第三話 「結局あたしたちはあたしたちのままだった」
第三話 「結局あたしたちはあたしたちのままだった」
【坂本霞】
三匹の異形を退けてのち、とりあえずあたしたちは農地の中に見えた民家へと向かうことになった。
民家自体は煉瓦造りの二階建て。おそらくは周囲一帯の農地の持ち主であろう老人が、その入口のあたりで何か作業しているのが見えた。そこそこ疲労困憊でそちらに向かう途中、その人はあたしたちに気付いたようで、顔を上げてこちらを見てから不思議そうに首を傾げた。
「すいません」
暫定的な代表者として詩音が前に出る。彼が声をかければ、老人は「なんだろうか」と作業をしていた手を止めてこちらの言葉を待った。服装が珍しいのか、その視線はまじまじとあたしたちの上を滑る。
「……つかぬことをお訊きします。ここは、一体なんという場所でしょうか」
一瞬の間。言葉を探していたらしき詩音は、思い切ったように口火を切る。下手に嘘を吐くよりは単刀直入に尋ねるほうが良いと判断したのだろう。パッと見成人にしか見えない数人が「自分のいる場所が分からない」と告げたも同然の発言をしたのだ、普通は不審そうな顔をされるだろうが、しかし老人はそんな素振りも見せず「ここはアラベラという町の西側だよ」と素直に答えてくれた。
「君たち、どこからきたんだね。旅の者にしては軽装のようだが……」
さて、どう答えたものか。少なくともあたしには適切にはぐらかせる答えを捻りだすことはできず、それはほかの三人もまあ同様だったようで、居心地の悪い沈黙が暫しその場に流れた。しかし反面、その沈黙をこそ「他者には言い難い事情がある」と受け取ったらしく、老人はゆっくりと微笑んで「……そうか。まあとにかく、行くところがないのならあがりなさい」と家の扉をあたしたちに向けて開いた。
「いいんですか?」
「構わないよ。この家には私一人しかいないからね、ゆっくりしていきなさい」
思わず訊き返せば、彼はそうにっこりと笑うのだった。
――――席について、もてなされて老人に曰く。
今あたしたちがいるこの世界の名前を<ラ・テルミナシオン>、大陸の名前をローランヘン大陸、そして国家の名前をカンデラリア王国というらしい。王国は全部で七つの「領」で構成されているそうで、
北方、極寒と騎士のツェツィーリア領。
北東、宗教と修道のランプレディ領。
南東、農業と貴族のペリシェ領。
南方、芸術と観光のリュドミラ領。
南西、鉱石と鍛冶のカルヒネン領。
南東、経済と商人のキングスコート領。
そして中央、王家と医療のカンデラリア領。
これら七つが、ちょうどサッカーボールのように配置されているのがこの国でありこの大陸なのだった。
そしてあたしたちがいるのは六つ目、キングスコート領の中でも王国外縁部に位置するアラベラという町の外れだそうだ。
そもそもこのカンデラリア王国、政治制度としては中央集権制ではあるものの、現在はほぼ実質的に各領主がその土地を治めているらしい。国家としての支配よりも、各領主たちによる連綿と受け継がれてきた貴族的支配のほうが濃厚というわけで、つまりは全くといっていいほど中央の支配力がないという状況なのだった。
というのも、元を質せば現在国を取り仕切るべき王が即位以降全くもって仕事をしないという類稀なる昏君ぶりを見せているからで、それに愛想を尽かした各領主たちが各々でどうにかするしかなくなった、というのが実情らしい。信頼を築くには長い時間が必要だが、それが瓦解するには一瞬だったというよくある話。
そんな状況において、このキングスコートもまた例に漏れずそれなりに緊迫した状況にあるらしかった。
「――――キングスコートという土地は、もともとマクノートン・フラムスティード、二人の領主がそれぞれ治めていた土地でね。それを強引に一つの領地として併合してしまったから、今でもその領主たちの争いが絶えないんだよ」
老人が告げる。しかしとはいえ、歴代当主たちもやはりただの馬鹿ではなく、できうる限りの融和というのは目指していたらしい。しかし元が商人の邦、利権の調整などで未だに鎬を削る部分も多く、各地で小競り合いが起きている。
「……キングスコートとしての代表は、どちらが?」
詩音が尋ねる。既に半分ほど舟を漕ぎつつあったたっくんをあたしが肘でつついて起こせば、老人は「マクノートンだよ。表向きはね」と答えた。
