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圧倒的な戦力差に……

「おじゃましまーす。綾乃、待たせてごめんね。里奈ったらね、また道に迷ったらしくて」


 玄関の方からけたたましい声が聞こえて来た。茜の声だ。残念ながら、綾乃さんとの二人きりの時間は、早くも終了のようだ。


「いやだなぁ、茜。迷ったって言っても、普通に来て迷った訳じゃないんだからな。ねぇ、綾乃。なんか、変なおやじが私の後つけてきてさぁ」

 続けて聞き慣れない声が聞こえてきた。おそらく茜が迎えに行った少女、里奈さんの声なのだろう。


「そうそう。綾乃、また里奈が痴漢に遭いそうになったらしいよ。まったく、いつもいつも。ねぇ」


 僕は、里奈さんを痴漢に襲われそうになっても声すら出せない様な、華奢な、か弱い女の子として頭の中に描いた。それなら茜がわざわざ迎えに行ったのも理解できる。


 玄関のコンクリートに革製の何かが叩き付けられる様な音がした。たぶん脱いだ靴をそのまま落としたのだろう。茜か、それとも里奈っていう娘か。どちらにしてもお淑やかな綾乃さんとは大違いだと思った。


「綾乃、ナイス。ゴキ、ペチャンコだね」


 茜の声がした。あ、綾乃さん、あなたでしたか……それにしてもゴキブリを一撃とは。

  とにかく、ナイスプレイおめでとうございます。僕は心の中で祝福した。


「茜がもう少し遅ければ、痴漢もこんなふうにペチャンコだったんだけどな」


 おそらく里奈さんの声。それにしてもペチャンコって?


