第六話 「氷の彼女、その名は」
第六話 「氷の彼女、その名は」
【坂本霞】
――――そして、晩。あたしたち四人は、その日のうちにあの老人の家を出立していた。今はその道中、どうしても避けようがなかった野営の最中である。アラベラへの道中を辿っていたあたしたちは、当然暮れゆく太陽を眺めては腹を括り、進むことをいったんやめて野営場所を探した。結果、幸いなことに近くに四人が一夜を明かすには十分すぎるほどの洞穴があったため、そこで夜明けを待つことと相成った。
野営準備についてはあたしの従兄がやたら慣れた手つきでほとんどのことを行ってくれた。力も技術も知識もないあたしがやったことといえば、せいぜいがたっくんが集めてきた薪に火をつける程度である。その最中、詩音が「……ここをキャンプ地とする」とぼそっと呟いたものだから、まあなんというか笑いながらそれ番組どころか世界が違うからとしか返しようがなかった。別に今日は水曜じゃない。
さて、そして今後の行動方針である。老人にワーウルフ討伐の報酬として「大した額ではないが」といくらかの金銭と数日分の食料と詩音勅選の簡単なサバイバルグッズをいただいたあと、まずはとにもかくにも首都を目指そうという話になった。その第一歩として、まずは手近な街であるアラベラに行こうというわけだ。
しかし当然の如く生きるには継続的かつ安定的な収入が必要だ。この世界の相場がいくらくらいなのかはまだわからないが、少なくとも報酬としてもらった額で大人四人が一ヶ月と生き延びるということはなかなか想像が難しい。そこで出たあたしたちの結論は、「とりあえず傭兵でもやろうか」ということだった。なんとも軽い決断だろうとは自分でも思うが、実際あたしたちの能力を見比べてみると最も現実的かつ即金的で可能性の高い手段であるから侮れない。ついでに、それで評判になりさえすればいずれ他のひとたちの耳にも入るだろうから、という目算もある。危険ではあるが、異世界なのだ。あたしたちが元いた世界とは勝手が全く違うし、それならば順応の仕方も相応に変えねばならないのは自明だった。
ぱちぱち、と薪が爆ぜる音が小さく響く。この地域は比較的温暖なのか、本格的に夜になったというのにさして寒さは感じなかった。
「……なんか、本当にキャンプにきてるみたいだよね。欲を言うなら、ちゃんとみんな揃ってしてみたかったけど」
「逆に揃ったほうが大惨事になりそうな気がするのはなんでやろね……詩音が慣れてて、ほんまに良かった」
焚火を中心に右隣の凍華さんが表情をわずかに緩める。左隣のたっくんもそれに同意するように頷き、
「詩音さん、本当にたいていのことは出来るっすよね。どこでこんなサバイバルの技術なんか」
「あー、まあ、護身術の一環として教わったんだよ。ほれ、今日の晩餐だ」
真向いの詩音が放り投げてきた干し肉を慌ててキャッチし、おそるおそる噛みつく。うん、まあ固いけど食べれなくはない。るっさんの作った美味しいご飯が恋しいと内心零しつつもしょせん非常食、そんなものだろうと割り切り、しかしこの従兄はなぜ護身術など……と胡乱な目を無言で向けていたからか、彼は「まあ色々とあってな」と誤魔化してきた。そういうところも、変わらない。
「そういえば、霞は詩音さんのこと呼び捨てにするよな。ゆっきーや唯人でさえさん付けするのによ」
ゆっきーと唯人とはつまり、ここにはいないあたしの大学の先輩・雨宮雪路と兎川唯人の二人である。あたしはその二人のことをそれぞれ「雪さん」「唯さん」と呼んでいて、その二人に限らずほとんどの人をさん付けで呼んでいるから余計不思議だったんだろうと思う。たっくんの中での二人の序列の片鱗がうかがえた気がするが、まあそれについてはあえて突っ込むまい。
「うん、従兄だから。あたしのお父さんの妹さんの息子が、詩音」
昔は家が近所だったため、親戚ということもあり幼少期のあたしはこの青年によく遊んでもらっていたのだった。しかし彼は中学生になる際に引っ越してしまい、それからずっと会っていなかったのがひょんな不思議な巡りあわせでこのゆかり荘で再会したのだった。
最初の顔合わせの時は、正直言ってしばらく飲み込むことができなかった。度々テレビで見かけるスター選手の実物に、ではなく――――十数年と会えなかった大好きな従兄と、再び巡り合えたことが。
「でも詩音は霞のこと、普段は『坂本』って呼ぶよね」
凍華さんがあたしとしても一番聞きたかったことを突いてくれた。詩音は「う」という微妙な顔をしたあと、はあと一つ嘆息をつき。
「お前も俺も、もう良い大人だしな……流石に昔みたいに下の名前で呼ぶのは憚られる。マスコミに変な風に取り上げられても困るし」
「でも今日昼間は呼んでくれたよね」
「……あれは、咄嗟だったから」
がじ、と干し肉を齧って詩音は目を逸らした。なるほど、再会してからというものの妙によそよそしい感じがしたのはそういうことだったのか。その理由は納得できるようで、相変わらず変なところで真面目な人なのだった。しかし嫌われたわけではなかったようなので、あたしとしては一安心。
「嫌いになるだけの出来事がないだろうが。別にそういうわけじゃない」
「分かってるよ、だって詩音だしね」
くす、と笑えば詩音はつんとそっぽを向いてしまった。たっくんが宥めるようにすれば、凍華さんが「そういえば」と話を変える。
