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6、クロウは山で磔に

 歩き続けて疲弊していたこともあり、宿の部屋に入るなり少女は意識を失うように眠りに落ちた。気付けば朝になっていて、いつ眠ったのかも記憶にない。小型獣もベッドの上に丸くなっており、熟睡しているようだった。半ば強引に宿を取らされたようなものであったが、きちんとしたベッドで眠れて良かったと思い直すことにした。

 目が覚めた後は、颯爽と旅支度を整えた。今のところ、此処まで特殊部隊が追ってきている様子はないが、いつ彼らに見つかるかもわからない。疲れも取れたことだし早く西に向けて旅立つつもりであった。しかし、宿の主は大変親切で、「朝ごはんくらい食べて行けばいいのに」と食事を用意してくれたり、「お土産も持っていきなさい」と持ちきれないほどの食糧を差し出してくれたりと、至れり尽くせりであった。申し訳なく思いながらも大量の食糧は断って、持ち歩けそうな量の食べ物と水だけを受け取る。ドロシーは何度も頭を下げて、宿を後にした。

 建物の外に出ると、集落の様子は夜とはまるで違っていた。単純に日光が差して明るくなり、雰囲気が変わったということもあるが、何より住民と思われる人々が外に出て賑わっている。小さな集落であることに変わりはないが、活気付いて見えた。

「……こんなにたくさん、人がいたんだ」

 思わず感想をそのまま口にすると、外まで見送りに出てきてくれた宿の主人が笑う。

「朝は賑やかでしょう? 我々の集落は一次産業を生業としてますから……農村の朝は早いんですよ。その分、夜も早い」

「あ、すみません……私、失礼なこと」

「いいえ。夜来た時はあまりの寂しい光景にびっくりなさったでしょうから、当然です。特にこの集落では、夜外を出歩かない習慣が定着しておりましてね」

 主人の表情がわずかに曇る。ふと「野宿など危ういことはしない方がいい」という市長の言葉が思いおこされた。集落の人々は何かを恐れている。

「それは……魔女の使い魔が出るからですか?」

 立ち入ったことだと自覚しながらも気になって尋ねてみると、主人は「おや」と瞬いた。

「もう噂は耳に入っておりましたか……。ええ、それもあります。裏の山には使い魔が長いこと磔にされておりましてね」

「クロウ、って言うんですよね?」

「おや、名前も知っておられますか」

「ええ、あの、市長さんから聞きました」

「名前と言っても、我々が勝手にそう呼んでいるだけなんですがね。害獣避け――カカシという意味ですな。我々が農地に立てる人形とよく似ているので、そう呼ぶようになりました」

 ドロシーは目を丸くする。

 都会生まれ都会育ちのドロシーはカカシを実際に見たことはないが、知識としては知っていた。農地に人形をたてて害獣が寄ってこないようにするものである。使い魔は人間と似た形をしているのだろうか。磔にした姿がカカシに似ているというのだから、人型をしているのかもしれない。

「しかし、いわゆる害獣避けとは違って、寄らなくなるのは人ばかり。……磔にされているので我々に害をなすこともないが、いかんせん気味が悪い。――自ら山に入ろうとするのはあの娘くらいですよ」

 あの娘、と言って主人は目で何かを追っている。その目線の先をちらりと見やると、集落の済みに一人の少女の姿が見えた。青い瞳の小柄な娘、昨日この集落に入って最初にドロシーが出会った娘である。夜闇の中では瞭然としなかったが、日光に照らされ茶色の髪がきらきら輝いていた。娘はこちらに一瞥もくれず、山道へと入っていく。

「何にせよ、夜の外は危険が多い。また此処にくることがありましたら、是非うちを利用してくださいね」

 最終的にちゃっかり次回利用を促してくる主人には、「是非」と社交辞令だけ述べた。それよりも、ドロシーの興味は山道へ消えて行った娘の方に注がれる。『魔女』や『使い魔』『磔』と言った単語が当然のように飛び交うこの集落では、一体何が起きているのだろうか。気にかかって仕方がなかった。

『ドロシー、行くかい?』

 ドロシーの興味を読み取って、小型獣が声をかけてくる。少女は黙って肯定した。返事は言葉にはできない。何しろ、人目がある。

 少女は宿の主人に「お世話になりました」と一礼をして、そのまま娘の消えて行った方角へと駆けだした。迷わず山道に入ろうとするドロシーを見て宿の主が驚いたように「そっち行かれるんですか」と声をかけてくるが、返答はしない。この集落に戻る気はなかった。西へ向かう道すがら、ついでにあの娘に話を聞くだけだ。

 ドロシーは一晩泊まった集落を後にして、山道へと飛びこんだ。太陽は南に昇り始めようとしている。



 その少女は、エルミダと呼ばれていた。ドロシーを見るなり、「貴女は魔女なんでしょう」と断定してくる奇妙な少女であった。少女は集落でも変り者扱いされており、集落の住人たちがこぞって忌まわしそうに語る「クロウ」とやらに関係がありそうだ。

