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序、ドロシーは普通の女の子でありたい。

 都会の街を埋め尽くす、プラズマ発光のディスプレイ。不規則に並ぶディスプレイたちは口を揃えて世界情勢や政界の汚職を語るが、多忙な都会の住人は、誰も足を止めて耳を澄まそうとはしない。それは都会の騒音の一部となって、人々の耳に聞き流されていく。

 少女は、人の行き交う大都会の交差点を横断していた。ふわりと長い赤毛が首にまとわりついて、鬱陶しい。少女は信号を無視して突っ込んで来ようとする車を睨み付け、道路を渡りきった。この騒がしい道が少女の通学路である。見慣れた風景の中、少女は足下に気を配りながら歩いていた。

 少女の横を同じ年頃の少女が駆け抜けていく。黒いセーターに灰色のスカート、同じ制服を纏っているからには、同じ学校に通う生徒なのだろう。だが、少女は相手のことを知らない。当然、相手も少女のことは知らない。少女の横を通りすぎた女子生徒は前を歩く別の女子生徒の肩を叩いた。

「おはよう、ニュース見た? また魔女が出たって……!」

「見た見た……! 田舎の方でしょ? 特殊部隊が魔女狩りに出たって……!」

 前を歩く女子生徒たちはマスメディアがこぞって報道する事件を語るのに夢中だ。女子生徒たちのみに限らない。この国は近年頻繁に出現する『魔女』に関する噂で持ちきりであった。老いも若いも男も女も口を開けば、『魔女』の話題を口にする。

「魔女って本当にいるのかな……?」

「いるでしょ。だって今年に入ってからもう五回はニュースで見たよ」

「怖くない? なんで都会には出ないんだろ」

「隠れてるだけだってお父さんが言ってた。お父さんの友達に政治家の先生の事務所に務めてる人がいて、その人が噂で聞いたんだって。本当は都会にもいるって」

「まじで。もう政治家とかはどこに魔女が隠れてるかも知ってるんだ……?」

「ねー。知ってるんじゃない? うちの学校にもいるかもよ」

「やばっ。早く狩ってくんないかな……」

 出所の不確かな噂は国の至るところに蔓延している。見上げれば高いビルに貼り付けられたディスプレイが今日も今日とて魔女狩りの報道を流す。とっくに聞き飽きた話題だ。

 通勤のために急ぐ人波を逆行し、少女は学校へと向かっていた。駅へ向かう人波に逆らい、女子生徒たちは通学路を歩く。徐々に黒と灰色の制服姿が増え、学校が近くなったことを示していた。少女は女子生徒の群れに紛れ、群れのうちの一人となる。少女はなるべく目立つことのないよう、なるべく規律を乱さぬようにと気を配って前へ進んでいた。

『なあ、今日は歌の授業あるんだろー?』

 懸命に群れの中の一人を演じる少女の足元に、じゃれる一つの影があった。少女の膝にも満たない小柄な身体で、革靴の周りを行ったり来たり、せわしない。四足歩行で跳ね回るその姿は犬によく似ていたが、それは他の犬と異なり人間の言葉を話す奇妙な獣であった。

『おいら、あの歌の先生嫌いなんだよなー。フケようぜ』

 最も奇妙なのは、その姿が誰にも見えないということである。道を覆う女子高生の群れは誰一人として茶色い毛並みの小型獣に気付かない。小型獣は少女たちに蹴られることのないよう器用に人の足を避けながら、少女の革靴を追っていた。

 この獣は困ったことに、少女にしか見えない。声も少女にしか聞こえないのである。

『どうしてこう歌の講師ってテンションが高いんだろうな。あいつの声聞いてると、耳が悪くなりそうだぜ。サボって庭園で昼寝しようぜ』

 少女は沈黙を貫く。この獣が自分の足もとにまとわりついてしつこく話しかけてくるのは、いつものことであった。少女は他の人の視線がある場所で、決して彼の言葉に答えない。そして獣も、少女の返答は期待していないようであった。

『ま、そんなことしねえな。お前は和を乱すのが嫌いだもんな。優等生のドロシーちゃん』

 少女は道を行く女子学生たちに気付かれぬよう、こっそりと自分の足もとを睨みつけた。犬のような容貌の小型獣はへらっと赤い舌を見せる。そして整備されていない凹凸のある石段を上りながら、くくと笑った。

 古びた石段を上った先に、女子生徒たちの通う女学校がある。新緑に囲まれた石造りの厳かな学び舎だ。この窮屈な石城こそが、少女の世界であった。

「おはよう、ドロシー」

 後ろから小走りで同じ制服を纏った女子学生が駆けてくる。少女は石段を上る足を止め、振り返った。同級生だ。特別に仲が良いというわけではないが、仲の悪いわけでもない。登校途中に出会えば、会話を交わす程度には親しい。

「おはよう。今日は暑いね」

 他愛もない気温の話題を振れば、相手も嫌な顔はせず「そうだね」と頷いた。

「春にしては暑すぎるってテレビで言ってた。魔女の仕業じゃないかって」

「……なんでも魔女の仕業なのね」

「そんなことはないと思うけど……でも、先週は魔女が川を一つ干からびさせたそうじゃない? そんなの、普通の人間の仕業じゃないでしょ」

 女子学生の言葉に対して、少女は適当に相槌を打つ。『普通』の人間たちは、魔女の所業をこぞって恐れていた。

 この国では、異端な存在は厭われる。『普通』ではないものを人々は忌み嫌い、科学の力で排除した。だが、そんな科学の力を嘲笑うかのように、近年国の至るところで摩訶不思議な現象が勃発している。それは異端な存在『魔女』によるとされ、人々は魔女を恐れていた。

(この国では、異端な存在は嫌われる)

 少女は努めて『普通』な存在であろうとしていた。少しでも他と違うことが知れてしまったら、自分も魔女のように科学の力で排除されてしまうかもしれない。まだ若き少女には、それは恐ろしいことに思えた。

「一限はなんだっけ?」

「確か、歌の授業」

「歌かー。あたし、あの先生好きなんだー。いい人だよね」

「うん。そうね」

 相手に合わせ、周囲に協調し、目立たぬようにと息をひそめる。それが少女ドロシーの生き方であった。普通の少女であることが、少女の理想であった。

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