第八話 「嵐」
第八話 「嵐」
【坂本霞】
この世界の食べ物は、向こうとはあまり大きな違いはないようだった。
と、あたしたち四人は宿の部屋で腹を満たしつつ、小さく安堵していた。時刻は昼下がり(時間間隔についても差異はなく、二十四時間制なのは同じらしい。ちなみに今年は神聖暦221年だそうだ)、一時過ぎといった頃で、現在はあたしとたっくんが表通りにでている露店で買ったあれやこれやを、四人で食べながら今後の作戦会議といったところである。
「とりあえず、戦闘の素人でもできそうな簡単な依頼ということで、一つ請け負ってきた。まぁ、あちらとしても腕試しの意味合いもあるんだろうな……こういった依頼を積み重ねていけば、いずれ有力な人物への紹介も考えてくれるそうだ」
とは、詩音の弁。あたしとたっくん、ようは脳味噌あんまり使えない組が昼飯調達の露店巡りがてらアラベラという町の作りを見て回っている間(実質ほとんど観光だったのは言うまでもない)、詩音と凍華さんは先ほどのカンデラリア王国商人連合組合、王商連アラベラ支部を再び訪れていた。とにもかくにもまず必要なのは名声ではなく、生きるための日銭である。それを稼ぐためならば例え安い依頼であっても請けないよりはマシで、とどのつまりあたしたちに選り好みしていられるだけの余裕は全くもってなかったのだった。しばらくはここに腰を据え、情報を集めがてら依頼をこなし、日銭と信用を地道に稼いで目指すはそれなりのバックボーン、というのが新たな方針である。
「確かもらった金額は2000センタだよね。このホットドッグみたいなのが2センタだったから……多分、1センタはあたしたちにとっての100円くらいじゃないかな。つまり1ドルくらい」
「……そう考えると、大金だな?」
「大金だよ! 詩音が全部管理するの?」
無表情でちゃりちゃりと音の鳴る革袋を手で弄んでいた詩音だったが、あたしがそう問うと「いや」と首を振り、
「それは万一俺がなくしたり落としたりした場合が怖い。全員に均等に分けて持つとして、使うときは事前に相談。まあ、ある程度継続的な収入が得られるようになったら、各自が自由に使える金銭としていくらか分配するのは吝かでもないが……」
「まだ余裕ができるとは限らんもんな……依頼だけで食っていけるかもわからんし」
「命張る傍らでもう一個副職なんてのも、それはそれで本末転倒だから気は進まん。選択肢としては考えておくけどな」
副職をやるぐらいなら傭兵なんざやらん、というのもまあ理解できる話だった。それをするくらいならその副職の方を本職にしている、そうするだけのツテがないからこそ今は傭兵などという危ない職業に身を投じようとしているわけで――――まあ、ぶっちゃけ商売をするほどの脳味噌があたしたちにあるかと言われたら、せいぜい詩音と凍華さんくらいしかないだろうからというのも当然あるわけだが。
「むぐ。で、依頼のほうはどうだったんスか」
たっくんが大きな口でバーガーに食いつき、それを飲み下して話題を変える。本題だった。
「曰く、害獣駆除だとさ。ゴマベアとかいう小型の魔物が集団で現れては畑や木を食い荒らすらしい。それ自体大して強くはないが、繁殖力が強いがために定期的に現れるんだと」
「場所は」
「この街の外壁の外、農地が広がっているところの森だそうだ。地図はもらってきた。目撃情報があった場所を中心に捜索して、発見し次第討伐。ま、これからはこういった依頼が中心になるんだろうな」
「報告するときはどうするの? 大体なんかこういうのって、証拠とかが必要じゃん?」
「毛でいいそうだ。そんなわけで食い終わったし少ししたら早速行くぞ。何事も鮮度が命なのは変わらん」
魚でも捌くつもりなのかなこの従兄は、と思いつつも、あたしとしても、そしてたっくんや凍華さんにしろ、なるべく早く依頼を遂行してしまいたいことには変わりがなかった。夏休みの宿題もレポートの課題も、溜めるよりはさっさと終わらせてしまいたいタイプだったし。
「……あぁ、そうだ」
「? どうしたん」
「あの受付の人曰く、なんか他の魔物のものかもしれない痕があったんだとさ。危険な魔物が潜んでいる可能性はないだろうし、杞憂だとは思うが一応気を付けて、とも言われたな」
まあそうなったらなったで、だ。手をひらひらと振る詩音に続いて意気揚々と腰を上げたこの日の午後。――――まさかあのような事態に陥るとは、この時のあたしたちはまだ露ほども知らなかった。
***
「ッせいッ!」「アイスバレットッ!」「<華筵封神・一式/火雨>ッ!!」「……」
ドン ザシュッ 轟ッ 弾
『ぷぎゅあー』『ぷぎ』『ぴぎゅぅー』
アラベラ市外。この世界にやってきてから辿ってきた道と周囲に見渡す限りの畑を望む小さな森にて、あたしたちは今しがた戦闘を終えたところだった。目の前には件の討伐対象であるゴマベア――――体長1メートルほどの小さな灰色の熊が五匹転がっている。正直言ってあたしたちがこの世界に来て最初エンカウントしたあのワーウルフよりは断然雑魚で、本音も言えば肩透かし感は否めなかった。そのつぶらな瞳は害獣とは思えないほど可愛らしく、なんというかネトゲならマスコットキャラになっていてもおかしくないんじゃないかとも思ったが、まあ逆に言えば思ったことはその程度である。あとは詩音が毛をむしり終わるのを待つだけだった(案の定あたしの従兄は容赦のない手捌きで採取を行っていた。「ぶちぶち」という音がこわい)。
