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3、ドロシーと黒面の男

 ドロシーは人気のない場所を探し、路地裏へと飛びこんだ。そこは普段あまり人に使われていない道なのか、足元の煉瓦が崩れかけている。少女は辺りに誰もいないことを確認すると足を止めた。はあと大きく息を吸う。急に走ったため、肺と喉が痛む。大きく息を吸うと、近くのビルの換気扇から排出される空気が流れ込んできた。飲食店でもあるのだろうか、油の臭いがする。

『とは言え、別にお前が魔女だと決まったわけじゃないぜ、ドロシー』

小型獣は崩れた煉瓦をひょいと飛び越えてこちらを振り返ると、少女を見上げた。その背後にはゴミ用のポリバケツが設置されているにも関わらず道中にゴミが散乱している。誰にも清掃されていない都会の裏道は汚らしい。

『とりあえず、魔女に間違われたら困るから逃げてきたわけだが……別にお前が魔女だってわけじゃねえ』

 つぶらな瞳でそう告げてきた獣を見下ろし、少女はこくりと頷いた。少女も自分のことを魔女だと自覚しているわけではない。ただ、自分が普通ではないことだけは確かであった。それが露見してしまうのが怖かった。

「……少し休んだら戻る」

 ドロシーは膝を抱えてその場にしゃがみこみ、ビルの汚れた壁にもたれかかった。小型獣が少女の脇にちょこんと座る。

『戻るってどうすんだよ。また魔女検査されるぜ?』

「裏門から入る」

『それで避けられるのかね』

「わからないけど……」

『魔女じゃないんだから堂々としてればいいんじゃねえの?』

 路地裏には自分たちの他には誰もいない。少女は人のいないことを確認していたため、安心して獣と言葉を交わしていた。人のいないことは十分に確認した。そのはずだった。

「――いいえ、貴女は魔女ですよ」

 そのため、突如頭上から降ってきた第三者の声に、飛び上がらんばかりに驚いた。

 少女は膝に埋めていた顔を上げ、ぎくりとする。いつの間にか自分の前に麻のマントを羽織った人影が立っていた。全く気配を感じなかったため、心臓が止まるかと思った。あまりにも仰天したせいで、悲鳴も出て来ない。

「学校から逃げ出したのは英断でした。あんなところで捕まってしまっては困ります」

 頭の上から麻で出来たマントをかぶり、足の先まで隠れている。顔には見慣れぬ黒い面を装着しているため、表情すらわからない。声色は男のようだが、それ以外には何もかも不明であった。あまりにも不気味な男である。

「ずっと貴女を探しておりました。見つけることができて良かった」

 黒い面の奥から柔らかい声が聞こえた。ドロシーは恐ろしさのあまり、腰が抜けてしまって立ち上がることもできない。それでも目の前にいる不気味な男から逃げ出したくて、少女は石畳の上を這って移動した。手のひらや膝に石の粒が刺さって痛んだ。

「学校には戻らない方がいい。奴らは貴女のことを魔女だと言って捕らえるでしょう」

 逃げ出そうとする少女に向かって覆面の男が告げた。だが、少女にとっては学校で行われている魔女検査も、目の前にいる覆面の男も、等しく恐ろしかった。

 とにかくこの場所を離れようと、震える足を無理に立たせて少女は前進した。ビルの壁に手をつくと、手のひらが油汚れで黒ずむ。

「まあまあ、そんな焦らずに。まずは私の話を聞いてくださいな」

 覆面の男は少女を逃がそうとしてくれない。マントをはためかせて飛び上がると、少女の前へと降り立った。人間とは思えない跳躍力だ。軽々と少女の身長を飛び越えてしまった。

「実は貴女にお願いがあって参ったのです。――貴女に西の魔女を退治してほしい」

 ひらりと舞うマントの下から、黒いブーツが覗いた。二足歩行の人間のように見えるが、只人ではない。少女は思わず後退りした。

「ここ近年多発している人智を超えた災害は、西の魔女の力によるものです。あれにはとても科学などで太刀打ちなどできない。そこで、我々は西の魔女にも匹敵する力を求めておりました。貴女はこの任務に相応しい」

