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腕にあたる柔らかな……

 青空の彼方に、ソーダ水に浮かぶ泡にも似た入道雲が白く立ち昇っている。

 路傍に立ち並ぶ電柱の上から、情け容赦なく蝉の声が降り注ぐ。

 夏の陽の光に照らされた住宅街の規則的に並んだ家々は、アスファルトの上に濃い陰影を落としている。

 夏だ。夏、本番だ。


 そんな、本来なら能天気にはしゃぐべき季節の昼前に、僕は少し緊張しながら歩いていた。

 僕の隣には、左右の髪をツインテールにまとめて、黒いワンピースに身を包んだ美少女が歩いている。

 綾乃さんだ。僕が知る限り最高の美少女と言っていいだろう。

胸が高鳴っている。


「私ね、子供の時から、誰かと歩くときは手をつなぐか、掴まっていないと安心できないの。いいかな?」


 綾乃さんの様な女の子からそう言われれば、それを拒む事ができる男なんていないだろう。

 少なくとも僕には、そんな勿体な……いや、失礼な真似はできっこない。そんな事で僕はマンションを出てから、綾乃さんと腕を組んで歩いている。

 柔らかいような、そうではないような、不思議な感触が僕の右腕に伝わってくる。


 なぜ綾乃さんと二人きりなのか。僕は約一時間前の事を回想した。



 一時間ほど前、僕が綾乃さんの家で食事をしていた時、隣に座っていた茜が、やにわに話しかけてきた。


『私、昨日は遅くなっちゃったから、綾乃の家に泊まったんだけど、親にきちんと許しを得ていないの。まぁ、一応電話で無事の報告だけはしておいたんだけどね。でも、それでね、今後の事を考えると一旦家に帰って、親に顔を見せて来たほうがいいと思うの。美咲の家の前で一時間後に待ち合わせでいい?』


 僕も綾乃さんもいいとは答えていない。けれどもそう言い残すと、茜は朝食を終えるや否や部屋を出て行ってしまった。自分の使った食器すらテーブルの上に残したままで。

 里奈も仕事があるとの事で、茜と一緒に部屋を出て行ったため、取り残された綾乃さんと僕は、全員分の食器を片付けた後、当初からの予定だった美咲さんの家に向かう事にしたのだ。


 そうして今、ここに綾乃さんと二人で居るわけだ。運がいいんだか、悪いんだか。

 肩に、綾乃さんのツインテールがさわさわと当たる。年齢の割に背の小さな綾乃さんは、この髪型のせいもあって、幼女の様なあどけなさを感じさせる所がある。

 と、綾乃さんは不意によろけた。転ぶまいと僕の腕にしがみつく。……腕に、重さを感じた。綾乃さんの身体が僕の腕に押し付けられる。


何か柔らかい感触が腕に当たる。


「あ、ご、ごめんなさい。その……」


 顔を赤らめながら、慌てたそぶりで綾乃さんは何かを言いかけた。


「い、いや、大丈夫だから。それより、捻挫とかしていない?」

「う、うん。平気」


 そう言う綾乃さんのあどけなさは、どうやら雰囲気だけの様だ。

 僕は立派に成長した弾力性のある感触を腕に反芻しながら、心の中で『ごちそうさまでした』と呟いた。

 

 そのあと僕は、綾乃さんには決して言えない理由で少し腰を引きながら歩く事になった。


 緑の香りを含んだ仄かに暖かい夏の風が、僕の頬を撫でた後、すり抜ける様に背後へと通り過ぎて行った。



「ねえ、さっき話した事、覚えてる?」


 体勢を立て直した綾乃さんは、僕の腕に掴まりながら、僕の顔を見上げる様に覗き込んだ。


「さっき話した事って?」


「美咲のお母さんの事。本当のお母さんじゃないって」

「あ、その話。覚えているけど」


 僕が目を落とすと、ちょうど僕の肩の高さから見上げる綾乃さんの顔が見えた。


「これから美咲の家に行った時、そのお母さんと会う事になると思うけれど、その話は知らなかった事にしておいて欲しいの」


 そう言うと綾乃さんは、何かを心に秘めた様な視線で、遠くを見つめた。


「そ、それは分かっているよ。それくらいの常識は備えているつもりだし」

「そう。ありがとう。美咲とね、美咲のお母さん、あ、今日会う新しいお母さんね、美咲の話では、あんまりうまくいっていないみたいで」


「そうなんだ」


 僕は、美咲さんの不遇な環境を思い、足下に視線を移した。


「うん。けれど、そこまで気の毒に思う必要はないかも知れないけれど。落ち込み過ぎ」

「え、落ち込んだの分かった?」

「うん。一瞬、背後に縦の筋が入っていた」

「いや、マンガやアニメじゃないんだし」

「ふふ。って言うのもね、悪いのはむしろ美咲の方かも知れないから。美咲のお母さんね、私たちの所に、本当に心配そうに電話をしてきているのよ」

「そうなんだ。それを聞いて、少し安心したよ。苛められたりしているわけじゃないんだ」

「うん。たぶん、苛められたりなんてしていない。それに美咲も、お母さんの気持ちはある程度わかっているんだと思う。わかっていて、でも受け入れられないんじゃないかなって」

「うーん。なんとなく、美咲さんの心情も分かる様な気もするけど……」

「だからね、最悪の事態も考えないといけないと思うの」


 綾乃さんは遠くをしっかりとした目で見つめた。


「……え?」


「美咲が分かっていてお母さんを受け入れられないだけだとしたら……家庭の不和が美咲のいなくなった原因ではないとすると、自らの意思で私たちの前から消えたのではない。……家出ではないかもしれないから」


 僕は思わず綾乃さんの顔を覗き込んだ。


「それは、犯罪に巻き込まれている可能性があるってこと?」

「まだ、『可能性』の範囲だけどね。私の想像だし。これから、それを確かめに行かないと」

「確かにそうだね。美咲さんの日記をみれば、少しは何か見えてくるかもしれないな」

「ううん。それもだけど、美咲のお母さんと話をしてみて、なんとなくでいいから美咲との関係を探ってほしいの。本当に不和はなかったのか、ただの家出の可能性があるかどうかについてとか」


 遠くを見る様な目で話していた綾乃さんは僕の顔を見上ると、なにか決意した様な表情で僕の目をしっかりと見つめた。




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