輪廻転生の分岐点 6
黒い煙が家庭科室から上がる。焦げた臭いが鼻につく。
ガスでも引火したのか、吹き飛んだドアからボロボロのユエが廊下に倒れこんできた。
「ううっ」
ふっくらした頬に煤がついている。
「大丈夫か」
慌てて駆け寄る。
「ぜ、ぜんぜん、へーきだし、これくらい」
「なにがあったんだ!?」
「べ、別になんもないよ! ほんとに!」
痩せ我慢にもほどがあった。この惨状でなにもなかったと言えるところがすごい。
まさか、なにかやられたのか。
僕は背後の柿沢を見た。
「どうやら失敗したみたいだね」
呆れ顔の柿沢は肩にかかった髪を後ろに撫でた。
「そ、そんなわけないじゃん。なに言ってんの」
「床の傷、直った?」
「う、それはまだだけど」
「……」
「そ、その目やめてよ」
「残念ながら、ユエ、今回のテストは赤点、つまり君は留年だ」
「ひぇえー!」
およそ女の子らしくない悲鳴をあげて、ユエはうなだれた。
しょげかえる華奢な肩にそっと手をやる。
「さわんないでよ」
拒否られたが、彼女のためでもあるのだ。
「君、魔術使うとき色んなこと考えてるだろ。煩悩だよ。集中が足りないんだ」
「ほっといて」
「だから魔力が色んなところにアクセスしてしまう。君の回路は並列じゃない。直列だ」
「へ? どういうこと?」
少女の魔術回路を僕の魔力で無理やり押し開ける。
「きゃぁ!」
スタンガンで電撃を食らったように彼女はビクリと体を浮き上がらせた。
「なにすんのさ、ご主人様! ちっ、まだ、これ!」
そりゃ賭けの対象は僕に絶対服従なのだから仕方がない。というより、これ以上きつい命令はする気がないので、矮小ながら勝利の証だ。
「曲がった回路を僕の魔力で一本道にした。もう一度、床の傷を直す呪文を唱えてごらん」
「なに言ってんのか全然わかんないだけど。余計なことしないでよね。ユエは一人で大丈夫なんだから」
「……いいから、やれ 」
「はい、ご主人様!」
このガキ、人が折角親切してやってんのに。僕と柿沢もユエと共に再び教室内に入る。
グールの攻撃により抉れた床の傷は変化なくそのままだった。それどころか、周辺には先程の魔法失敗による焦げができてしまっている。
ユエは一度ごくりと息を飲んだ。
「復旧!」
少女が僕の命令にしたがって握った杖を縦にふるう。
白い光が床を照らし、ビデオの巻き戻しのように徐々に床の傷が埋まっていった。周りの焦げもきれいさっぱり無くなった。
「で、できた!」
ユエが歓喜の声をあげた。
「できたよ、ご主人様!」
「よかったね」
「って、えと、ど、どーも、ありがと」
「どういたしまして。これからは他人のアドバイスもちゃんと聞くようにしなよ」
「む、むぅ、それはヤだけど、ご主人様の頼みなら、仕方ないなぁ……」
頬を赤らめてながら唇を尖らせるユエは鼻の頭を指で撫でた。
「で、でもこれでユエの赤点はなしだよね!」
ユエがパッと顔をあげた先にいたのは柿沢だった。柿沢は酷く退屈そうに生欠伸をすると、
「それとこれとは話が別」
とシビアな答えを突きつけた。
「そもそもにして床の傷は任務じゃないし、今回の君はなかなか酷かったからとてもじゃないけど合格点はあげられないよ」
「そんなぁ、いいじゃん、百点は望まないから、きゅーだいてんちょーだいよぉー。きゅーだーいてーん、きゅーだーいーてーん」
「ロンリは入学辞退してるからね」
話の流れがようやく見えてきた。
ユエがなんであそこまで必死に僕を勧誘していたのか疑問だったが、ひとつ答えが出た。自らの成績に関わっていたからか。
僕はこいつらの試験材料にされていたわけか。