 何を言っているのか、男の言葉がちっとも理解できない。少女は必死に首を横に振った。

「わ……私は、魔女じゃ、ない……」

 必死に絞り出した声はあまりにも、か細い。

「いいえ、魔女ですよ。それは間違いない」

 有無言わさぬ強い口調である。少女はわなわなと震えた。あんまりにもあんまりだ。突然顔も見えない化け物のような男がやってきて、自分のことを魔女だという。現実とは思えない。夢なのではないだろうか。それも、悪夢だ。残酷な悪夢である。

「私は……普通の人間」

「本当に、自分のことを普通だと思いますか?」

「だって、私は、魔法なんて使えないし……」

「まだ覚醒しきっていないだけ。あるいは使っているのに気付いていないのか」

 喋りながら男が迫ってくるため、後ろに下がることしかできない。壁に背中がぶつかり、逃げ場がなくなった。少女はグレーの瞳で男を見上げる。黒い面に吸い込まれてしまいそうな錯覚に陥った。すると弱々しい少女の様子を見かねたように、足元から様子を伺っていた小型獣が前へと飛び出した。

『おいっ、いい加減にしろ……! 突然出てきて人を魔女呼ばわり……あまりにも失礼なんじゃねえか!』

 しかしそれは少女にしか見えない獣であった。少し体を膨らませて相手を威嚇しているが、男には見えないであろう。少女はそう思っていたのだが。

「おや、魔女であることは悪しきことではないのですよ。非礼であるとは思っていない」

『あんだと? そもそも、ドロシーが魔女だって証拠でもあんのか?』

「彼女は魔女ですよ。何度でも言いますが、それだけは間違いない」

 男は当然のように獣の問いに答え、言葉を交わした。

 少女は息を呑んで男を見つめる。――この男には、獣の姿が見えているのだろうか。

 自分の言葉が通じている不思議に気付いていない小型獣は続けてキャンキャンと吠えた。

『なんでそんなことがわかるんだよ! 大体、突然現れてなんなんだ! 名前くらい名乗ったらどうなんだよ!』

 息巻くうちに小型獣はどんどん体を膨らませていく。狼程度の大きさになったところで立派な牙を剥いて見せた。男にはその姿が見えているらしく、「おやおや」と呟きながら後ろに下がった。

「これは立派な幻獣だ。ますます先が楽しみですな」

 幻獣とは聞き慣れない響きだ。だが、それがこの獣のことを示しているのは確かである。

 一瞬、恐れも忘れ、少女は前へと身を乗り出した。

「貴方、トートが見えるの?」

 尋ねると、男は獣を見下ろして口元を歪ませたように見えた。漆喰の面を被っているのに妙な話だが、男の顔がにやりと笑みに歪んだように見えたのである。

「トートと名付けましたか。立派な幻獣を持つのも偉大な魔女の素質の一つ。やはり貴女にしか頼めません。――西の魔女を殺して下さい」

 殺すという物騒な響きにドロシーは再び怯んだ。魔女だとか幻獣だとか、話はさっぱり読めないままだ。

『なんでお前なんかに頼まれて、ドロシーが人殺しなんかしなきゃなんねーんだよ! 嫌いな奴がいるんなら自分で殺せ!』

 何も言い返せない少女のかわりに、獣が唸りをあげた。迫ってくる獣から逃げるように一歩二歩と男は後ろに下がっていく。

「私には無理ですよ。魔女に太刀打ち出来る能力なんてありません。それに、嫌いだから依頼しているわけではない。この世界の安泰を守るため、貴女の力が必要なんです」

 噛みつこうと牙を剥いた獣から逃げ、男は高く空へと跳躍した。ビルの横に伝う古びた配管の上に降り立つと、しゃがみこむ姿勢でこちらを見下ろしてくる。ビルの合間を抜ける隙間風がひらひらと麻のマントをなびかせていた。

