジャスティスを部屋へ入れた後、自分もすばやく入り、扉へ鍵をかけた。ふう、と一息ついて、彼女は笑顔でジャスティスを振り返った。

 「グラちゃん、久しぶり。なんかいろんな噂だけ流れてきて、ケビンと心配してたんだよー」

 相変わらずの、とぼけたようなゆったりとした口調。これで意外と狡猾で、したたかな娘なのである。サラは子供を産んだ影響か、幾分、ふっくらしたようにジャスティスには思えた。しかし、くりくりとしたよく動く瞳や、いかにも悪戯の好きそうな顔中のそばかすは、全く変わらない。

 高貴な生まれのスリノア王子、ジャスティス=グラム=スリノアをふざけたあだ名で最初に呼んだのは、他ならぬ彼女であった。最初は「ジャッティ」と呼ぼうとしたそうだが、スリノア騎士たちに剣で凄まれ、二度と言わないと誓わされたとのことであった。王族である彼のファーストネームは同じ王族しか口にしてはならない、という慣習を、騎士たちは頑なに守ろうとしたわけである。それを笑って聞きながら、幼子であった当時の彼は、胸のうちで寂しく思った。すでに、彼のファーストネームを堂々と口にできる者は、この世にいなかったからだ。呼ばれない名に何の価値があるのかと、幼子は考えた。彼はその後、何度か一人のときに、「ジャッティ」とつぶやいてみたものだった。悪くない、と何度も思った。

 「でも、まあ元気そうだね。背も伸びたし」

 屈託なく笑うサラ。暗鬱としていたジャスティスの心に、かすかに光が差した。

 「おまえは、少し太ったな」

 「あ。やっぱり生意気ぃ」

 二人は一瞬だけ笑い合うと、それだけで再会を満足した。次には、置かれた状況の打破へと話が及ぶ。

 「あたしもケビンも、この村が好きだからね、見かけない変な奴が来ないように、ある程度情報張ってるんだ。今うろついてる二人は、三日も前から来てて、村のこと見たり聞いたりして回ってる。多分、ちゃんとした組織のプロじゃないかな。先手取るの、けっこう苦労したよ」

 「助かった。よくあのタイミングで来られたものだ」

 「グラちゃんが来たときから見てたんだけどね、目立ってたからさ。お付きの騎士、3人いたでしょ」

 サラの話によると、ジャスティスが店へ入る直前、村の娘が駆けてきて、近衛騎士の一人に手紙を渡したのだという。それを開いて一目見るなり、その騎士は慌てた様子で残りの2名へ何か命じ、なんと3人連れ立って馬車へと戻っていったのだという。

 「一応、ケビンが付けてるから、彼らがどうなっちゃったかは見届けてくると思うよ。生きてるといいねー」

 棒読みである。ジャスティスは苦笑をもらした。サラは昔から、スリノア騎士たちをあまり良く思っていない。

 それにしても、その手紙の送り主のことを考えると、いよいよジャスティスは己の運命を覚悟せねばならないようだった。近衛騎士が王の護衛よりも優先すべき命令は、順に、王本人からの命令、宰相からの命令、騎士団長からの命令と続く。今回の場合、明らかな反逆行為であるため、ジャスティスが手紙のことを問いただしたところで、近衛騎士たちが大物の名を打ち明けるとは考えにくい。証拠の品である手紙を、王の前まで処分せずに持ってくるほどの無能な騎士たちではない。まさしく傀儡の王だ、と彼は胸の内で嘆いた。

 「それよりグラちゃん。お腹すいてない? テキトーになんか作ろうか。そこ、座ってて」

 サラは言うなり部屋を出て行き、そしてすぐ、干し肉を手に戻ってきた。

 「はい。とりあえず」

 「……見事な手料理だな。うまそうだ」

 「ありがと」

 「私は嫌みを言ったのだが」

 「わかってるよ」

 サラは楽しそうに笑った。ジャスティスは引っ張られるような、誘惑にも似た何かの力を感じ、それを振り払うように干し肉を口へ放り込んだ。極度の緊張とそれに伴う疲れで力を失った彼の体に、栄養が染み渡っていく。美味くはないが、彼の心と体は満たされていった。

 サラがコップに水を注ぎ、彼の前へ置いた。彼女はそのまま、ジャスティスの向かいに腰かけ、テーブルにひじをついて彼が食す様を笑顔で眺めた。ジャスティスは礼を言ってから水を飲んだ。ぬるいが、乾いた喉には最高の褒美のように感じられた。

