境界線上の二人 8
扉の先は真っ白な空間だった。
誇張はしていない。
本当に真っ白なのだ。まるで写真スタジオのように、床も壁も白い幕に覆われ、境目は注視しないとわからないように出来ていた。
部屋には椅子が一脚だけ置いてあり、そこには王冠を被った人物が腰かけていた。うつ向いているため表情はわからない。
「あ」
僕に遅れて中に入ったユエが小さく口を開いてから、王冠の人物を見つけたらしく、
「あなたが不死王とかいう人? 悪趣味だよ、ああいうの!」
文句をブゥたれながら、近付いた。
「ちょっと、返事くらいしてよ、 はっ」
王冠の人物を覗きこんだユエは、その場に力無くへたりこんだ。腰を抜かしたらしい。
「死んでるっ!」
「まあ、予想はしてたけど」
不死王はミイラ化していた。
罠はなさそうなので、僕も不死王のミイラにゆっくり近づく。
「不死なのに、死んだの?」
「後継を探してるって言ってただろ」
間に合わなかったのだろうか。
いや、そもそも不死王たる終末の呪術師は僕が殺したのだ。生きていてたまるか。
「……」
だとしたら、死体の彼は誰なのだろう。
フランムルカが終末の呪術師に止めを刺したのはここではなく、西の都のサウレフトという町だ。
このミイラになっている人物が不死王と呼ばれる存在ならば、終末の呪術師とは無関係ということになる。取り越し苦労か。
「不死王の手にある薬を見て」
「あ!」
背後の扉を音もなく開けた人形が、抑揚なく声をかけてきた。
爆発では壊しきれなかったらしい。女の子の人形が男の子の首を持って、僕らが入ってきた入り口に立っていた。彼女の着ている服は赤く染まり、動いているのが不思議なくらいボロボロだった。
先程たしかに壊れているのを見たが、バラバラすぎてちゃんと確認しきれていなかったらしい。
「王の手にあるのが、不死の霊薬」
ミイラの手には小瓶が握られていた。カサカサの指をはがし、小瓶を取り上げる。中には赤い液体が入っていた。揺するとドロリと跡を残した。
「ただし、それは完全なモノではない。 寿命を伸ばすだけ。先代が苦難の末作り上げたイミテーション。だけど、細胞分裂を遅く、回数を多くするたげの効用がある」
足を一歩踏み出して、人形シロが口を開いた。
「だから、次代の不死王に、完全なる不死の霊薬を完成させてほしい」
淡々とした声に僕とユエは返事が出来ず立ち尽くしていた。
「あなた、たちが、次の不死王……薬を飲んで……、永い時間のなかで。作り上げて」
「……」
小瓶のコルク栓を開ける。
「ご主人様!」
横のユエが声をあげた。
「飲んで、なるの? 不死王」
「……そうだね」
瓶を逆さまにする。
中身がひっくり返り、赤い液体は地面にボタボタとこぼれ落ちた。
「ああ! もったいない! なにも捨てなくても!」
地面に出来た赤い水溜まりを口惜しそうに眺めるユエの肩を一回ポンと叩く。
「与えられた命を真っ当に生きるのが人間の責務だよ。それに」
空になった小瓶を背後に放り、僕は人形を真っ正面から見つめた。
「これの中身は薬じゃない。毒薬だろ」
「なんで、そう、思うの?」
「魔法使いは薬師みたいなもんだ。なによりも、こんな洞窟でどうやって霊薬の原材料を育てるのさ」
「お見通し、というわけ、ね」
「本当の不死王はキミか」
シロは自虐的に笑みを浮かべた。
「違うわ。不死王はちゃんと別にいる」
あれだけ木っ端微塵になっていたのに、何事もなく再生するなんて、いくら人形でもありえない。
彼女は不死ではないが、それに近い存在なのだろう。
「別? ここにはいないのか」
「至るところにいるわ」
シロの言葉がじんわりと僕の手のひらに汗をかかせた。
「どういう意味だ」
「私は手解きを行うだけ。それ以外は知らないし、知ろうとは思わない。それが契約だから」
「はっきり言ってくれないか」
「記憶を、別個体に引き継ぐ、それが私の仕事」
「記憶を?」
記憶操作呪文が得意だと言った柿沢 を思いだす。
「同じを意思を紡ぐの。それこそが不死」
「なるほどな」
「記憶を引き継いだモノは不死王となり、さまざまな名前で呼ばれた。あるものは闇より生まれし者と呼ばれ、またあるものは爛れる汚れ、またあるものは混沌の縁と呼ばれた」
「なん、だと……」
「不死王の目的は多くを知ること。別れていた彼の記憶は一つに統合された。あらゆる場所であらゆる知識を同次元で手にいれ、終末の呪術師と名を改めたあと、彼は古い王たちの肉体をも取り込み、より強い知識を求め魔境へと旅立った」
終末の呪術師。
燃え盛る館で笑いながら逝ったアイツを、僕は霞みの中で思い返すことができた。
「彼は記憶のみを奪われ、吸収を逃れた古い王の一人」