「貴女が魔女であることは遅かれ早かれ世間に露見するでしょう。無能な人々は貴女を魔女狩りと称してどこかに閉じ込めてしまうかもしれない。だが、わかる人にはわかるんですよ。貴女の力が世界に必要なこと」

 漆喰の面が不気味に微笑んだ。やはり錯覚などではなかった。漆喰の面はまるで男の身体の一部であるかのように、表情を変える。

「貴女が西の魔女を倒しさえすれば、世界中がそれを思い知ることになるでしょう。そうしなければ、貴女は有害な魔女と誤解されたままだ。貴女の家族も、魔女の家族として世間から白い眼で見られることになる。全てを解決するためには、諸悪の根源を自ら断つしかない」

 ぺらぺらとまくしたてるように言った後、男はふと路地裏の先、大通りの方角を見やった。

「おや……誰かが来たようです。私はそろそろ、おいとましましょう」

 配管の上にしゃがみこんでいた男は、すくと立ち上がった。古びた配管が錆びついた音をたてる。そんな男を見上げ、獣が吠えた。

『やいっ、言いたいことだけ言って逃げてんじゃねえぞ! お前何者なんだよ! 名前も名乗らねえ奴の話なんて信じられるか!』

 すると漆喰の面が困ったように歪む。それは幼子を慈しむような優しげな表情に見えた。

「名前は明かせない――だが、これだけは言える。私は、誰より貴女の活躍を望む者の一人だ。私だけではない。皆が貴女の活躍に期待している」

『はあ? なんだいそりゃ。質問の答えになってねえや!』

「すまないね。今はこれで勘弁しておくれ。――それではまた、お会いしましょう」

 覆面の男がそう言い終えるのとほぼ同時、ばたばたと騒がしい物音が路地裏に響き渡った。それは複数人の駆け込む足音のようだ。普段、人など通らない、狭い路地裏である。通勤や通学のために誰かがやってきたとは考えにくかった。

 足音のした方を見やれば、複数人の大人が大通りの方から路地裏へと駆け込んでくるのが見えた。大人たちは少女の姿を見つけると口々に「ここにいたか」と声をあげる。

「ドロシー、ここにいたのか!」

 先頭の男性が声をあげた。その顔には少女も見覚えがある。少女の通う学校の教師だ。

「……先生!」

 教師が数人と、その後ろからは見覚えのない大人たちが数人駆けてくる。何故彼らが人通りのない路地裏に集団でやってきたのかは不明であるが、知っている顔を見て少しだけ安堵した。少なくとも覆面よりは恐ろしくない。

「先生、ここに、変な男の人が……!」

 少女は早速、教師に訴えた。黒の面を被り麻のマントで全身を隠した男など、不審者以外の何者でもない。学内で教師たちは女子学生に近付く不審人物に神経を尖らせていたはずだ。きっと何とかしてくれると期待を込めて訴えた。が、教師から返ってきたのは間の抜けた答えである。

「男……? 誰もいないじゃないか」

 少女の指し示した先を見やって、教師はそう言った。驚いて少女も自分の示した先、配管の上を見やるが、確かにそこには誰もいなかった。それどころか、誰かがいた形跡さえない。

「え……嘘。たった今まで確かにそこに、いたのに……」

 たった今、教師たちが路地裏に駆け込んでくるその瞬間まで、少女は漆喰の面と対峙していたはずだ。が、今は影も形もどこにもない。まるで蒸発してしまったかのようである。

「ほう……妙なことを言う娘だな」

 少女の発言を受けて、ぼそりと呟いたのは教師の後ろに控えている男であった。その顔に見覚えはない。初めて見る男であった。

「『魔女検査』の噂を聞いて逃げ出した娘がいると、生徒たちから聞いたから追いかけてきてみれば……なるほど、怪しい娘だ」

 男は深緑色のベストとズボンを纏い、腰には重そうな機材をぶら下げていた。同じ深緑色のベストとズボンを纏った人々が回りに数人おり、それが制服のようだとわかる。しかし、何の職業の制服であるかはわからない。

