第十一話 「ようこそ、名も知れぬ傭兵団の諸君」
第十一話 「ようこそ、名も知れぬ傭兵団の諸君」
【坂本霞】
「…………ん、……」
柔らかな日の光が瞼の上に降り落ち、その明るさであたしはふと目を覚ました。妙に腫れぼったい瞼を押し上げれば、目の前は誰かの首元。視線を僅かにあげると、そこには安らかな顔で眠る凍華さんの顔があった。
ぼんやりと昨日のことが脳裏を過る。辿り着いたアラベラの街、賑やかな人々の話し声、石畳に響く喧噪、受けた依頼、妙に可愛らしい魔物、その直後に現れた巨体、死闘、――――そして、勝ち得た生。
そうだ、あたしたちはあの恐るべき魔物を倒し、そして生き残ったのだった。強張りかけた体がそれを認識し、実感して再び弛緩する。ふぅ、と声もなく一つ息を吐いてまた目を閉じれば、凍華さんが「ん……」と僅かに身動ぎをした。
「(……。……お、起こしちゃったかな)」
思ったものの、その瞼が開かれることはなかった。ほっと内心で安堵すれば、凍華さんの僅かな寝息に重なるように、更に二つの寝息が背後のもう一つのベッドから聞こえた。詩音とたっくんのものだろう、穏やかなそれらからは濃い疲労におされて泥のような眠りに落ちている様子がうかがえた。
ようはつまり、久方ぶりの安らかな眠りなのだった。こちらの世界に来てこの方、初日はあの老人、エルヴィスさんの家だったし、正直まるで修学旅行の日の夜のように浮足立ってあまりぐっすりとは眠ることができなかった。二日目は雨風凌げるだけが取り柄の洞窟での野営だったがために推して知るべし。そして三日目、こちらの世界に来て何度目かに立たされた命の危機、それを潜り抜けた末の宿屋での休息は、本当に久方ぶりにあたしたちを問答無用の眠りへと引きずり込んでいたのだった。
日は既に高いところまで昇っている。王商連に一度足を運ばないといけないのも分かっている。しかしそれでも――――ここからのそのそと起き上がり、気持ちよさそうに寝ている三人の大人たちを揺すり起こすのは流石に気が引けたし、何より目を瞑っているあたしのほうもまた、とろとろとした眠りに誘われて意識が落ちかけていた。
くすっと一つ、微笑みをシーツに落として。
「……おやすみなさい」
呟き、安らかな二度寝へと戻っていくのだった。
***
「いや、起きたなら起こせよ。王商連に来いって言われてたろ」
「だーってそんなこと言われても! ……あたしも、眠かったし?」
えへ、と小首を傾げるあたしに「ったく」と溜め息をつきつつも、それ以上言葉を募らせることはない詩音だった。
さて、安らかな二度寝から起きて、日はもう真上にまで昇っている時刻だった。ようは四人揃って日曜日よろしく爆睡を決め込んでしまったわけで、おかげで全員すっきりした面持ちで宿を出ることとなった。もちろんケガについては一夜で治るなんてこともなく、少しはマシにはなったものの相変わらずのずきずきを引き連れてとことこ王商連へと向かう。
服がいつもの服と違うので落ち着かないところもあるが、まあ致し方ない。元の世界へ戻る方法がわからない以上現時点ではこの世界でこのまま生きていくしかないわけで、となると服もそれに応じて変えなければならないのは必然だろう。昨日までずっと来ていたあの服は、サイクロプスとの戦闘の中で破けてしまったり汚れてしまったりしてしまったので、少し悲しいながらも荷物の中にしまっておいてある。機会があれば綺麗に直したいところだが、そこまで落ち着けるのは一体いつになることやら。
というか、落ち着くために王商連に向かっているといっても過言ではなかった。昨日のサイクロプスとの遭遇は、明らかに王商連の側の情報の不備、提供不足にこそ非がある。それに対する補填にも期待ができるところだし、何より「それだけのイレギュラーでありながら無事討伐を成し生還した」という事実自体に相応の“威力”があることは間違いない。同じ後ろ盾がないにしても、他の野良チームよりかは待遇の向上も望めようというものだ。
回される依頼のランクがあがれば、その分だけ報酬は跳ね上がる。当然危険度も相応に跳ね上がるだろうが、そのあたりは少しずつ掴んでいけば良い。多少荒っぽいやり方なのは理解しているが、これ以外にやりようがないのもあたしたちは十二分にわかっていた。
やがて、王商連へと辿り着いた。昨日の通り戸を開け、中へ入れば、昨日とは違って何やら多数の視線があたしたちに集中しているのに気付く。
「……なんや、見られとるな。うちら、そんなに変やろか」
「変、というか。……うーん」
怪しい人物を陰口叩くという様子ではない、ないが、しかしなんというか居心地の悪いことは変わらなかった。だがまあ多数の目に晒され、注目されているという事実はこのアスリートたちにとっては当たり前というか『いつものこと』であるのだろう、あたし以外の三人はさして動揺した様子もない。せいぜいが凍華さんのように首を傾げる程度で、そのあたりにあたしとこの人たちの生きてる世界の違いというのがある気がした。