「空手の有段者にかかったらね。そうなるわよね。痴漢も見る目がないよね」


 綾乃さんの声だ。しかし、空手の有段者って……。


「友達として、里奈を犯罪者にはできないよ。怪我をさせるくらいで済めばいいんだけど、本当に怒ると手加減しないからね、里奈は。やっぱり迎えに行って正解だったわ」

「今回は怪我させる程じゃなかったの?」

「今回は鼻血程度だった。でも、里奈、一方的に殴っている所を人に見られたらどうするのよ」

「ちゃんとひとけのない場所に誘導したって。そこの所は抜かりはないから。まぁ、そのせいで迷ったんだけど」


 僕の頭の中で、まだ見ぬ里奈さんのイメージが、逃げ回る痴漢に襲いかかる、ごつい女空手家の姿になった。



「さぁ、入って。冷たいお茶があるから」


 愛らしい声と共に、リビングに綾乃さんが入って来た。ゴスロリを纏った小柄なその少女は、僕の方を見るなり可愛らしい笑顔を向けた。


「みんな集まったわよ」


「わぁ。いつ来てもお洒落なリビング」


 茜が入って来た。ショートカットで少年の様な雰囲気の少女は、実は僕のタイプなのだが、こいつは性格が気に入らない。


「あれ? 翔太だっけ、まだいたんだ」


 茜は横顔で、目だけをこちらに向けた。


「まだいたも何も、財布返せよ」

「翔太の財布なら、ここにあるけど」


 茜は悪びれた様子も無なく、スカートのウエストのあたりからゆっくりと半月状に腕を肩の高さまで上げると、いつの間にか僕の財布を取り出して頭上に掲げた。


「マジシャンかよ……上手いけど。まぁ、そんな事はどうでもいい。早く返せよ」

「まだよ。綾乃に確認していないじゃない。ねぇ、綾乃、翔太に何もされなかった?」

「うん。美咲の事で、お話をしてただけ」

 カップにお茶を注いでいた綾乃さんは、キッチンの奥から茜に真直ぐな視線を向けた。

「ちぇっ。もうけ損ねたわね」

「文字通り、友達を売るんじゃない!」

「あなたこそ、なによ。私に喧嘩を売ってるの? その言い方は」


 茜は頬を膨らませた。機嫌が悪くなると頬を膨らませる女子って、本当にいるんだ……。


「友達をなんだと思っているんだよ。それに、財布なんて取られれば喧嘩も売りたくもなるさ」

「まぁ、喧嘩だなんて、なんて男らしい。カッコいいわ」

「友達だけじゃなくて、おまえは媚まで売るんだな」

「私の携帯のメアド買わない? 女の子のメル友欲しいでしょ?」

「そんなものまで売るのかよ! で、いくらですか!」

「買う気満々なのね。冗談よ。そんな訳ないでしょ。まぁ、綾乃の視線は冗談では済まされない感じになっているけどね」


 言われたので綾乃さんに目を向けると、明らかな軽蔑の眼差しが僕に向けられていた。


「いや、綾乃さん、違います。冗談ですって」

「翔太さん、不潔です」

「いや……」


 僕に向けられた明らかに軽蔑した視線を前に、弁解は逆効果だと悟った。


「冗談はそこまでにして、と。しょうがないわね。とにかく、財布は返すわよ。約束だから」


 茜は僕に、僕の財布を差し出した。


「ちょっと惜しいけど」


 そして茜は、悔しそうに口を歪めた。


「冗談はそこまでにしたんだよな、惜しいっていうの本音かよ!」


 喋りさえしなければ、茜も透き通った瞳がかわいい少女なのに。


「なんか、男子の声が聞こえてきたけれど、珍しいなぁ」


 女性が、長い黒髪をかきあげながらリビングに入って来た。茜と同じ制服を着たその女性は着こなしのせいか、その制服姿は茜とはなんとなく違って見えた。いや、違うのは着こなしではなく体型なのだろう。

 茜とは違って立体感の豊富な胸部は、二つのふくらみのちょうど中間でボタンが窮屈そうに締められ、細く華奢なウエストに違和感を感じるほど腰部は柔らかさを帯びた曲線を描いている。

 僕とほとんど変わらない程の長身にグラビアアイドル並みのスタイルを高校の制服に包んだ、やはり美少女だった。


「お、初めて見る男子だ。って、ちょっと、視線がねばっこいんだけど」


 少し厚めの、セクシーな唇が動いた。と、思った次の瞬間、左頬に風圧を感じた。左側の髪が、その風圧で後ろに流された。


「視線が、ねばっこいんだけど? 身体、舐める様に見ないでくれる?」


 僕の左頬のすぐ横に、女性の右足が静止していた。顔を狙って外れてしまったのでは無い。わざと外して威嚇しているのだと僕は理解した。蹴りだしの反動でふわりと舞い上がった女性の長い髪が、スローモーションの様にゆっくりと降りてゆく。


 女性の、鋭い視線の中に、はっきりと敵意を感じた。

 僕の額から、嫌な汗がひとすじ流れた。


「綾乃、誰よ? こいつ」

「えーと。その人は……」

「ここに来る途中で話したでしょ。翔太よ。美咲を探すのを手伝って欲しいって私が頼んで連れてきたの。敵じゃないわ」


 説明したのは茜だった。


「そうか。敵じゃないか。茜が言うなら間違いないな」


 女性はゆっくりと脚を降ろした。


「私は里奈。よろしくな。茜や綾乃、美咲と同じクラスなんだ。趣味は空手、特技はモデル。とは言っても、空手は護身からはじめたので本当に趣味程度だし、モデルは街で声をかけられたのをきっかけに、たまにアルバイト感覚でするくらいだけれどな。とにかく、よろしく」


 里奈は僕の右手を無理矢理つかむと、『にっしっし』と親しげな笑顔を向けた。なんなのだろう、この変わり様は。って言うより、さっきの無礼を謝れよ。まぁ、舐める様な視線だったのは認めるけれど。


