第一章 少年王と宰相 (2)
(2)
少年王の結婚を祝い、スリノアでは国を挙げての盛大な祭りがひらかれる予定である。王宮での荘厳な式典はもちろんのこと、華やかなパレードや騎士たちの闘技など、さまざまな催しが準備されていた。
「陛下。婚礼を2日後に控えたこの日にお時間をおとりいただき、ありがとうございます」
ジャスティスは、宰相レイバー=グリンベルに、議場の入り口でで恭しく迎えられた。
「かまわぬ。王の務めだ」
煩わしい、という感情を抑え、ジャスティスは短く応えた。面倒だ。ベノルならばこんなことを言わない。言ったとしても、その緑の瞳に浮かぶ含み笑いに対し、ニヤリとしてやるだけだ。
王が、代表たちより二段高い王座につく。それが議会の始まりの合図である。貴族代表が王に向かい左手に30名、国民代表が右手に30名。王座の脇、一段下には識者席が用意されており、騎士団長や宰相など、特殊な役職の者がつくのが慣例である。
今日、王の婚礼直前であるにも関わらず議会が召集されたのには、訳がある。
現在、南隣国との海上貿易が軌道に乗りつつあるのだが、貿易が盛んになるにつれ、海賊の被害が比例して報告されるようになった。よく聞かれる話であるため、ジャスティスは大事として捉えなかった。結果、貿易ルート上に組織化された海賊が根城を築き、甚大な被害をもたらすようになってしまった。一刻も早く対処を、と宰相が強引に議会を召集したのである。
「海賊被害の初期報告を見過ごしたことは、失敗であった」
代表たちのひしめく議場で、ジャスティスはあっさりと非を認めた。失敗は失敗として、次に生かす。そのために、まずは認め、為すべきことを考え、すぐに実行へ移す。少年王の対処法は、これまでと全く変わらない。あまりに淡々とした運びは時に呆れを呼ぶものの、全くの正論であるため、誰も文句を言えないものだった。議会は王に導かれ、実のない原因究明や責任追求よりも、自然と次の一手への思考に時間を割いてきた。
しかし今、議会に重苦しく降りる空気は、次を見据えてはいない。
スリノアの英雄さえいれば。
王に気づかれぬよう、ちらりと識者席の空席へ視線を投げる者。あからさまに不満の視線を王座へ向ける者。失望と責めの入り混じる、退廃的な沈黙。
何故だ。
喉まで上がった叫びにも似た問いかけを、ジャスティスはなんとか腹へ押し戻す。煮えくるような熱さが彼の身を焼いた。ベノルが傍らにいたときも、全ての議題に正解を出していたわけではない。それなのに、何故今は。いや、何故この二ヶ月間は。
だが彼は、ほんの一割に満たない程度の冷静な一部分で、理解している。少年王は、英雄の庇護の下で成立していたのであると。
「早急に、海賊討伐へ取りかかろう」
震えぬよう、ジャスティスは声を低く張った。
「これ以上海賊の好きにさせては、あの海路は使えぬと、商人たちが離れてしまう」
「おっしゃる通りでございます、陛下」
宰相が、まるで不穏な空気を察していないかのように、無機質に発言した。
「して、討伐の任には、誰を当たらせましょう?」
ジャスティスは、戦慄した。おそらく宰相は、分かっていながら意図的に尋ねたのだ。
少年王には返す言葉がなかった。当然差し出すべきはずのカードは、他ならぬ彼によって封じられていた。彼は歯噛みしながら、他の効果的なカードを探す。スリノア奪還のため苦楽をともにした、有能な騎士たちの名。アドルファス。ジェド。ウェッジ。ソフィア。レックス。イライザ。エルマー。セオドール。彼らは皆、王都を遠く離れた地で、重要な任務にあたっている。他ならぬ彼が、そう命じたのだ。
英雄というカードさえ懐にあれば事足りてきた幸福を、ジャスティスは認めざるをえない格好となった。
「陛下。私から提案がございます」
少年王が窮するのをじっくりと見つめてから、宰相は口火をきった。
「陛下の婚礼を記念し、国中に恩赦を与えるのです。服する者たちの刑を、一段階引き下げるのです」
続きは、聞かずとも推し量れた。一変して協力的になった議場の空気。ジャスティスは何もかも捨てて、高らかに嘲笑してやりたくなった。
「名案だ」
芝居に乗ってやろう。ジャスティスは王者の微笑とともに宣言した。
「スリノアの英雄を解放し、海賊討伐の指揮をとらせよう。彼はスリノアの権威そのものであるからな」
戸惑い、混乱、疑念、保身。様々な感情が入り乱れ、場が凍りつく。
なんだ。喜ばぬのか。
ジャスティスがうっすらと冷笑したそのとき、貴族代表席からひとつの拍手が上がった。
すぐに、ジャスティスの脇の宰相が続いた。国民代表の席から、何人かが続いた。周囲を伺うような空気は、何かから目をそらすような後ろめたさを伴いつつも、大きな拍手に塗り替えられていった。
少年王ジャスティスは、議場にて久方ぶりの拍手に包まれた。しかしそれは、言うまでもなく彼を称えるものではない。英雄の復活を待ちわびるその拍手は、ジャスティスを冷たい水の底へ沈め、そう遠くない不吉な未来を予感させた。