 「干し肉といえば、思い出すよねー」

 今度は合わせた両手にあごを乗せて、サラが笑いながら言った。

 「あの変な商人にまんまと騙されて、いろんなもの持ってかれちゃって」

 「ああ。あのときか。奪還軍には、水と干し肉しか残らなかった」

 「そうそう。みんなで分けてみたら、干し肉、一人あたり三口くらいしかなかったんだよねー」

 それを分け合い、かみしめて味わう間、惨めなはずであるのに、なぜか皆、笑顔だったのをジャスティスは忘れていない。人の死は取り返しがつかないが、ものがなくなろうと笑って済ませられる。そう思えば、強欲な商人に対して、さほど怒りは起きなかった。

 「グラちゃんがあんな干し肉、おいしいって食べてるのが、おっかしくて。みんなで笑って食べたんだよねー」

 「私は、おいしいなどと言ったか?」

 「言ってたよ。ウソだってばればれだったけど。高貴なオウジサマが、干し肉と水をおいしいって。それだけで、ほんと笑えたー」

 あはは、とサラは明るく笑い、次にはこんなことを言った。

 「あの頃、楽しかったよねー」

 ジャスティスは、ごくり、と干し肉を飲み込んだ。引っ張られまいと、とっさに身を硬くした。

 あの頃が、楽しかった?

 そのようなこと、あるはずがない。あってはいけない。

 祖国を追われ、飢えに苦しみ、厳しい自然に負けじと行軍し、戦で多くの命を失った。スリノアの民達は、その間、不条理な圧政の下で暗黒の日々を送っていた。

 あの時代が、楽しかったなどと。

 しかし、サラはなおも言い募った。

 「いろいろ大変だったし、元々スリノアの人たちに対しては不謹慎かもしれないけど。ああやって、身分とか国とか民族とか超えて、みんなで力合わせて、辛いながらもワイワイやってたでしょ。あたしはすごく楽しかったんだよねー。もちろん今も幸せだけど、あんなに日々一生懸命っていうか、充実してたっのって、いい思い出だよー」

 ジャスティスは、知らぬうちに止めていた息を、ゆっくり吐いた。静かなため息のようなそれと共に、肩の力が抜けていった。

 彼は、誘惑に負けてしまった。

 全て、サラの言うとおりだと、認めてしまった。

 奪還軍は、大切な大切な、ジャスティスのための場所であった。彼が成長した場所。血のつながりを超える絆を手にした場所。裕福でなくとも笑顔の絶えない場所。居るだけで満たされる場所。

 少年にとって、いつしか故郷奪還は必要ではなくなってしまっていた。奪還軍こそが、彼の居場所であり、故郷と等しかった。しかし、賢い彼は早いうちに理解していた。彼の故郷は、近い将来、消える運命にあるのだと。だから、気づかないふりをした。彼の故郷はスリノアそのものであり、それを奪還せねばならないと、思い続けた。

 だが、今のこの有様はなんだ。

 彼の心の支えは散り散りになり、唯一であったベノル=ライトも、彼より大切なものを見つけて傾倒してしまった。新たに見つけたかと思った光も、今はすっかりかすんでしまっている。

 スリノアの夜風は心地よく、スリノアの緑と青は宝石よりも美しい。しかし、それがなんだというのか。どんなに小奇麗な箱を取り戻したところで、中が空洞ならば、虚しいだけだ。本当は、いつまでもあのまま、皆で苦労を分かち合っていたかった。それは、許されない、叶わない願いであった。幼子は、少年は、その願いを誰にも絶対に言わぬと決めていた。

 だが、もういいだろう。明日をも知れぬ身なのだ。

 「私も、楽しかった」

 ジャスティスは認めてしまったついでに、それをしっかりと言葉にしてサラへ伝えておこうと思った。だが、まるでその台詞が呪文であったかのように、彼の中に巣食っていた喪失が、決壊した。涙がこみ上げ、止める間もなく頬を流れた。彼はサラの驚いた表情で、自分も驚いた。泣いてしまった。ベノル以外の人間の前で。

 彼はうつむいて涙をぬぐった。きちんと伝えておけ。自分にそう言い聞かせると、彼は震える声で、ゆっくりと告げた。

 「苦しく、辛かった。悲しくて、立ち直れそうにない夜もあった。だが、少なくとも、今より、私は満たされていた。楽しかった。皆が好きだった。優秀で、明るく、暖かいメンバーに囲まれ、私は、本当に、幸せだった。幸せだった」

 私が死んだら、皆にこの気持ちを伝えて欲しい。それは言えずに飲み込んだ。もう運命が決まっているのならば、サラを悲しませるのは、その運命のとき一度きりでいい、と思った。

 サラは珍しいことに、長い間黙っていた。やがて、何か決心したかのように息を吸い込み、「グラちゃん、あのね」と静かな声で呼びかけた。友人のいつもと違う様子に、思わずジャスティスは顔を上げた。