「ご主人様……」
ユエが紫の瞳を涙でにじませながら僕の方をジッと見つめてきた。潤んだ瞳に良心が刺激される。
「お願いします。どうかフランムルカ魔法学校に入学を……ひらに、ひらにー」
ちらりと柿沢の方を見る。
ニタニタと意地悪そうな顔で笑っていた。
なるほど、これは卑怯だ。
「なんでも。なんでも、しますから! あっ、性奴隷になること以外なら、なんでも!」
しねぇよ。こいつの貞操観念どうなってるんだよ。
「はぁ」
時間がないとはこのことか。
このままじゃユエは試験に落第してしまうと、……仕方ないな。
「いいよ」
腹を決めた。
「えっ!」
「入学してやってもいい。ただし、僕だけだ」
「ほんとっ!? 後で嘘でしたーばーか、とかなしだよ!」
「ああ。だけど絶対に妹を巻き込むなよ。僕の条件はそれだけだ」
「いいよ。それでいいっ、ありがと、ご主人様」
ユエは柿沢を見た。
「ふぅん、まあ、これで及第点ってところかな。欲を言うならアリカちゃんも……」
僕の怒りの視線に気づいたのか柿沢は言葉を飲み込み目を閉じた。
「まあいいさ。吹き飛んだドアを直すのも忘れないように」
柿沢はため息混じりに呟いた。
「私の目的はあくまで明野論理だからね」
その数秒後、見回りに来た宿直の先生に爆発音について訪ねられ、取り繕った嘘でなんとかその場を切り抜けると、僕らは半ば追い出されるような形で学校をあとにした。
シンと静まり返った校門前で、柿沢は羊皮紙で記された入学願書を差し出し、
「それじゃあ、一週間後ぐらいにまたそれを受け取りに来るから、よろしくね」
と無理やり受け渡すと鼻唄混じりに夜の闇に紛れた。
最悪だ。
慎ましく生きようと思ったのは彼女だけじゃない。僕だって第二の人生を波風のたたない誰も死なない物語にしようと思っていたのに、これじゃ台無しじゃないか。
吐き出した息が空に浮かぶ月の光を滲ませた。風に流された雲はまるで僕の人生を投影しているかのようだった。
「ご主人様」
「わっ、まだいたの!」
「なにその言いぐさ、なんか腹立つんだけど……」
金色の髪を靡かせてユエが立っていた。初めて会ったときに羽織っていた赤い外套を着込んでいる。その下はうちの制服で、その点に関して彼女は違和感を持っていないようである。
校長室前の制服のディスプレイを盗んで彼女に渡したのだが、返してくれとは言いづらい雰囲気だ。
「ユエ、べつにご主人様が好きってわけじゃないから、勘違いしないでほしいんだけど、助かったのも事実だし、これ……」
彼女が差し出したのは夕暮れ時に受け取って半焼けで僕を困らせたクッキーだった。綺麗にラッピングされている。
「えっとね、あのあと焼き直したんだ。ちょっとはマシになったと思うからさ、よかったら食べて」
「……ありがと」
「……」
受けとる。立ち去る気配はない。感想を求めているらしい。
仕方なしにラッピングを解いて、ひとつを口に含む。ふむ。
「どう?」
「美味しいよ」
「ほんとっ!?」
「うん」
僕の感想を聞いて、ユエは心底嬉しそうに笑顔になった。
「よかった。じゃあ、フランムルカ魔法学校で待ってるね!」
「はいはい」
少女が月明かりを駆けていく。消失魔法を知らないらしい。未熟者だ。
まあでも、少なくとも退屈はしなそうなのがせめてもの救いか。
柿沢秤がユエと僕を会わせた真意はわからないが、これを狙ってやったのだとしたら、あいつはなかなかの策士だ。
鞄を背負い直す。妹に別れを告げる準備を始めよう。
さようなら、平穏。
とりあえず焦げで満たされた口内を洗い流す意味を込めて、僕は自販機を探すことにした。




