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第四章 少年王の覚悟 (1)

第四章 少年王の覚悟


(1)


 ジャスティスは遠出より戻って数日、真実が暴かれるのを恐れるあまり、カノンとは無難な会話をするに止まっていた。しかし一方で、この不可解なパズルを解かぬまま、死にあたって後悔するのは我慢ならないとも感じた。

 そして、ついにその夜、彼は例の儀式に倣わず、カノンから距離を置いて立ったまま、呼びかけた。

 「カノン。聞きたいことがある」

 彼の妻の美しい顔から、みるみる血の気が引いていくのが分かった。彼が恐れていたように、彼女もまた、この時を恐れていたに違いなかった。

 「本当は、聞きたいことは、多くある。しかし、今は二つだけにしておく。だから、どうか、正直に、答えてほしい」

 彼は己の身を抱くように、左右の二の腕をつかんだ。彼は今、ただ一人の少年であった。震えを隠すこともせず、悲しい瞳で、一人の少女を見据えた。

 「おまえが想うのは、オーウェンという男、なのか?」

 流れる金髪に青い目のカノンは、蝋人形のように凍りついていた。見ていられず、ジャスティスはうつむいて続けた。

 「おまえは王妃となることを運命付けられた日より、男と必要以上に接することを禁じられてきたはずだ。ただし、それは外戚を含めた親族を除いての話だ。オーウェンというのは」

 「違います!」

 カノンが突然、力を取り戻し、はねつけるように彼の言葉をさえぎった。

 「オーウェン様は、私をよく可愛がってくださった、兄のような方です。年も離れております。誓って、私は彼にやましい気持ちなど、持ってはおりません」

 カノンがそうして必死になればなるほど、ジャスティスは惨めになる己を痛感し、それを恥じた。その感情は、反発となって彼の声を固くさせた。

 「やましいことがないならば、なぜ本に隠しながら文を読むのだ」

 青くなり、絶句すると思われたカノンだったが、彼女は引き下がるどころか、少年王を手厳しく攻撃した。

 「陛下は、いつもいつも、わたくしのことを信じてくださらない!」

 少女は叫ぶように言い放ち、立ち上がって身を震わせた。

 「わたくしは、あんなに幼い頃からずっと、貴方のことだけを見つめ、聞かされてきたのです。それが他人に決められた運命だったとしても、わたくしは受け入れようとました。貴方を慕い、遠くから想い、貴方がスリノアを奪還されたときには自分のことのように誇らしく、涙しました。わたくしは望んで、貴方の妻となったのです。それなのに!」

 大きな碧眼が、涙を湛えて輝いた。一層ソプラノに力を込め、カノンは王を糾弾した。

 「貴方はちっとも、わたくしのことを見てくださらなかった。わたくしのことなど、まるで庭の花のように、形式的に愛でるだけで、すぐに忘れて、思い出しもしなかったのでしょう。なぜ、愛してくださらない方を、わたくしは愛さなければならないのですか。他にも貴族の女は多くいるのに、なぜわたくしなのですか!」

 ジャスティスは、思わぬ展開に、すっかり言葉を失くし、立ち尽くしていた。

 たとえ、その場しのぎの偽りだったとしても。少女の怒りが、彼には、胸が詰まるほどに喜びであったのだ。

 「カノン」

 ジャスティスは、用意していた二つ目の問いを、変更せざるを得なくなった。

 「私のことを、愛してくれているのか?」

 カノンは答える代わりに、その場へ泣き崩れた。しばし戸惑ったジャスティスであったが、意を決して彼女へ近付き、片ひざを折った。

 「すまなかった」

 少年王の静かな謝罪に、王妃は驚いて涙にぬれた顔を上げた。

 「おまえの言うとおりだ。私は結婚前、おまえをないがしろにしてきた。そして、疑ってきた。そんな男のところへ、よく来てくれたものだ」

 カノンの顔が、それまでとは違う悲しみに歪んだ。ジャスティスはそれを見なかったふりで、微笑んで見せた。

 「私はこの先、どのようなことがあろうとも、おまえを信じることにする。もう遅いかもしれぬが、おまえに信じてもらいたいからだ。他の女では駄目だ。今となっては、私は、おまえのことを」

 ジャスティスは、続きを口にできぬ己へ嫌気が差した。なぜこうして、大切なことほど言いよどんでしまうのだろうか。大切なことほど、勇気がなければ言えぬのだろうか。

 情けなさと気まずさで、彼は歯噛みし、うつむいた。カノンが続きを促してくれぬだろうかと、他力本願な期待をした。

 長い、長い沈黙。カノンの乱れた息遣いと、鼻をすする小さな音が、広い少年王の部屋で響いた。

 「陛下」

 やがて、落ち着いたソプラノが彼に呼びかけた。

 「陛下は、夜風がお好きなのですか?」

 それは、今この場にふさわしい台詞とは、とうてい思えなかった。ジャスティスは、以前もこのようなことがあったと思い返した。そのときと同じように落胆しつつ、彼は視線をそらしたまま、応えた。