 そのとき、扉の向こうで物音がして、これも懐かしい男の声がした。扉がノックされ、細身の男が入室してきた。

 「ケビン。おかえりー」

 サラは取り繕うように微笑んで、夫を立ち上がって迎えた。ケビンはジャスティスを見ると、一瞬目を大きくしたが、すぐにニヤリとした。

 「よ、グラちゃん。あんたの周りはいつも楽しそうでいいな。近衛騎士たち、真っ青で駆けずりまわってるぜ」

 ジャスティスは、右腕で思い切り目元をぬぐってから、素早さが売りの戦士にニヤリと返した。

 「彼らは困らせると面白い。つい、からかいたくなる」

 「相変わらずの王子さまだ!」

 ケビンは明るく笑ったが、サラは横で口をとがらせた。

 「でも、全員で王子から離れるなんて、職務放棄ってやつだよねー。ライト司令官、騎士の教育が足りないんじゃない?」

 「近衛騎士は、騎士団と管轄が違うんじゃなかったか?」

 「なにそれー。騎士は騎士でしょ。とにかく全部ライト司令官が悪いー」

 ケビンは妻の不機嫌に肩をすくめた。そして、ジャスティスへ経過を報告した。

 近衛騎士たちが受け取った手紙は、村の娘によると、事前に見知らぬ男から騎士へ渡すよう頼まれていたものということだった。それを読んだ近衛騎士は、全員馬車まで戻り、一人が馬で王都へ戻った。その間に暗殺者が王を狙う手はずだったようだが、サラとケビンが阻んだ。失敗を悟った暗殺者たちは、どういうわけかすぐに村を出た。残った近衛騎士二名は、手紙を道具に議論を続けていたが、やがて王の姿を探し始めた。ケビンはそれらを見届け、ここへ来たのだという。

 「腑に落ちぬ点ばかりだ」

 ジャスティスは腕組みをした。が、ケビンもサラも取り合わなかった。

 「とにかく、もう安全だし、近衛騎士は走らせといて、再会を祝おうじゃないか」

 ケビンが明るく言うと、サラもにっこりした。

 「いいね。グラちゃん、やなことは全部、お酒で流しちゃお」

 「酒? 昼間からか」

 「えー、固いこというようになったねグラちゃん。誰かさんみたーい」

 「ベノルのことか?」

 「そうに決まってるでしょ」

 サラは笑いながら、厨房を物色しに部屋を出て行った。この機を逃すまいと、ジャスティスはケビンへ早口に問うた。

 「赤子はどうしたのだ?」

 「信頼できる知り合いに預けてあるんだ。今日は久しぶりにサラと2人で過ごそうと思ってたから」

 よどみない答えに、ジャスティスは安堵した。

 「そうか。父親になった感想はどうだ」

 「ははは。それはなってみてのお楽しみさ、王子さま」

 隠し切れない幸福が、照れ笑いとなって溢れていた。これが父親の顔か、とジャスティスは胸に刻んだ。自分がこの顔をする日は、おそらくは訪れぬことだろう。そう思うと、なぜか胸が締め付けられるようだった。子供など、興味がなかったはずであるのに。

 「ま、いろいろあるんだろうけど」

 ケビンは決まりが悪そうに微笑した。真面目な話をするときの、彼の癖のひとつであった。

 「あんたが頑張ってくれるから、俺達もここで平和に暮らせるわけだし。感謝してますよ王子さま。なんだか英雄になっちまったライト司令官を支えてやって、うまいことやってってくださいな」

 その言葉は、ジャスティスの脳裏に、若かったベノル=ライトの記憶を次々に思い起こさせた。そして、英雄との心の絆をなぜ保てなかったのか、彼はその答えへ行き着こうとしていた。

 「ケビン」

 ジャスティスは、サラが酒瓶を片手に戻ってきたのにも構わず、真剣な面持ちで問うた。

 「この村では、私のことがどのように言われているか、正直に教えてくれないか」

 夫婦はジャスティスの気を知ってか知らずか、楽しそうに答えた。

 「安心しなよ。あんたのことを悪く言う奴はこの村にいない。みんな、あんたを世紀の名君だって称えるばっかりさ」

 「そうそう。おもしろいよねー、グラちゃんが名君だなんて。バッカスにからかわれて、半べそで怒鳴り返してたグラちゃんだよ。他にもいっぱい。ばらしてやりたいなー」

 ジャスティスは笑んだ。サラの言葉にではない。ようやく納得できたための、冷笑であった。

 そうか、私は名君か。

 馬鹿馬鹿しい、と一蹴することはできなかった。なぜなら、彼もまた、少年王としての彼を、スリノア王家唯一の生き残りとしての彼を、いつしか求められるままに、演じるようになっていたのだから。

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