 彼女の後を追い、ドロシーと幻獣トートは険しい山道を辿った。道と呼べるかどうかも怪しい険しい坂地である。山に入る者はいないと集落の人間たちが語ったように、山には人のいた気配がまるでなかった。そのため、道らしい道もなく、わずかに残っているエルミダのものと思われる足跡を辿って急峻な坂を登り続ける。時折斜面に足を取られて転びそうになり、その都度肝を冷やした。

『おいらたち、慌てて魔女狩りから逃げてきたわけだけど、実は魔女について何も知らねえんだよな。あの覆面男が言ってた西の魔女ってのも気になるし、少しは調査しねえとなあ』

 狼程度の大きさになった獣は、器用に険しい坂道を登っていく。首都スマラカタではドロシーを担いでビルの壁を駆け上ったくらいだ。彼の身体能力は実は高いのであろう。

『あの集落では昔、魔女狩りがあったって言ってたよな。五年前ってことは丁度魔女がメディアで騒がれ始めた頃じゃねえか? 騒ぎの先駆けってことだ』

 トートの言葉には頷くだけにして、会話はしない。昨晩のようにまた会話しているところを誰かに見つかって怪しまれたくはなかった。

 汗だくになって険しい山を登り、草木をかきわけて進んで行くと、途中で平坦なスペースに辿り着いた。上を見やれば頂上はまだ遠く、下を眺めれば集落の家の屋根が見えた。丁度山の中腹あたりに、休憩出来そうな平坦な土地がある。

『お、急に開けたな』

 トートは尾を振ると、平坦なスペースへと飛び出した。広めの一軒屋ほどの広さがある。その端っこに、明らかに人工物と思われる銀色のポールが立てられているのが見えた。

「……なにかしら?」

 思わずぽつりとつぶやいて、ドロシーは目を凝らす。ふうと呼吸を整えてから一歩そのポールへと近づき、思わずぎょっと身を竦ませた。太い柱のようなポールには、麻色の何かが括りつけられている。

(――人間?)

 それは下を向いた人間のように見えた。

 ――山の奥には、使い魔が今も磔にされている。クロウというのは、使い魔の名だ。

 ――カカシという意味ですな。我々が農地に立てる人形とよく似ているので、そう呼ぶようになりました。

 頭の中に、市長と宿の主人の言葉がそれぞれ蘇る。山の中には、人形によく似た使い魔が磔にされているそうだ。そう聞いてはいたものの、今実際に目にしているそれは人形には見えない。実に生々しい、人間そのものであった。

 山奥の突如開けた平たい土地に、不自然に放置された銀色のポール。そしてそのポールに括りつけられた人間のようなもの。その光景は異様であり、実に不気味である。

 ドロシーは恐る恐る銀ポールの傍まで近付くと、括りつけられている人型の何かを見上げた。――やはり、人間だ。

 よく見ると胴体や手足を鎖のようなもので縛られており、自由に動けないのであろう。雨や風に晒されたのか、洋服は汚れて麻色になっている。ぐったりと俯いている、ひょろりと背の高い青年男性であった。しかし、微動だにせず、まるで人形のようだ。

『やっぱり、人間、だなぁ……生きてるのか? こいつ』

「……わからない」

 思わずトートの言葉に返事をして、ドロシーは男に手を伸ばした。栗色の癖毛が顔を半分ほど隠してしまっているため、顔がよく見えない。その髪の毛を払い除けようと彼の顔に手を伸ばした、その瞬間であった。

「――なんだてめえ」

 人形のように動かないと思っていた男が、突然口を開いた。ぎょろりと赤茶色の瞳が見開かれ、こちらを睨み付けてくる。ドロシーは仰天し、慌てて手を引っこめた。

(生きてる……!)

 とりあえず、彼が人形ではないこと、そして死人ではないことが判明した。つまり、生きた人間がこんな山奥に雨ざらしのまま拘束されている、ということだ。

「……エルミダ、じゃねえな……初めて見る顔だ」

 男はドロシーのことを頭から足の先までじろじろ眺めて目を細める。エルミダという少女の名前はドロシーも知っている。なにしろ彼女を追って、ドロシーは此処までやってきたのだ。今は姿が見えないが、エルミダもこの辺りにいるのかもしれない。

「いや……なんとなく見覚えがあるな……初めてじゃ、なかったか? ……お前、どこかで俺と会ったっけ?」

 男に尋ねられて、ドロシーは瞠目した。

 ドロシーには、山奥に拘束された男の知り合いなどない。そもそも、彼の顔を見るのはこれが初めてであった。彼の顔に、見覚えなどない。

 赤茶色のつり上がった目で睨み付けられ、思わず怯んだ。しかし尋ねられたからには黙っているわけにもいかず「知らない」と答えようと口を開くと同時、茂みの奥から少女の声が響いた。

「あっ……貴女、昨日の……!」

 聞き覚えのある声である。

 茂みの奥から草木をかきわけ、現れたのはエルミダという少女であった。少女は手に濡れた布を持っている。茂みの奥の方からは川のせせらぎの音が聞こえた。濡れた布は、川の水に浸してきたのだろうか。