ミイラを指差してから、シロは続けた。
「不死王はいつか戻ると言い残し、旅に出たっきり戻らない」
僕が、終末の呪術師を殺したからだ。
だが、
僕が感じる疑問の一つは、柿沢秤はこのことを知っているのか、ということだ。いや、正確ではない。柿沢秤は本当に私が殺した終末の呪術師の生まれ変わりなのだろうか。
混乱する脳が必死に今得た事実を租借しようとフル回転する。
はじめに不死王という人物がいて、自らの記憶をシロを使って何人かに引き継がせた。その後別れていた記憶を一つに戻し、彼は終末の呪術師と名前を変えて王族転覆を測ろうとした。
「私はずっと待っている。ただそれだけの話」
シロは寂しそうにそう呟くと静かに動きを止めた。瞬きさえしていない。
おそらく彼女は悪魔だ。ヴィオレットほどではないにしろかなり高位の悪魔に違いない。
不死王によって召喚され、契約を交わしたのだろう。
どうでもいいが、柿沢秤の本職は召喚師だ。
本物の人形みたいに立ち尽くしていたシロは、やがて白い煙になって消滅した。魔境に帰ったのだろうか。
「ご主人様……」
黙って話を聞き入っていたユエが小さく口を開いた。
「なんの話か全然わからなかったんだけど、そんなことより、早く帰ろ。見たいテレビが始まっちゃうよ」
僕は思わず吹き出してしまった。
「そうだね」
もと来た道を引き返し、柿沢のところまで戻った僕たちは、彼女の呪文でフランムルカ魔術学校に戻り、ヴィオレットに事の顛末を伝えた。
「ふむふむ。なるほど。マモンの使者とは無関係でしたが、貴重な遺跡なのは間違いないみたいですね!」
ヴィオレットがニコニコしながら、手を叩く。
「さすがおねぇ様ですわ! 期待以上の働きです!」
僕はヴィオレットの誉め言葉よりも横の柿沢の表情の機微を観察し続けた。
「ご褒美にワタクシの股の間に顔を挟む権利をさしあ……」
面倒になったので、話の途中で切り上げるようにその場を後にした。
校長室を出たとき、日は既に暮れかけていた。
西日が射し込む廊下を僕と柿沢は並びながら歩く。窓枠が十字架のような影を廊下に落としていた。
「さて、今日はこれくらいかな」
夕日に照らされ、柿沢が微笑んだ。
静けさが日暮れの冷気を伴って、僕の血潮をたぎらせた。
「それじゃ送り届けるけど、転送地点はどこがいい? やっぱり自宅?」
「誤魔化すな」
「誤魔化す? なにをだい」
「あの遺跡はなんだ?」
「さあ」
「さあ、じゃないだろ!」
血が頭に上るのがわかった。白々しい表情を浮かべる柿沢を壁に押し付ける。
「きゃ」
存外デカい音がたったが、休日の校舎に人気はない。
「……まさかの壁ドンに乙女心が弾けちゃいそうだよ」
「ふざけんなよ。お前、あの遺跡のこと知ってたな?」
睨み付ける。柿沢の瞳が細くなった。
「嘘に聞こえるかもしれないし、私も私を守るために虚実をいくつか織り混ぜて答えるけどさ」
彼女の冷たい手の平が火照った僕の両頬を包み込んだ。
「記憶が混濁してるんだ。終末の呪術師だったころのことをハッキリ覚えているわけじゃない」
「本当のことを言え」
「もしかしたら私はシロとかいう人形の言うところの古き王なのかもしれない。あるいはマモンの使者もそうなのかも」
飄々とした軽口に、堪忍袋の緒が切れる音が耳の奥でした。
「このっ……!」
「んっ」
唇を唇で塞がれた。
キスされた。
甘い香りがした。後頭部に電撃が走るような違和感にとらわれる。
唇を押し開けて、彼女の舌が僕の舌と絡み合う、まさかのディープキス。
「ぷはっ」
時間にして三秒もなかっただろう。短いが濃厚なキスを終え、壁に押し付けた腕の下を通って、僕の包囲から彼女は易々と逃れた。
「ま、まて」
「逃げないよ。君を送り届けなきゃいけないし」
唇をぬぐいながらイタズラな笑みを浮かべる少女に僕は必死に声を出した。
「い、いまのは」
訳がわからなくて言葉が震える。
「ん? キスだよ。ファーストキスだったりして」
その通りだからこそたちが悪い。
「柿沢秤としては初めてのチューだったから、君も初めてだと嬉しいな」
「だ、黙れ、こんなんで誤魔化されないぞ、質問に答えろよ」
「質問? そうだな。私の記憶で一番ハッキリしてるのは、フランムルカ……君に殺されたって、記憶だけだよ。これは誓って本当」
西日に当てられた彼女の唇は蠱惑的に輝いていた。
僕にはわからない。
本当に彼女は終末の呪術師なのか。記憶は疑ってかかるべきものだとしたら、一体何を信じればいいのだろう。
目の前の少女を疑いたくはないと、僕はぼんやりと思った。
「夕日も沈むし帰ろうか」
柿沢は細い指をひょいと動かした。




