偽りのアルバイト
「翔太、注文だ。これを店長に頼む」
ウエイトレスの制服に着替えた里奈に命令をされる。美咲さんの体型に合わせたブラウスは、胸の辺りが締め付けられ、窮屈そうに見える。
「翔太、いったい何を見ているのだ。注文票を店長に渡してくれ」
いつになく真剣な里奈の表情。僕は我に返り、里奈の胸から視線を外す。
『nest of moth』の広いとは言えない店内は、満員の客で賑わっていた。
厨房で皿洗いをしている僕は、調理場の店長と注文を取るウエイトレスの連絡役も兼ねなくてはならない。
なので僕はウエイトレスをしている里奈と茜の情け容赦ない指示を受ける立場になっている。
「翔太、九番テーブルのドリンク、できてる? 早くしないとグラスが空になるんだけど。店長が無理なら、翔太が作ってよ」
里奈の後ろから茜の指示が飛ぶ。僕にとっての初めてのアルバイトは、噂に聞く程甘い物ではない様だった。一応、女の子に囲まれてはいるのだけれど……。
「分かった。順番にね。まずは里奈の持って来た注文でしょ」
うっすらと汗をかきながらフライパンを振る店長の前には、何枚もの伝票が並べられている。これから作る料理の注文、その最後に里奈から貰った伝票を並べる。
店長はちらりと僕を見ると、笑顔を作った。
「結構大変でしょ? これを一人でこなすなんて殆ど無理なんだから。君たちが来てくれて本当に助かるよ。注文も増えて、店も儲かりそうだしね」
感謝されるのはなんとなく嬉しい気がする。まあ、注文が増えているのは二人の新人ウエイトレスへのご祝儀代わりというのもあるのだろうけれど。
談笑や食器の当たる音が店内に響く。
茜や里奈の注文をとる声も心地いい。
眩しくもなく、暗すぎもしない暖かな店内の光の中で、忙しいけれど、こんなアルバイトも悪くはないなと僕は思い始めていた。
けれど、僕たちがここへ来た目的は、夏休みの小遣い稼ぎのためでも、ちょっとした社会人体験のためでもない。
僕は視線を落として、何かの演技をするかの様に無心に皿洗いを続けた。
「すみません。食事だけしたいんですけれど、いいですか?」
店の入り口から聞き慣れた女の子の声が聞こえた。綾乃さんの声だ。
「店長、食事だけのお客さんですけど、案内してもいいですか?」
茜の声が続いて聞こえてくる。
そして、店長の了承する返事。次に綾乃さんからの注文が入る筈だ。
注文は、少なくとも一品は造り置きしてあるメニューのはず。
おそらくはミニサラダ。
それならば既に盛りつけられた物がラップにかかって保管されている。
言葉を交わしながら伝票を書き付ける茜。
「翔太、お願い。予定通りいくからね」
茜から預かった伝票には、パスタとミニサラダ、ホットティーと書かれていた。僕は、それらを一瞥し、店長の前に並んだ伝票の一番最後にそっと並べた。
僕たちの計画はこの店の中の誰にも気づかれずに、時間だけが過ぎて行く。
微かに流れるBGMの音が、会話の声に混じって聞こえてくる。
示し合わせた様に同時に厨房に入って来た茜と里奈が、合図を送るかの様な視線を送って来た。