「大尉、ドロシーは具合が悪くなっただけだと聞いています。検査が終わったらすぐに休ませてやってください」

 教師が少女と男の間に割って入ってくれた。『大尉』と教師が彼のことを呼んだため、それがこの男の肩書であることがわかる。まるで軍隊の指揮官のような肩書だ。では、一体何のために組織された軍隊なのだろう。そう考えてからふと、連日メディアが放送している報道の内容が脳裏に浮かんだ。――政府は特殊部隊を再編し、ますます魔女狩りに力を注いでいます。

 首都スマラカタに出現した魔女を捕えるために、政府は躍起になっているのではなかったか。

「もちろん、検査が終わればすぐにでも休んで頂きますよ。――さあ、お嬢さん、こちらへ」

 大尉と呼ばれた男は皺の多い顔にますます皺を寄せて微笑む。心から笑っているとは思えない微笑みだ。さきほどの漆喰の面の微笑みよりも、おぞましい。背筋が凍りそうだ。

 ――貴女が魔女であることは遅かれ早かれ世間に露見するでしょう。

 さきほど覆面の男に言われた言葉が脳裏に甦った。もしも、検査の結果、魔女だと判定されてしまった場合、自分はどうなるのだろう。少なくとも、普通の女学生として学校に通うわけにはいかなくなるだろう。

「さあ、ドロシー」

 教師がこちらに手を差し伸べてくる。大尉と呼ばれた男は腰にぶら下げた四角い機材のスイッチを入れた。青白いランプが点滅し始める。

 ドロシーは思わず後ろに引き下がった。前に進むことなどできず、くるりと踵を返す。本能が逃げろと叫んでいた。少女は狭い路地を反対側へと駆け出した。

「……ドロシー!」

「娘が逃げたぞ! 反対側を塞げ!」

 教師の声と大尉の声が背後から追いかけてくる。

 路地裏を抜けて大通りへ出ようとすると、大通りから複数の男がなだれこんできた。皆、深緑のベストを纏っている。これが特殊部隊の制服であることはもはや疑いようがなかった。

 前方と後方から挟みうちにされ、狭い路地には逃げ場がない。少女が地団駄を踏んでいると、狼からさらに体を膨らませた獣が叫んだ。

『ドロシー、こっちだ!』

 獣はみるみるうちに大きくなって、馬ほどの巨犬と化す。

「娘を捕らえろ! 魔女に違いない!」

 前から後ろから深緑の集団が迫ってくるが、奴等が少女を捕らえるよりも巨犬が少女を背負う方が早い。巨犬は少女をくわえて背中に乗せると、ビルの壁を蹴って上へと駆ける。少女は振り落とされないように慌てて茶色の毛並みにすがりついた。

「飛んだぞ!」

 彼らには巨犬が見えない。少女が突然飛翔したように見えたことだろう。

 巨犬は重力など無視するかのように高層ビルの最上階まで壁を一気に上りきり、屋上へと到着する。次の瞬間、屋上のフェンスを蹴って、隣のビルへと軽々飛び移った。少女は振り落とされないように必死である。

『ドロシー! 無事かいっ?』

 風の音に混ざって、犬の声が聞こえた。風圧で目を開くのも億劫だが、懸命に口を開いた。

「無事だけど……あんた、こんなこと出来たのね! 知らなかった!」

『おいらも知らなかった!』

 誰にも見えない獣とは物心ついた頃からの付き合いであったが、一度もその背に乗ったこともなければ、空を駆けたことなどあるわけもなかった。自分の妄想なのではないかとさえ疑っていた巨犬に、こんな能力があると初めて知って吃驚する。

『とりあえず、家に帰るぜ!』

 そして、巨犬は何も言わずとも少女の心を汲み取ってくれた。

 今更学校へは戻れない。だとすれば少女の居場所は家しかない。

 巨犬は少女の返事を待たず、ビルからビルへと飛翔する。地上は遠く、遥か下に見えた。高い所から見下ろす首都スマラカタは、一面緑色に輝いていた。まるで宝石が散りばめられているみたいだと詩的なことを考えた。

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