「貴女、何しに来たの……?」

「何しに、っていうか……貴女を追いかけてここまで来たんだけど……」

「もしかして、クロウの知り合い? っていうことは、やっぱり貴女、魔女なのね!」

 エルミダは昨晩と同じくドロシーのことを勝手に魔女と決め付けるなり身を乗り出してきた。エルミダがあまりにも目を爛々とさせるので、ドロシーはたじろいでしまう。

「魔女、というわけじゃないんだけど……」

「私ね、いろいろ魔女に聞きたいことがあるの……! あとね、集落のみんなにいろいろ教えてほしいことがあるんだ!」

 話を聞こうともせず、ドロシーのことを魔女だと思い込んでいるくせに、エルミダは少しも怯える様子を見せない。首都スマラカタでは一人魔女が出現したとニュースになっただけで、首都機能が停止する騒ぎになったというのに、少女は少したりとも魔女を恐れていないようだった。

「まずね、クロウは貴女の使い魔なんでしょ? それを村のみんなに伝えてほしいの!」

「あん? ふざけんな、俺は使い魔なんかじゃねえぞ!」

 「クロウ」と呼ばれ、銀ポールに拘束された男が反応した。山奥には魔女の使い魔が磔にされているとは、集落で散々聞かされてきたことだ。そしてその使い魔のことをカカシを意味する呼び名「クロウ」と呼んでいるのだとも聞いた。つまり、集落の人々が言う「使い魔」というのは、彼のことを指しているのだろう。だが、彼はどう見てもただの人間であった。ドロシーには、銀ポールに拘束された哀れな人間にしか見えない。

「お前もいい加減しつけぇな……俺は使い魔なんかじゃねえ! いいからその帽子を返せ!」

 クロウと呼ばれた男は自分で身動きを取ることができないらしい。銀ポールに括りつけられたまま、もどかしそうに叫んでいる。そんな青年を見上げた後、エルミダは手に握っていた濡れた物――布製の帽子を彼の頭に被せてやった。

「汚れてたから、洗ってあげたんじゃない……私は、諦めないわよ。貴方が全てを思い出すまで」

 濡れた帽子から手を離し、エルミダは強い口調でそう言った。状況の読めないドロシーは、両者を順番に見比べて首を傾げるのみである。エルミダや集落の人々は彼のことを「使い魔」だという。しかし、クロウは自分のことを「使い魔ではない」と否定した。どちらが真実なのだろうか。

 クロウの前から一歩離れたエルミダは、「さてと」と呟いて今度はドロシーを睨み上げてきた。今度は何を言われるのだろうとドロシーは身構える。

「クロウは貴女の使い魔じゃないのね……?」

「使い魔じゃねえって言ってんだろーが。何度言わせる気だ、お前」

 答えたのはドロシーではなくクロウという男だ。ドロシーは彼の言葉を肯定し、黙って頷いた。クロウという初対面の男のことは知らないが、使い魔なんて、聞いたこともない単語だ。

「ごめんなさい、私、『魔女』については何も知らないの」

 ドロシーがはっきりそう告げると、エルミダは納得いかない様子で首を振る。

「そんなの嘘よ。じゃあどうしてこんな山奥に来たの? クロウに会うためでしょう?」

「私、魔女のことも、この人のことも本当に知らない。此処まできたのは、貴女を追ってきたからよ」

「嘘。本当のことを言って」

「本当よ、私も『魔女』について知りたいの。――エルミダさん、貴女が知ってることを教えて欲しい」

 エルミダと真正面から向き合い、今度は怯むことなく真剣な口調で言ってのけるた。少女は怪訝そうにこちらを睨みつけてきていたが、ドロシーが引かずに堪えていると、やがて諦めたように下を向いた。はぁ、とエルミダの口から溜息が漏れる。悄然とした様子で項垂れて、少女はその場に座りこんでしまった。

「……エルミダさん」

 縮こまった彼女に慌てて手を差し伸べると、少女は小声で呟いた。

「やっと、何かわかるかと思ったのに……上手くいかないものね」

 エルミダは地面の上にへたりこんだまま、力なく笑った。先ほどまでの気迫はどこへやら、まるで別人のようである。何と声をかけてよいやらドロシーが戸惑っていると、少女は座り込んだままこちらを見上げてきた。そして、「いいわ」と言う。

「……全部話してあげる。私の目線から、私が見たことを、全部」

 少女エルミダはその青い瞳をわずかに潤ませて、どこか遠くの方を見つめていた。ドロシーはこくりと頷いた。「私の目線から」と強調されたことから察するに、少女には他の人とは異なる物語があるのだろう。ドロシーは少女の隣に腰を下ろし、無言で耳を傾ける。エルミダはどこか遠く、過去の物語を眺めているかのようだ。

「もう五年も前のことだけど……この村で『魔女狩り』があったの」

 地面の上に蹲ったまま、少女は淡々と語り始める。その瞳に映っているのは、彼女にしか見えない思い出の光景なのであろう。

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