 「ああ。スリノアの夜風は気持ちがいい。それが、どうかしたのか?」

 カノンが微笑んだような気配がしたので、ジャスティスは惹かれるように顔を上げた。彼の心を捉えて離さない、溢れるような笑顔が、彼を待っていた。雨上がりの爽やかな晴天を見たように、彼は感動した。カノンはいくらか照れたように、頬を染めて答えた。

 「ずっと、聞いてみたかったのです。でも、陛下は窓辺でいつも、心を閉ざしていらっしゃるように見えて。わたくしは、入れてもらえないのだと、いつも悲しい気持ちでおりました」

 夢のようです、と王妃は更に頬を染めた。ジャスティスがつられて微笑むと、彼女は子供のように、はしゃいで両手を合わせた。

 「陛下、しばらく夜風とご無沙汰でしょう」

 彼女は立ち上がり、小走りに窓へ寄った。先ほど、王を真っ向から糾弾したとは思えぬ、恋する一人の少女のような、健やかな背中であった。

 ジャスティスは、その気遣いを嬉しく思い、この女を不幸にしてはならないと、固く決意した。その影響もあってか、窓に身をさらす彼女の姿を目で追い、一抹の不安を抱かずにはいられなかった。狙われているのは彼であって、妻ではないはずであるのに。

 「カノン、窓へは寄らぬ方が」

 なんとなく歩み寄りながら、彼はそう呼びかけた。カノンはすでに窓を開け放していたが、王の言葉の意図を汲み取れなかったのか、意外そうに振り返った。

 その瞬間は、戦慄であった。

 少女の耳の下の柔らかい金髪を、鋭い何かが奪い取って通り過ぎた。ド、と鈍い音で、その矢は部屋の壁へ突き刺さった。とっさにジャスティスは妻の名を叫び、棒立ちの少女へと駆けた。そのままぶつかるように儚い細身を抱き、共々に床へ倒れこむ。ド、と二度目の鈍い音が部屋に響いた。

 床へぶつけた肩と、少女の頭を保護した右手に、痺れを感じた。が、それよりもまず、ジャスティスは素早く身を起こし、腕の中の妻を見た。カノンはそのときにようやく、何が起きたのかを悟ったようだった。おびえたように、身を固くした。

 「怪我はないか?」

 上がった息の合間に尋ねると、彼女は小さくうなずいた。次には、自分をかばった男を案ずるように、大きな碧眼がゆがむ。愛しさがジャスティスを突き上げたが、今はそれよりも優先させねばならぬことがあった。同じ窓で、同じ襲撃法。そして、狙われたのは少年王ではなかった。パズルが予期せぬ方向から、急速に組みあがっていく。うっすらとであるが、答えが出ようとしていた。そして、それは賢い少年を焦らせた。

 ジャスティスはカノンを連れて窓から離れた。そして彼女の手をとり、近衛騎士のいる入り口の扉へ向かおうとした。

 ふと、彼は途中で足を止め、妻を振り返った。もう会えぬかもしれぬこの少女へ伝えなければならないことがあるように思った。

 「カノン」

 名を呼んだはいいが、次の言葉が続かなかった。

 伝えたいことは、こんなにも強く、重く、大きく、彼の身に留めておくのがやっとだというのに。

 その苦しげな表情と熱い視線だけで、カノンは夫の心中の一部を察したようだった。彼女は穏やかに微笑んだ。

 「陛下。わたくしは、女として、幸せにございます。ですが、もう二度と、今のようなことはなさってはなりません。わたくしが亡くなろうと、貴方は別の王妃を迎えて子をもうけることができるのです。スリノア王家の血は」

 「わかっている」

 憮然とするのを隠せず、ジャスティスは子供のようにカノンの言葉をさえぎった。

 「体が勝手に動いたのだ。そんなに責めるな。大切なものを、守りたいだけだ」

 言ってしまってから、彼は照れを隠すため、妻の体を抱き寄せた。柔らかなぬくもり。喜びや愛しさ、後悔や悲しみがない交ぜとなり、涙となってこみ上げた。大きく息を吸い、こらえてから、彼は腕に力を込め、妻を強く抱きしめた。

 「これから、行かねばならぬ場所がある」

 ささやいてから、彼は妻の体を離し、落ち着いた声で少年王を演じた。

 「おまえは近衛騎士のそばを、絶対に離れるな。何も説明しなくていい。部屋はこのままにしておくのだ。よいな」

 ジャスティスは扉番の近衛騎士の一人へカノンを託し、「部屋へ入るな」ときつく命じた。そして、もう一人へ「ついてこい」と命じた。近衛騎士たちは、普段見られぬ少年王の剣幕に圧倒され、従った。

 ジャスティスは、王宮内の、窓に面していない通路を選び、目的地へ向かった。つい3ヶ月ほど前まで、毎日のように通っていた場所であるため、彼は幾通りもそこへ至る道筋を思い描けるのだった。

 スリノアの英雄が執務に忙しく、まだ帰路についていないことを、彼はひたすらに願った。 

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