「昨日、ゴマベア討伐の依頼を受けた者です」
「はい、伺っております。奥へどうぞ」
受付の人に詩音が告げれば、彼女はにこりと笑って立ち上がりあたしたちを先導して歩き始めた。それについて扉をくぐり、しばらく廊下をついていくとやがてそれらしい部屋へと通される。
「こちらへ。セドリック様とエリー様がお待ちです」
案内をしてくれた女性は中には入らないらしかった。扉を開け、あたしたちが入室すると、彼女は扉を静かに閉めてしまった。
「ようこそ、名も知れぬ傭兵団の諸君」
室内には、二人の人物が着席していた。
あたしたちからみてソファの左側にいるのが、身なりの整った実直そうな人だった。三十代くらいだろうか。口元に浮かべている笑みは朗らかで、一目で真面目そうな印象を受ける。纏っている服は官服だろうか、軍服にも似た丈の長い詰襟だった。
そしてその右隣に堂々と座っているのが女性。黒髪を高く纏め上げ、鋭い目元を強調するような眼鏡をかけている。黒いストッキングに包まれた脚は高圧的に組まれ、口元は男性とは正反対に引き結ばれていた。
入室するなりあたしたちを迎える言葉を告げたのは、男性の方。受付の女性の言葉の通りならば、きっと彼がセドリック――――セドリック=ウィリアムソンだろう、あの老人の息子という彼はなるほど確かに老人を彷彿とさせる柔和な表情で「かけてくれ」と対面のソファを指し示した。
あたしたちはおずおずと座り込み、改めて二人の人物と面会した。なぜアラベラの市議会堂にいるはずの彼がここにいるのかはわからないが、しかし。
「私がセドリック=ウィリアムソン、マクノートン市議会議員だ。こちらがエリー=シリーズ」
「王商連アラベラ支部長だ。貴公らの此度の功は聞き及んでいる。ご苦労だった」
セドリックさんはにこりと笑みを深めたが、エリーさんは僅かに頷いたのみで表情は変わらなかった。彼女にはなんとなく怖いという印象を受けつつも、しかしセドリックさんがおもむろに口を開く。
「今回は本当に大変だったようだね。君たち、名前は?」
「俺が詩音、こっちが拓海、凍華、霞です。……それと、お話の前にこれを」
「私に、かい?」
詩音が懐から取り出したのは、例のエルヴィスさんからの手紙だった。常に持っていたらしい、セドリックさんは不思議そうに首を傾げながらもそれを受け取り、中身を取り出して一読し始めた。
そしてそれを読み終えると、すぐに目線を上げて彼は一つ頷き。
「父からの手紙を、ありがとう。しかし父と知り合いだったとはね……不思議なものだ。シリーズ支部長、こちらの四人にはまだスポンサーがついていないのだったね?」
「ああ。功績としては十分CランクやBランク相当ではあるが、スポンサー不在のままでは正式登録するわけにはいかない。信用に響く」
「なるほど、なら私がそれを引き受けよう。構わないかい? 支部長」
あっさりと告げられた言葉に、あたしは「え」と目を瞬かせた。ここは王商連の支部だ、市庁舎でもないのになぜ市議会議員の人が――――それもアラベラではなくマクノートンの議員がいるのかと思った上に、提案があまりに突然過ぎた。
目を丸くするあたしたちをよそに、エリーさんは頷いて「貴公が決めることだ」と呟く。
「父の手紙に、もしいないようならと後ろ盾を頼む旨が書いてあってね。何やらワーウルフの討伐までしてくれたそうじゃないか、そのあたりからも、もちろん今回のサイクロプスの件からも君たちの腕が立つということは十分にわかる。それだけの力をDランクに留まらせておくのは非常にもったいない話だ」
「同意しよう。危険度に見合った報酬は出す。後でまた受付に寄れ、その時に登録に必要な一連の書類を提出すると良い。一両日中に手続きを完了させる」
どうやらこの世界の人たちにとって、『サイクロプスを倒した』という事実はあたしたちが思っていたよりもよほど重いものらしかった。それほどまでに強大で、危険だったということだろう。実際あたしたちも一歩間違えれば死んでいたわけだし、高い評価を得られることは素直に嬉しい。嬉しいが――――嬉しいが、あれはたまたま全てがうまく運んだというだけであり、あれだけの実力を常に安定して出せるかと言えば頷きがたいところだった。
それくらいは、他の三人も当然考えていることだろう。しかしまあ受ける依頼はこちらである程度選べることだろうし、王商連としても使える人材をわざわざ手放すようなことはしたくあるまい。と内心で見立てていると、セドリックさんは微笑みを絶やさないままに続けた。
「しかし一つ。スポンサーを引き受けるにあたって、条件があるんだ」
「条件、ですか」
詩音が尋ね返す。予想していなかったそれは、
「――――君たちに、監査役をつけさせてもらう」
第十一話 了