僕の誕生日会は甘味に溢れる
街は騒がしい。
今僕がいるのは、駅前の中層ビル三階にあるお店。その窓側。
窓からは、都心の駅前の喧騒が一望できる。せわしなく人が行き交い、自動車が止まっては動く。
顔を少々上に向ける。
目に入るのは、駅前の広場を取り囲むようにビルの屋上や外壁に設置されている、様々な種類の看板。その中でも一際目立つ巨大広告には、一人の十代の少女が化粧品を片手ににこやかに微笑んでいた。
僕は普段、有名人や芸能人を視界に入れないようにしている。だからタレント事情は詳しくないのだが、流石にあの巨大広告の中に収まっている少女のことは知っていた。
普通に生活をしていたら嫌でも目に入る。何のグループに所属しているかは知らないが、アイドルだ。その他、CM、女優、コメンテーターなんかもしているみたいだ。多分今、国内で一番「存在の表面積」が大きい十代の女の子だと思う。あの巨大看板一つで、僕がこの世に占める表面積の何倍あるだろうか。
そんなことを思えば、あの巨大看板の中で微笑む十代の少女と、今ここにいる僕との乖離が、ありありと胸に迫る。「差」ではなく「乖離」と表現するのは、僕なりの抵抗。そもそも同じ尺度ではないし、方向性が違う。優劣とかではなく、存在している場所が違うだけだから、比べる対象ではないのだ、と。
人によっては、こんな僕の思考を情けないと言うだろうか。でも僕は、「抵抗している」ということをちゃんと自覚しているのだ。無意識な自己肯定と、意識的な自己肯定とでは、その意味合いも大分異なる。まあ、でも、知り合いでもない有名人に対して、年が近い、という理由だけでこんな感情を浮かべていること自体、笑える話しであるのかもしれない。
目線をずらす。
向かいのビルの外壁には、化粧品巨大看板の半分くらいの大きさの看板があった。これもまた有名なアイドルグループが消費者金融の広告塔として可愛らしいポーズを決めていた。
『今しかないから、今を楽しもう』
そんなキャッチコピーが踊っている。
このアイドルグループも、僕は知っている。たしか、グループ名は『花火ぐみ』。
なぜ知っているかというと、あれは、普通のアイドルグループではないからだ。
所属するメンバー、全員が〈短命〉なのだ。メンバーの数は五人。そして、五人中三人が十代で寿命を迎える。たしか、近々で一人、寿命を迎えると「宣伝」されていたはずだ。残りの二人も、二十代前半で寿命を迎える。それはもう公表されている。
〈短命〉アイドルは、今ではもう珍しくはなく、割とありふれた存在になっている。そんな中、『花火ぐみ』は〈短命〉アイドルの先駆け的な存在で、全員寿命が来てはまた新しいメンバーで再始動し、また全員いなくなれば新たなメンバーで再始動、といった具合に、何世代も入れ替わって活動している。つまり、老舗の〈短命〉アイドルグループだ。だから僕も、唯一このアイドルグループだけは知っていた。
初めて〈短命〉アイドルが登場したのは、二十年前くらいだそうだ。最初は批判も多かったみたいだが、今ではもう、違和感はない。社会に溶け込んでいる。むしろ、求められている。
命の大切さ、だとか、頑張る姿、だとかが、〈長命〉の人たちにウケるのだそうだ。何よりドラマ性がある。何せ自身の応援している若くて可愛いキラキラしたアイドルが、一人ずつ順番に寿命を迎えていくのだ。
最初にこのフォーマットを作り出したプロデューサーは、きっととても冷酷な人だ。いや、もしかしたらとても優しい人なのかもしれない。どちらにせよ、とても頭がいい人なんだろうなとは思う。
〈短命〉アイドルグループのフォーマットは大体一緒。特徴としては、メンバーの寿命が基本的にバラバラだということ。あえてメンバー全員を一気に死なせず、順番に寿命を迎えるようにメンバー構成していることが多いのだ。理由は、それぞれの寿命に向けてコンサートを盛り上げたり、イベントを打ったりできるから。
もう一つの特徴は、「あえて残す」ということ。例えばメンバーが五人だったとする。すると寿命の構成は、十七、十八、十九、そして、二十二が二人、とかになることが多い。つまり、立て続けに寿命を迎えるメンバーと、それから数年後に寿命を迎えるメンバーでグループを構成するのだ。理由は、「途中で寿命を迎えたメンバーの思いを背負って残りのメンバーが活動する」ため。
そうすることで、何をどうしても泣ける話しにはなるだろう。やはり、ドラマ性が高い。だから、見せ場も沢山ある。すなわち、お金を回収する機会が沢山あるということだ。
「短命アイドル」が一定の成功を収めたことで、現在では「短命モデル」、「短命バンド」、直近では、「店員が全員短命の店」なんかも出てきている。節操がないな、と思う。
