第四話 「その『自分』にまだちゃんとした名前をつけることはできなかった」
第四話 「その『自分』にまだちゃんとした名前をつけることはできなかった」
【坂本霞】
そして、朝。思いの外疲れがたまっていたらしく、いつもと違うベッド、いつもと違う部屋での睡眠だったにもかかわらず途中起きるなどということもなく、凍華さんと爆睡を決めたその翌日である。
悲しいかな見上げるのはいつもの淡い桃色の天井ではなく、木材で組まれたがっしりとしたそれ。そういえば異世界だった――――と思い出し、頭を覆いかけた起き抜け特有の鬱を、起き上がってかぶりを振って追い払う。
「ふぁ……おはようさん、霞」
むく、と凍華さんが寝ぼけ眼を擦りながら起き上がる。また一つ大きな欠伸を零し、凍華さんはくしゃりと一つあたしの髪を撫でてベッドを降りた。向かい、もう片方のベッドはといえば既にもぬけの空で、
「詩音と拓海は、もう起きてるようやね……起こしてくれたっても良かったっちゅうに」
「おはよう凍華さん。起こされても起きてたか、ちょっと自信ないけどね、あたし」
「布団にもぐってすぐぐっすりやったもんなぁ。寝顔可愛かったで」
「やだぁ凍華さんったら、じっくり見ちゃやだよぅ寝顔なんてー」
くすくす、と元の世界にいた時と大して変わり映えのない会話をする。容姿こそ大幅に変われど(凍華さんに至っては髪の長ささえ違う)、その程度で変わるような関係性でもないのだった。
そんなこんなで階下へ降りれば、先に起きていた詩音が老人の朝食の手伝いをしているところに出くわした。白銀の髪がきらきらと差し込む日光に輝くが、そのメガネの奥の透明なオレンジの瞳と言えばいつもの通りテンション低く細められている。いつも休日は遅くまで寝ている詩音が珍しいこともあったものだと思っていれば、彼に続いて老人もあたしたちのほうに気付いたらしく、「おはよう」と柔和な微笑みを浮かべた。
「おはようございます。ごめんなさい、泊めてもらってるのに手伝いもできなくて」
「構わないよ、君たちは客人だからね。シオン君とタクミ君、といったかな。むしろ二人には悪いね」
「いえ」
詩音のほうはさらっと短く答える。老人はいつもの彼の無愛想ぶりにも気を悪くした様子はなかった。しかし辺りを見回すものの、健気にお手伝いをしているというたっくんの姿は見えない。外だろうか、薪をぱかーんぱかーんと叩き割る音だけが――――ああ。
「岡本は外だ。想像通り薪割ってる」
なるほど力仕事だ。昨日申し出た通り、というわけである。老人はそんなあたしたちを見て、「カスミ君とトーカ君、だったか。彼から名前を聞いたよ。朝食としようか」と微笑んだ。
「じゃあ、うちはこっちを手伝おう。霞は拓海を呼んどいで」
「うんっ」
そして、たっくんも呼んでの朝食の席にて。まずはアラベラに行き、そこでもっとより具体的な情報を集めたいという旨を詩音が話せば、老人は「それが良い」と頷いたのち、続いてこう切り出してきた。
「実は、君たちにお願いがあってね。君たち、腕に覚えはあるかい」
腕。よく聞く言い回しだが、この場合の『腕』というのはつまり。
「……戦いの腕、っちゅうことやろか」
「そうだ。もし覚えがあるのなら、やってほしいことがあってね。ああ、これは強制ではないよ。君たちの身の安全に関わる問題だ、客人に死なれては私としても寝覚めが悪いからね」
そう前置いて。
「この近辺に、最近ワーウルフが出現していてね……普通連中は山岳地帯にしかいないんだが、それが何故かツェツィーリアのほうから下ってきたようでね。三匹確認されているんだが、このままではおちおち農作業もしていられない。それを退治してもらいたいんだが、どうだろうか」
ワーウルフ。そう聞いて、あたしたちは思わず顔を見合わせた。
ここに来た瞬間の出来事。森の中に落とされ、そして襲われ――――けれど死ぬことはなく、二匹を退け一匹を退治せしめた。
きっとこの老人が言っているのも、そのワーウルフのことだろう。残るは二匹。腕に自信がある、とは間違っても言えないが――――かといって、まるきり無謀というわけでもない。あたしと凍華さんの魔法。たっくんの力。詩音にはいざとなれば自前の銃がある。経験を土壇場と道具で補いきれるかが勝負所に思えた。
だがまあ、とりあえずは。この世界への順応のファーストステップと思い、やってみるのが一興だろうと。思ったのはきっと全員一致で、
「――――やります!」
告げたのは、あたし。老人はそれににっこりと微笑み、「そうか、ありがとう」と頷いてのち、おもむろに立ち上がった。
「ついてくるといい。これだけが見返り、というわけではないが……まあ、前金のようなものだ」
そうして言われるがままについていけば、そこにあったのは――――丁寧に分類され整備された、武器の山だった。
剣。刀。銃。杖。斧。短剣。様々においてあるそれらは、決して華美なだけの装飾品ではなく実際に斬り戦うことを目的とされた本物の“武具”だった。素人目でも、なんとなく分かる。綺麗なだけの光ではなく、それらは真に使うために鍛えられたものの光であると。
部屋に入ってみれば途端そんな諸々に囲まれたものだから、流石に言葉もなかった。そんなあたしたちに老人は、
「私は、もともと王都勤めの役人でね。隠居がてら武器庫の管理を任せられたのさ。この中から一つずつ、好きに持っていくといい」
好きに。
とは言われても、どれを取れば良いのかとんと見当もつかなかった。当たり前だ、まだ異世界生活二日目、自分の能力すら満足に把握できているとは言い難い状況なのだから。
