第二章 少年王と王妃 (1)
(1)
スリノア王宮の謁見の間には、吹き抜けの天井に豪華なステンドグラスがあつらえてある。
緑と青が配色に多いのは、建国の頃から森と湖の豊かさが意識されていたからであろう。空が青く晴れ渡る今日のようなとき、この謁見の間は、淡い青と緑の光で満たされる。逆に、間の最南に据えられた玉座には、正午から夕刻まで強く白い光が降り注ぐようになっている。王族を神格化するための、見事な芸術である。
この美しく荘厳な空間には、民衆が入ることも許されていた。出自や荷物の検査さえ通れば、専用の入り口から二階部分へ出ることができる。この二階部分は、謁見の間のおよそ三分の一までせり出している造りである。王の姿を肉眼で見ることのできる反面、一番南へ身を乗り出そうとも、不届き者の弓矢は及ばぬ距離が保たれている。
大事の謁見の際、二階部分には満員の民衆が詰め掛けるのが常であった。一階の東西の端には、貴族や関係者がずらりと並ぶ。謁見する者は、一階の大扉をくぐり、白い光の下に座する王へ向かって赤絨毯を歩む。淡い青の光に包まれながら膝をつくその者は、まるで己が王国の慈悲や庇護を一身に受けているかのような錯覚に陥る。
ジャスティスは、この謁見の間が、大嫌いだった。
幼き頃は、こっそり玉座のそばまで行き、自身が白い光に照らされることに浮かれたものだった。いつか、この神々しい場で、民衆に讃えられながら多くの識者と言葉を交わすことになるであろう、と信じて疑わなかった。
だが、一旦祖国を追われ戻ってからは、この計算し尽くされた空間を、素直に受け入れることができないのだった。漠然とした不愉快を、少年は拙く言葉に置き換える。大嫌いだ、と。
「陛下。我々が南の地より持ち帰った品々でございます」
今まさに膝をつき、ジャスティスに謁見をしているのは、騎士団長ベノル=ライトである。釈放後、すぐさま海賊討伐を命じてより、1ヶ月。組織化されていたとはいえ知恵の乏しいならず者達が、英雄に率いられた誇り高く有能なスリノア騎士団の敵となるはずもなく、海賊は殲滅をもって略奪の報いを受けた。
この報告は当然の結果であるため、ジャスティスに特別な感慨はない。形式的に労っただけだ。
久しぶりに正視したスリノアの英雄の姿は、ジャスティスの知るベノルよりもいくらか痩せていた。だが、牢から出したその時よりは、だいぶ以前の体を取り戻したと言われている。精神的な憔悴の色も、注意深く観察せぬ者は見逃してしまう程度に薄れていた。
ということは、見える者には見えるということである。ジャスティスの疑いの眼差しには、この英雄が、ここ最近は戦へ出るたびに命を削り取られて帰還するように映った。今回の海賊討伐に、この男の想い人が関わっているなどとは考えられない。それなのに、何かあったのではという疑念が振り払えないのは、ジャスティスの恐れの裏返しに他ならなかった。
「スリノアではなかなか手に入らない品でございます。どうぞご覧ください」
ベノル=ライトは、後ろへ控えていた二名の騎士を前へ出させた。布に包まれたそれのうち、ひとつが露わにされる。
つめかけている人々から、感嘆の声が上がった。献上物は、獣の目を思わせる、透き通った濃い黄色の宝石であった。琥珀という名前である、とジャスティスは知っていた。元々この辺りでは貴重な琥珀であるが、こぶし大のそれは、いかほどの価値があろうかと、ジャスティスの目を見開かせた。
「王妃様には、こちらを。お気に召していただけますかどうか」
ジャスティスはそのベノルの言葉に、今日初めて、隣へ意識を向けた。
スリノア王妃となったカノン=リッケンバッカー、もとい、カノン=A=スリノアは、精巧に作られた等身大の人形が椅子に置かれてあるかのように、ジャスティスの隣に座していた。
「まぁ。わたくしの大好きな、本ですわね」
元からそう作られたかのように、いつも柔らかに微笑む美しい王妃は、小さな唇を動かし、無邪気な言葉をつむいだ。
「はい。南の地の伝承や歴史を扱った書籍にございます。同じものを、王宮図書にも寄贈させていただきました」
優雅に一礼する英雄を玉座から見下ろし、ジャスティスは焦燥に駆られた。
なぜベノルは、カノンの好きなものを知っているのか。
婚礼から一ヶ月。少年王の周囲は、彼の想像以上に変化した。寝室に美しい15の少女が現れ、高官たちから世継ぎを求められた。釈放された英雄が復帰し、議会が湧いた。宰相は英雄と密に連携することで、政治をより能率的に進めることに成功した。
待ってくれ。
ジャスティスは、己が主役でないことに愕然とする。カノンは彼が選んだ女ではない。婚礼を早めたのも宰相の計らいであり、自分の意思ではない。子供など、欲しいと考えたこともない。議会が認める主導者は彼ではない。宰相が意見を要する相手も、彼ではない。
私を置いていくな。
どうすることもできない経過に叫びたくなる己が、届くはずのない星へ手を伸ばす愚者のよう思えた。最後のプライドで、彼は叫びを押し殺し、何も感じておらぬかのように振舞う。
流れは確実に、スリノアが少年王を必要とせぬ方向へと、修正しようもなくその行く先を変えていくのであった。