古来より、人は「死」を娯楽にしてきた。処刑だったり、決闘だったり、戦争だったり。でもそれは、あまりにもグロテスクだ。自身や身内が被害者になる危険性もある。
その後人は、自身が被害者になる心配のない、安全なフィクションの中で沢山の「死」を娯楽にしてきた。何でもありのフィクションの中で、あえて、やたらめったら人を死なせる。やはり人は「死」に惹かれるのだろう。
そして、〈《《短命》》〉《《の人種が認知された今は》》、ノンフィクションの、現実の世界の中で、グロテスクではない、安全で綺麗で、でもリアリティのある「死」がエンターテイメントになっている。そう考えれば、不思議なことは何もない。流行って当然だ。
「おーい」
窓の外を見ながらそんな考え事をしていると、ちょっと不機嫌そうな、それでいて気の抜けたような声が聞こえた。声の方向に顔を動かすと、目の前で呆れた顔をしている、幼馴染の筒井宗弥と目が合った。
「せっかく親友がこうして誕生日を祝ってるのに、さっきからどこ見てるんですかねー」
筒井は、目を細めてじーっと僕を見てきていた。彼の短めに切られた清潔感のある黒髪が、窓から差し込む陽の光で甘ったるく輝いている。
「ごめんごめん。いや、ありがたいとは思っているよ。……でもさ、男二人でこの状況は、なんか、すさまじいよ」
僕の目の前には、色とりどりのスイーツが並んでいる。チョコレートケーキ、イチゴのタルト、小さなパフェ、アップルパイ、その他諸々。
「いいじゃん。ここ、すっごい美味いから」
「まあ、確かに美味しいけどさ……」
たしかに美味しい。でも今は、美味い不味いを問題にしている訳ではない。
「誕生日はケーキを食べないとだめだろ? 沢山ケーキが食べられる場所っていったら、ここしかないでしょ」
「うん、まあ、筒井の思考回路はわかったよ。でもさ、あまりにも場違いすぎないかな」
今日僕は、筒井と昼ごはんを食べる約束をしていた。誕生日祝いのランチということで、彼がわざわざお店を予約してくれたのだが、連れて来られたのが、スイーツ食べ放題のこのお店。
店内は強めの蛍光色で彩られ、水玉模様やハートマークが至る所にある。周りを見渡しても、女の子同士かカップルしかいない。
極めつけは、僕と筒井が座る椅子。背もたれの部分に紐が括り付けられ、その紐の先では、光沢のある風船が宙に浮かんでいた。そしてその風船の側面には、「HAPPY BARTHDAY」という文字が、可愛らしいフォントで印刷されている。
「うん、やっぱり、これはとんでもないって。いやもう、なんか、計り知れないよ」
「なにがだよ」
「わかんない。何かが」
「よくわからんが 暗いよりは華やかな方が良くないか? 俺の祝いの気持ちだ。受け取ってくれ」
筒井は、一切疑問を持たない無垢な表情で俺を見ている。たしかに筒井は、僕を困らせようと思ってここに連れてきた訳ではないだろう。彼はちょっと抜けているだけで、馬鹿ではないし、嫌な奴でもない。
でも、この状況をありのまま受け入れるのは、やはり少し抵抗があった。
「……それに、昼ごはんじゃないよね、これ」
「いや、これは昼ごはんだ。もし疑問があるなら、そもそも昼ごはんとは何か、ってことから考えようか」
「めんどくせぇ……」
思わずそんな言葉が漏れた。僕がこんな口調を使うのは、筒井の前だけだ。
「まあまあ、そんなこと言うなって。お前の誕生日をちゃんと祝える人間なんて、俺くらいだろ」
筒井は、にやっと笑いながら、自身の目の前にあるショートケーキをフォークで切断し始めた。
「お互い様だけどね」
僕も、チョコレートケーキを目の前に引き寄せる。
「どうだろうな。俺はお前と違って友達が沢山いるから」
「そうか」
「そうだ」
チョコレートケーキを一口食べる。生地の間には、生チョコと生クリーム。口の中でそれらが溶け合い、心地よい甘さが口内に浸透する。たしかに、美味しい。
「お前もあと二年か」
筒井は、ショートケーキを三口ほど食べた後、紅茶を啜りながら、独り言とも、念のための確認とも取れるような言葉を発した。
「そうだよ」
僕も紅茶を啜った。甘味で染まった口の中に紅茶を入れると、普段は感じない茶葉の苦味が際立つ。そしてその苦味が、心地よい。
あと二年。短いようで、長いようで、でも、やっぱり短いのだろう。
「まあ、今さら俺が言うことでもないけどさ。でも、あえて俺だから聞くけど、このまま、今のまま、何もやらずに寿命を迎えるので本当にいいのか?」
筒井は、ショートケーキの上に乗っているイチゴをフォークに刺すと、その表面に満遍なく生クリームをつけ始めた。
「うん。いい」
「そうか」
僕は、早くも残り四分の一になっていたチョコレートケーキを、一口で口の中に入れた。