「とはいえ、ついこの間まで領主であった家系を、単なる農民や町民に落とせるわけもない。実際このキングスコートの政治はマクノートンとフラムスティード、両の合議制だ。こればかりは効率重視の商人でも容れざるを得なかった。でなければ自分たちの既得権益さえも脅かされかねないからね」
とまで話したところで、老人は小さく微笑んで「それで」と口火を切った。
「君たちは、これからどうするつもりだい」
大体の世界の内情は、それなりに理解できた。実感として落とし込めていないだけで、いずれ嫌でも体感する時が来るだろう。
それよりもまずは、これからのことだ。しかしあたしたちもまだまともな話し合いという話し合いをしたわけではない、お互いに顔を見合わせれば、老人はそれさえも察したか「決まっていないのなら」と続ける。
「泊まっていきなさい。妻には先立たれ、子供たちもとうの昔に独り立ちしていった。……老人一人にはこの家は、広すぎてね。まずは休み、そして道を決めると良い」
老人は僅かな哀愁を漂わせ、提案。あたしたちにそれを断る理由はなく――――未だ進むべき途を決めていない、すぐさま決めるに躊躇われる状況である中で、安全な場所というのは非常に貴重なものに思えた。
そしてその思考は、視線を交わすまでもなく全員一致していて。
「……お言葉に甘えて、お世話になります」
「断る理由があらへんもんね。お世話になります」
「せめて力仕事は任してください。お世話になります」
「あ、えと。……お世話になりますっ」
四者四様。そのさまを眺めた老人は、どこか嬉しそうに笑みを深めた。
*
「……本当に、異世界にきちゃったねぇ」
夕食後。あてがわれた部屋にて、あたしたちは今後の作戦会議を開いていた。そこにきてのあたしのしみじみとした発言である。
「最初は何事かと思ったけどな……そういえば坂本、あれから体調は?」
二つあるベッドのうち、片方に腰かけた詩音が、真向かいのあたしへと問いかける。あれというのは、もしかしなくとも昼間のことだろう。血に飢えた異形たちの襲来、更にはその撃破。特にあれから変化というほどの変化もなく、とはいえずっとあった「蒸気を閉じ込めているような」感覚というのは消えていて。
その旨を伝えれば、隣に座っていた凍華さんがおもむろに両手を開いて体の前に出し、目を閉じて。
「――――<氷花>」
ぱりん、と。
「! わ……!」
凍華さんの掌の上に、小さな氷の花が咲いていた。花弁はきらきらと電灯に煌いて透き通り、精緻な作り込みはまるで彼女自身の性格を表すようだった。怜悧で勤勉な氷上の麗人、まさしくその如く霧のような冷気が周りを覆っている。
そしてそれにうっかり手を伸ばしたたっくんが、
「つべたッ!」
慌てて手を引っ込めるところまでがテンプレだった。直接手に乗っけている凍華さんは全くもって平気な様子であるのに、触れたたっくんが「うそォ」という顔で例の花を見ているが、あたしはそれに一つ思い当りがあった。
「……<炎羽>っ!」
ぼう、と凍華さん同じく開いたあたしの掌から小さな炎が立ち昇る。ゆらゆらと揺らめく赤い炎は、しかしあたしの手を焼くことはなくぽかぽかという暖かさを伝えてくるだけだった。
「これと、同じなのかもね。凍華さんのそのお花。同じ、魔法でできたもの」
「魔法だ? 霞、魔法つったか今?」
たっくんが目を見開いてあたしに問う。いつも見慣れた黒ではなく赤の色は、全く思いもよらなかったという表情であたしと凍華さん、炎と氷を見比べ。
「……異世界かぁ」
そう、感慨深げに零すのだった。あたしはそれに「うん」と頷きを返し、
「なんとなくね、そんな感じがするの。だってほら、あのアプリ……<情報>のアプリにも、あったでしょ。『<炎羽>、<炎界の祝い>』、って。何に祝われているのか、それはわかんないけど」
<炎界の祝い>―――――炎の魔法を操る能力。非常に簡素な文言ではあるが、その分非常に端的に性質を表している言葉。
ゆえにきっとこれは魔法なのだろう。詳しい仕組みはわからない、わからないがそれでも―――――使える。使えるのならば、きっとこれはまだ右も左もわからないあたしたちの、生存のその一助になる。そうシンプルに思った傍ら、
「霞が誰かに祝われてんのなら、うちは誰かに呪われてることになるんやけど……この<祝い><呪い>っていうのは、いったい誰が主語なんやろうね」
凍華さんがスマホを開きながら首を傾げる。覗き込めば、そこには凍華さんの能力についての文言が記されてあった。