だけで済めば、良かったのだが。
「……あれ、なんだろ?」
ふと、首を巡らせてみて、気になるものが目に入った。草陰、とことこと近寄ってしゃがんでみてみれば。
「氷……?」
あたしの掌を縦に二つ並べたくらいの大きさの氷が、薄く地面に張っていた。それはよくよくみれば霜柱のようで、しかし特に対策を施すこともなく一夜を野宿で明かせただけの暖かい気候の中で自然にそれが発生したとはどうしても思えず。首を傾げていれば、凍華さんが「どうしたんや、霞」と声をかけてきたのに振り返って手招き。
「なんか見つけたんか……氷?」
「うん。でもこの気候で自然にできたとは思えなくって……これが、例の『そいつらの仕業じゃないような痕』なのかなあって」
それは、よくよくみれば足跡のようにも見えた。霜は僅かな窪みの中に張っているようで、少し顔を上げれば森の中へと点々と続いているのも視認できる。
「……、いってみる?」
「こういうの、十中八九追ったらやばいのと遭遇するパターンやろ……とりあえず、詩音や拓海に報告してからやね」
そうだね、と凍華さんに頷いた瞬間だった。
地面に、黒い影が落ちて。
ひゅう、と風切り音が響いて。
「――――霞、危ないッ!」
「ふぇ?」
ぐい、と体が後ろに引っ張られる。凍華さんの足元へとまろぶようにして倒れ込んだ瞬間、――――目の前に、何かが降ってきた。
――――――――鈍ッ!!
振動が地面を揺らす。おそるおそる見上げれば、そこには右半身が氷に包まれた一つ目の巨人が、あたしと凍華さんを見下ろしていた。
『GRUUUY……』
本能が悲鳴混じりの警鐘を鳴らす。その体躯から発せられる威圧は戦闘慣れしたとはいえない体には覿面で――――さりとて、振り上げられた禍々しい棍棒に対して、かろうじて反応できるほどには、この世界には適応していた。
「火雨ッ!!」
短杖を振り上げれば瞬間、虚空に魔法陣が現れてはそこから小さな炎の矢が撃ちだされ、振り下ろされた棍棒を大きく弾く。その隙に凍華さんがあたしを引っ張り立たせ、
「アイスランサー……!」
氷の槍が胴体に当たれば巨体はその衝撃に一歩たたらを踏み、そのわずかな間にあたしと凍華さんは全力でたっくんと詩音のところにまで後退した。
「二人とも何して……おい。何だあれは、一体」
詩音が呻くように零す。いつも冷静な従兄がどこか焦った声を出すくらい、体格の良い兄貴分が何も言わずにあたしと凍華さんの前に出るくらい、突如現れた異形は――――ただただ、圧倒的だった。
体長はおそらく三メートルほど。見上げんばかりの一ツ目の巨体はなぜか継ぎ接ぎだらけで、よく見れば体色の違う部位が関節ごとに無理矢理縫い合わされていた。しかしそれよりも特徴的なのは、右半身だけが肩から爪先まで氷に覆われていることだった。透明で、かつ冷やかな光を帯びたそれは右腕の動きを著しく阻害しているようで、しかし反面何よりも固い装甲としての役目も果たしているようだった。
ようは、サイクロプス。左手に汚れた棍棒を携えた、二足歩行の巨人である。それが放つ存在感は、先ほど相手していたゴマベアが吹き飛ぶどころか、あたしたちが苦戦したワーウルフですら軽く凌駕するほどの威圧を誇っていた。
ぎょろり、とその黄ばんだ一ツ目があたしたちを睥睨する。それはさながら獲物を品定めする獣の瞳のようで、――――悟った。
「これには勝てない」、と。
確かにポテンシャルは何者にも勝ろう。授かった力は驚異的で、適応力も及第点であろうことは間違いない。異世界において、あたしたちは誰かに称賛をもらっても良いくらいには、考え得る限り完璧の順応を果たしていた。
しかしそれでも――――勝てない。潜在は一流、けれども引き出す技量が三流にも劣るという自覚はこの場の誰もが持っていて、だからこそ、当然のように選ばれた選択肢は「逃亡」であり。
『――――――――GRYUUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッッッ!!!!!!!!!』
ゆえにこそ、それを容易く封じられてしまえばもう、あとは腹を括る以外の道はなかった。
たわめられた左膝が驚異的な跳躍力を生み出し、巨体は重低音を立ててあたしたちの退路を塞ぐように森の入口に降り立った。
ちっ、と誰かが舌打ちした音が、妙に大きく響いた気がした。その圧倒的なる暴威の予感に、森の動物という動物までもが息を潜め危険をやり過ごそうとしているかのように、小さな音がやたらと耳朶で反響した。
「……やるしか、ねぇか」
「やないと、うちら死んじゃうもんな」
「何もしないで死ぬっていうのは、まぁ」
「悔しいから、ね……っ!」
容赦なく叩きつけられる捕食の圧迫感の中、あたしたちはかろうじてそれだけを絞り出す。
怯えの中に混じる僅かな反骨精神。恐怖に席巻されつつある脳内が、ぎりぎりで弾き出した生存本能の声。
何もできないままに死んでたまるか、という。
嵐を前にしてはあまりに小さすぎる呟きが、四つ合わさってささやかな反逆の灯火となる――――。
第八話 了