「……あ」
凍華さんが不意に声を上げる。振り向けば、彼女は電波のでの字も受け付けていないスマホを開いていた。どうしたの、と声をかければ、「適性武器、って項目が追加されとる」と答えた。
その言葉に従い、あたしたち三人もスマホを開く。するとそこには、それぞれ詩音が『銃』、たっくんが『大剣』、凍華さんが『長剣』、そしてあたしが『短杖』と記されてあった。
「……なんとなく、戦闘スタイルが見えてきたね」
「そうだな……前衛と後衛ってわけか」
詩音がふむ、と呟く。彼は案の定というか、元々クレー射撃の選手ということもあり(異世界に来た今でさえ自前の銃を背負っているくらいだ)、早速様々な銃が並べられた付近を品定めにうろうろし始めた。しかし、魔法という概念がある一方で、銃器についてもきちんとある世界というのは、なんとなく不思議なようでいて親近感が湧くのだった。いや、銃なんて詩音のを見たことがあるくらいなんだけど。
たっくんは大剣が陳列されているあたりをぐるぐる回ってはいるが、いまいちぴんと来ていないようだった。彼は詩音とは対照的に普段がK1選手、基本的にその身一つで戦うタイプの人間だ。だからこそ「武器を扱う」ということにぴんときていないのだろうとは思う。ただそれでも一応手にとってしっくりくるかこないかの感覚はあるようで、忙しなく首を傾げたり唸ったりしていた。
凍華さんは凍華さんで、素直にその適性武器に従って長剣のあたりを見て回っている。あの細腕で剣なんて持てるのだろうかと思いはするものの、案外杞憂だったらしい。それともRPGらしく、適性とでもいうのだから補正がかかっているのかもしれない。そのあたりは完全に魔法使いタイプ(らしい)あたしにはわからないのだが。
そしてあたしである。短杖。ゲームでよくみる、ウォンドとかワンドとか言われる類の武器種だ。一般的に「杖」と呼んで想像される長いタイプのそれではなく、全長は70cmほどのものがほとんど。扱いやすく、小回りが利き、いざという時には打撃武器にもなる――――そんな印象だった。一応隣り合ったところに並んでいたから長杖の方も見ては回り、手には取ってみたのだが、どうもしっくりこなかった。なんというか、自分の身長ほどもある長さを扱いきるにはあたしには器用さが微妙に足りていないというか、端的に言えば長すぎて持て余すのだった。身長154cm、無念の敗北。
これが凍華さんだったらまた違うのかもなあと思いながらも、諦めて短杖のほうを周回する。杖というより棒と言うべき無骨なものから、さりげなく装飾の施されたものまで千差万別といったそれらの中で、ふとあたしが目を留めたのは。
「……これ……うん、結構好きだなぁ」
武器に好きも何もあるのかという言は、まあもっとも。しかし好きでない武器よりは好きな武器のほうがよかろうということで手に取ってみたのは、白い持ち柄の先端に紅色の宝石があしらわれたものだった。宝石の周囲にはそれを閉じ込めるためのものなのか囲いがつけられていて、軽く振ってみればその宝石が中で浮いているということが確認できた。
「ほう、それが良いのかい?」
「あ、はい。……なんだろう、なんか、これが良いかなって」
いつの間にか傍に来ていた老人があたしの手元、及びあたしが手にした杖を覗き込む。ふむと一つ頷き、
「このウォンド、実は魔力をある程度使えないと中の宝石は浮かないものなんだよ。だから魔法使いとしての適性、資質を見るのに最適なんだ」
魔法使いとしての適性、資質。その点においてならばあたしは満点かもしれない。能力に<魔法の才能>とあるくらいなのだから、これで扱えなければ本格的に一体何のためなんだということになってしまう。
とはいえ、いきなりそんなことを言われてもぴんとはこないので。
「たっくんたっくん」
「あん?」
大剣をためつすがめつしている185cmのところまで歩み寄り。
「これ持ってみて?」
にっこりと例の杖を差し出す。「お、おう」と困惑しながらも受け取ったたっくん、気になる宝石はと言えば。
「……浮いてませんねぇ」
やっぱりかぁと頷く。どうやら老人が言っていたことは本当だったらしい、宝石はたっくんが持った瞬間に浮力を失い囲いの中でころんと転がった。それを満足げに確かめるあたしを見、たっくんは元々ガラの悪い目つきを更に険悪ぅ~に細めて「なんか馬鹿にされてる気がする」と呟く。拳骨が降ってくる気配を察知し、それから逃れるように「あはは何でもないよありがと」とあたしはそそくさと杖のエリアに戻った。怖い怖い。老人はといえば、既に凍華さんのところへと移っていた。
「……本当に、魔法が使えるんだぁ」
手元に残った杖を見やり、改めて握り直し、そして小さく微笑む。異世界に来て、誰かに、あるいは何かに授けられた力。あたしたちだけの――――あたしだけの、特別な力。
大変なことだとは理解している。異世界に来るという、言葉にすれば簡単でも実際遭遇してみれば冗談では済まない現象に、稚気を覚えている場合ではないのも、十二分に。
それでもやはり、心のどこかでわくわくしている自分がいるのも否定することはできなかった。理性とは別のところで、これからどうなるのだろうという“予測不能”に震えている自分が。今のあたしは、その『自分』にまだちゃんとした名前をつけることはできなかった。しかし決して、否定的なものでないということだけはわかっていたのだ。
そうして、先。
――――先のあたしは、いずれそれに『 』という名前を付けることになる。
第四話 了