狐塚凍華。<氷花>。<氷界の呪い>―――――氷の魔法を操る能力。<魔法の勉学>―――――本能ではなく理論で魔法を扱う才能。
まるであたしと対極。炎を才能で操るあたしと、氷を理論で操る凍華さん。その在り方はあまりにもかけ離れていて、されど離れすぎているからだろうか、根本でどこか似通ったものを感じるのだった。
「まあ、それを言うたらこの能力の名前自体、誰が決めたかわからんもんやしな……あんまり気にするほどのものでもないか」
凍華さんが結論づける。と同時にぱっと掌を閉じれば、氷の花は跡形もなく消えてなくなっていた。もちろん水滴といった痕跡に至るまでが、全て残らず。あたしもそれに倣えば、小さな炎も同様に消えてなくなった。
「ところでたっくんは、どう書いてあったの? それ」
「あー」
たっくんが微妙な顔をする。あまり気が進まないといった表情で彼はスマホを取り出すと、アプリを立ち上げてあたしたちの前に差し出した。
岡本拓海。<暴力>。<筋力>―――――筋力強化による身体能力の向上。<威圧>―――――敵対する者全てに対して発揮される威圧、威嚇。
これを見たあたしたちの感想は。
「……脳筋だな」
「……脳筋やね」
「……脳筋だよねぇ」
「うるせーよそうだよどうせ脳筋ですよ俺は! だから魔法とかそういう感覚全然わかんねーんだって!」
見事に同じことを考えたあたしたちに、ヤケクソとばかりに叫ぶたっくんだった。しかしまあ、これ以上にわかりやすいものもないし、彼らしいといえば彼らしい。見た目の柄の悪さは折り紙つきだが、彼のその実直なまでの素直さと曲がったもの嫌いについてあたしたちは知りすぎるほどよく知っているから、今更怖がるようなものでもない。
頼りになる人が、傍にいる。その感覚は元々楽観的なあたしの脳内ではたやすく希望的観測に結びついて、しかしそれでもやはり、いくつか心配なことは依然として存在した。
「問題はこれからどうするか、だな。俺はとりあえず、この近くのアラベラという町にいくことが先決だと思うんだが、どうだ」
詩音の提案、というより最早確認だった。現状ここでできることといえば、せいぜいあの親切な老人の世話になることだけだ。それではあまりに申し訳ないし、何より心もとない。せめて自活できるだけの能力と金銭、情報が必要。それを集めるためにまず大きな町を目指すというのは、使い古された戦略でいて至極真っ当な、誰でも考え得る定石だった。
「他の連中を探すにしても、この世界を自由に動き回れるだけの知識も金もない。ならまずは自分たちの生存を第一に据え、そのついでに奴らを探すほうが確実だろう」
「そうだね……満さんたち、大丈夫かな」
「満之はむしろ、霞のことを心配してると思うんやけどね……みんなはみんなで、大丈夫やろ。うちらがこうやって固まって飛ばされたってことは、多分ほかの連中も何人かで固まって落ちとるんやろうし。逆に考えてみ、うちら女がこうやって固まってるんや、ってことはほかの連中のところは男手だけってことやし、なんとかなってるんちゃう?」
むしろ大変なのは詩音と拓海、君らかもしれんで、と凍華さんは小さく笑った。それに対して詩音が「とんでもない、気分的には男だけよりずいぶんとマシだ」と頬を歪めて嘯き、たっくんはたっくんでそれに心底同意と言いたげに深く頷く。
うん、ほら変わらない。唐突に知らない世界に放り出されても、突然化物に襲われても、結局あたしたちはあたしたちのままだった。その程度のことで揺らぐほどの人間性でもないというか、これが一人で放り出されていたらきっとあたしは途方に暮れていたことだろう。しかし常日頃から衣食住を共にする仲間たちと一緒なのだ、ぶっちゃけ環境ががらっとかわっただけで、天地がひっくり返るほど動じるほどのことでもない。
ほう、と外で梟が鳴く声が微かに聞こえた。あたしたちのゆかり荘は都内、それも新宿というコンクリートジャングルの只中にあったから、自然の声が聞こえるのは酷く新鮮だった。
「方針は決まったな。具体的な計画は明日に立てよう。とりあえずは、おやすみ」
「おやすみ」「おやすみな」「おやすみなさい」
各自がかけあう言葉。それはあまりにもいつも通りで―――――だからきっと、明日もどうにかなる。心の中の小さな小さな不安を塗り潰すように小さく呟いて、あたしは凍華さんの隣、ベッドにもぐりこんだ。
―――――異世界初日。楽観と不安、その狭間を見下ろすように、窓の外には大きな月が架かっていた。
第三話 了