「詩音、あのおじいさんから――――エルヴィスさんやっけね。彼から、手紙を受け取ってなかった?」
「ああ」
詩音は頷き、荷物の中から一通の手紙を取り出した。誰に渡すの、と問いかけると、
「あの人の息子、セドリック=ウィリアムソン宛だとさ。官僚になるためにアラベラに行って、それきり。その通りになっていればアラベラの市議会堂に務めているらしいから、会ったらこの手紙を届けてほしいそうだ」
官僚……まあ、お役人、政治家といったところだろう。この世界の政治体制がどうなっているのかはわからないからいまいちどれくらいの偉さなのかは把握しづらいが、それもまた行ってみればわかることとは思う。身分証明のないあたしたちが行って、果たして信用されるのかどうかというのは別として。
「っていうか傭兵ってどうなるもんなの?」
ふと脳裏をよぎった疑問。深く考えることもなく口に出したところ、束の間沈黙が場を満たし、
「……さあ?」
「雑やね……」
「俺だって知らないからな、そんな傭兵のなり方なんて」
ましてや異世界だ、と零す詩音。それもそうだ。まだあたしたちは、この世界についてほとんど何も知らない。今がなんとかなっているというだけで、それは生き残るにはあまりにも致命な欠陥だ。あるべき常識が欠けている、それはともすれば奇異の目で見られかねないという不安要素にしかならない。なるべく早急に解決するべきだし、それまでの立ち回りというのもまた、自分の中で考えておかねばならない事柄だった。
しかしそれはそれ、一日の間で蓄積した疲労は確実にあたしの意識を蝕んでいて、……つまりあたしは今、非常に眠かった。
「……あうっ」
「おいおい大丈夫か? そんな焚火の傍で舟なんて漕ぐな、危ねぇだろ」
「ぅう……はぁい……でもなんか、めっちゃねむ……ぃ」
「まだ魔力を使う、ってことに体が順応しきれないのかもしれへんね……うちも眠いわ……」
「わかったわかった、お前らは寝ろ。一時間ごとに火の番を交代しよう。俺の次に岡本、狐塚、坂本の順だ、くれぐれも火は絶やすなよ」
かくん、半ば寝落ちながらも頷けば、詩音は自分の慣れ親しんだ銃を片手に持って「ほら、寝ろ。おやすみ」とせかしてきた。意識が落ちるぎりぎり前で焚火から少し離れ、背を向けてぱたんと倒れる。使い慣れたゆかり荘のベッドとは程遠い、土の堅い感触に、それでもしかし体は睡魔に逆らうことなくとろとろと微睡に落ちていくのだった。
***
『――――よう』
どこからか、声が聞こえた気がした。おかしいな、あたしは眠っていたはずなのに。それとももうあたしの番なのだろうか、でも凍華さんはこんなぶっきらぼうな声のかけ方はしないはず――――そして次いで、ぼんやりと夢であることを認識する。
『まだアタシのことは、そうはっきりとは認識できねぇか……まあそりゃそうか、まだ発現したてだもんな』
ぼやく声は、女性のもの。口調こそ乱雑でありながら、しかしその中に秘めた強さと優しさを感じさせる――――小さな焔のような囁き。
夢の中でありながら、目を開く。そうすれば目の前には、燃えるような紅の長い髪を持った十五、六ほどの少女が、紅い、暁の頃の空のような世界を背後に立っていた。視線を下にずらせばまさしく深遠かのような紫、漆黒が広がり、上にずらせば反対に天照らす橙が無間のように瞬いていた。
払暁。黎明――――始まり、兆し。そんな言葉が脳裏を掠める。僅かに首を傾げれば、ふ、と少女は年齢にはそぐわない小さな笑みを口元に浮かべた。ゆらゆらとその茜色のポニーテールが水中にいるかのように緩やかにたなびいて、しかし視線がそちらに移るのを嫌がるかのように声色が柔く響く。
『お察しの通り、これはおまえの夢だ。だからそう長く話ができるわけじゃない……アタシが言えることは、伝えたいことのほんの切れ端に過ぎない』
だがそれでも、おまえは考えなければならない。声音はあくまでも優しく、されど逃れることからは許さないとでもいうかのようにやけにはっきりと聞こえた。
声にあなたはだれ、そう問おうとして、すぐに声が出ないことに気付いた。喉を震わせても、息の音すらせずただただ無音だけが空洞を通り過ぎるように、何も音にすることができない。
『悪ぃな。時間がない、だからおまえの疑問に今すぐ答えることはできない。もう少しおまえのその力が強くなれば……おまえがその力をモノにさえすれば、あるいは』
な。と言葉を一度切り、そして再度彼女はあたしを真っ直ぐと見据えた。彼誰時の光の中で、その紅の色だけがやや剣呑に煌く。
『いいか、カスミ・サカモト。おまえは“魔女”の力を継承する者だ。ゆえに、その魔女を狙う者は、アタシを狙う者は、当然おまえをも獲物と定めてくる。“魔女狩り”に気をつけろ。そしてもう一人の魔女に気をつけろ、氷の彼女、その名は――――』
ぞわり、と。夜の空気が足元から忍び寄り、徐々に彼女の姿を覆っていく。時間切れだ、と彼女の唇が紡いだ途端、青、群青、紫、黒――――色が彼女を喰らい、それが即ち夢の終わりであるとあたしは悟った。
氷の彼女。黄昏を呼び込む凍てつく世界の魔女――――そんな言葉が脳裏を過り、何かが閃いた気がして、しかしそれが何か判別がつく前にあたしの視界も黒に覆われた。
やがて、夜が明けていく。黎明は異世界にも等しく訪れ、そしてまたあたしたちは新天地へと歩き始めるのだった。
第六話 了