「水泳の方の調子はどう?」
咀嚼と嚥下を終え、甘味に満たされた口から発した僕のその質問に対し、筒井は自信有り気に笑った。
「絶好調。このままの調子でいければ、春季全国大会には行けそうだよ」
筒井の顔はとても整っている。利発そうなおでこ、健康的で綺麗な肌、彫りの深い目、筋肉質な体。まさに、爽やかスポーツマンだ。そんな人間の、嫌味のない自信満々な表情は、キラキラと輝いて見える。
だからだろう。不覚にも、かっこいいな、と思った。
「……すごいよね。僕が筒井みたいに二十三歳まで生きられたとしても、きっと、そこまで努力はできなかった」
筒井に対して、珍しくそんな本音を伝えた。
相変わらず目の前でイチゴに生クリームを塗りたくっている筒井もまた、僕と同じく〈短命〉だ。ただ、彼の寿命は二十三歳。僕よりも四年長く生きる。
僕らが知り合ったのは、小学校に入学した時。小学一年生の頃は、〈短命〉の子ども達もある程度学校に通う。現在では、人口の五パーセントが〈短命〉だと言われている。実際に、三十人クラスだと一人か二人が〈短命〉だった。
しかしほとんどの〈短命〉の子供たちは、徐々に学校に通う意味を見出せなくなり、学校に来なくなる。もしくは、〈長命〉に混じって生活することが、耐えられなくなる。
卒業する頃には、同じ学年で〈短命〉なのは僕と筒井だけだった。それから中学高校と、僕らはずっと同じ学校に通っている。今の僕らが通う高校で《《〈短命〉だと知られている人》》は、僕と筒井だけだ。
今でこそ筒井は、全国大会を狙える程の優秀な水泳選手だ。しかし彼は、生まれつき運動神経が良い訳ではなかった。小さい頃は僕よりも足が遅かったくらいだ。でも、中学に進学する前後から、いつの間にか筒井は水泳を始めた。そして、必死に努力し始めた。どれだけ暑くても、どれだけ寒くても、日が出たら練習、授業が終わり、日が暮れるまで練習。成長期も重なり、どんどん体が大きくなって、身長は今でも僕と左程変わらないものの、体の厚みは二倍くらいだ。そして高校に進学する頃には、良い成績を残すようになっていった。
今年の夏は、夏季全国大会への出場条件の標準タイムがあとコンマ数秒足りなかったそうだ。けれども、筒井は決してヘコタレないし、諦めない。だから、今も必死で努力を続けているらしい。もしこのまま春季全国大会に筒井が出場することになれば、まさに快挙だ。〈短命〉の人が全国大会へ出るなど、聞いたことがない。
だから、素直に尊敬する。すごいな、と思う。
「意外だな」
筒井は、その言葉だけでなく、表情まで意外そうに、目をぱちくりさせた。
「そう?」
筒井のその意外そうな表情の方が、僕には意外だった。でも、たしかに、今まで筒井のことを素直に褒めたことなど、あまりなかったかもしれない。
「いや、『しない』じゃなくて……『できなかった』って言ったことが」
筒井は、少し訝しげな目で、僕の表情を伺うように、そして、少しだけ恐る恐る、そんなことを伝えてきた。一瞬前まで僕が考えていたこととは、全く別のことを伝えてきた。
たしかに。
何でだろうか。そもそも僕は、努力をしたいと思っていない。努力ができないのではなく、しないだけだ。
心理学者気取りの人間がいれば、それはお前の深層心理だ、とか指摘してくるかもしれないが、僕は明確にそうではないと言える。〈短命〉の僕には可能性が無い。夢も希望も、何も無い。だから、努力なんてしない。これは、諦めとか、悟りだとか、そういうものではなく、動かしがたい事実であり、しっかりと納得していることだ。だから単純に、言葉を間違えただけだ。
「たしかに。支離滅裂だったね」
「ん? 別に、支離滅裂ではないぞ」
「いや、『これまでの自分』っていう文脈から考えると、支離滅裂な発言だよ」
「めんどくせぇ……」
筒井は、酷く面倒臭そうな顔をした。
その顔が何だかおかしくて、僕は笑った。筒井も笑った。
「しつこいかもしれんが、こんなこと、俺しかお前に聞けない。だから、承知の上だけど、あえてもう一度聞くぞ。……お前はこれで、いいんだよな」
十秒程度続いた笑い声がひと段落すると、筒井は、分かりやすい、そして優しくて甘い保険をたっぷりとかけて、少し真剣な目で、僕にそう問うてきた。
「うん。僕は、十分だよ。全部、納得している」
僕の答えは変わらない。僕は、僕の人生に納得している。
筒井はやっと上手い具合にイチゴを生クリームでコーティングすることができたのか、満足そうにそれを眺めると、ぱくっと一口で食べた。
長々と時間を掛けてコーティングしたそれも、ほんの一瞬で消えてしまう。
筒井がイチゴのコーティングに投資した時間と労力の対価は、数十秒後にはもう忘れているであろう、そんな甘味だけだ。