「僕は翔太。よろしく。鋭い蹴りだね。あぶなかったよ」


 一生懸命笑顔を作りながら、僕は応えた。無理矢理作った笑顔は、端からみれば、かなり引きつったものになっていたと思う。


「お茶が入ったから、みんなテーブルについて」


 たった一つの救いである綾乃さんの声が、天使の声に聞こえた。



「ところで綾乃、翔太には美咲の件、どれくらい話してくれたの?」


 テーブルに向かいながら茜が綾乃さんに尋ねる。


「殆ど全部……って、いうか私の知っている所はほとんど、かな?」

「そう、ありがとう。さて、里奈の自己紹介が済んだところで、本題に移ろうかしら。明日からの美咲の捜索の件なんだけれど」


 ダイニングテーブルに腰掛けていた茜は、すっくりと立ち上がると全員の顔を見回した。


「美咲の行きそうな場所で片っ端から聞き込みすればいいんだろ? 体力勝負なら任せて欲しい」


 里奈も力強く立ち上がった。男らしく。……見た目は、この中では一番普通の女の子らしいのだけれど。


「いえ。効率を考えるとやたらと聞き回っても意味が無いと思う。なにか案があるんでしょ? 茜」


 綾乃は落ち着いた様子で茜を見上げた。


「確かに里奈の言うとおり、聞き込みは必要なんだけれど、綾乃の言うとおり闇雲に聞き回っても効率が悪いと思う。美咲の下校後の行動をまずは調べたいと思うんだけど、確か美咲って、毎日欠かさず日記を書いているって言っていなかったっけ?」

「うん。その日にあった嫌な事を日記に毎日欠かさず書いているって、いつだったか言っていたのを聞いた事がある」

「……嫌な日記だな。でもそれを手に入れれば美咲の行動を追えるし、確かに効率がいいな。茜、忍び込むなら一番身軽なのは私だな」


 一番目立つのも里奈、おまえだけどな。身長高いし、体型が派手だし。


「ちょっと、里奈、人の家に侵入して物を持ち出すのは犯罪だから。ねぇ、茜。それなら、私に考えがあるの。明日、美咲の家までつきあってくれるかなぁ」


 落ち着いた話し方の綾乃さん。里奈とは好対照だ。


「下手な小細工をするより侵入した方が早いと思うけどな。茜、もし捕まっても私ひとりなんだし、思いきって任せてもらえないか」


 里奈はテーブルに両手をつき、茜に向かって乗り出した。


「里奈が警察に捕まったら、事務所に迷惑がかかるんじゃない? 週刊誌とかにも載るだろうし」


 冷めた目線を里奈に送る綾乃さん。ん? 週刊誌?


「え? ちょっと待って。捕まると週刊誌に載るって、里奈さんってそんなに有名人なの?」


 僕は思わず立ち上がり、里奈さんと綾乃さんを見比べる様に視線を向ける。


「あれよ」


 茜は部屋のすみを指差した。マガジンラックの一番上に刺さっているファッション雑誌の表紙に、笑顔の里奈さんがいた。


「だめじゃん。世間に顔は割れているし」


 僕が思わずつぶやくと、里奈は力を落とした様にゆっくりと椅子に掛けた。


「私の出番だと思ったのに」


 里奈は文字通り肩を落とした。


「里奈の専門は女性ファッション誌だから、翔太は知らなかったと思うけどね。ねぇ、茜、明日の行動は私が計画しておいていいかな」 

「じゃぁ、明日の事は綾乃を中心にこれから決めるとして、翔太はここでサヨナラね。今日はもう遅いし、男の人をここに泊めるわけにいかないから」


 茜の決断は早かった。けれども、僕は明日も付き合わなくてはならないのか。

 できるなら犯罪の片棒をかつぐのはご免なのだが。


「えと、僕はここまででいいんだよね」

「翔太も明日はここに集合よ。乗りかかった船でしょ」

「いや、乗りかかった船とか、引き受ける側が気を遣わせないように使う言葉だから」

「翔太も当然、集合よ。それと連絡するのに便利だかメルアド教えなさいよ」

「メルアドまでかよ。嫌だよ」


 連絡先を知られたら、とぼける事すらできなくなってしまう。たしかに三人とも平均レベルと比較してもかなりかわいい方だとは思う。おつきあいを、と言われれば、首を横に振る男はまずいないだろう。


 まぁ、茜の場合は性格を、里奈の場合はその暴力性を知らなければ……の話だけど。けれども、今はそんな甘い誘いではなく、ひょっとしたら彼女たちの友人宅とはいえ侵入のお誘いなのだ。おつきあいと言っても、犯罪のおつきあいになるかも知れないのだ。会って数時間の人たちにそんな事を誘われたとして、首を縦に振る人類はまずいないだろう。


「抵抗するのね。里奈、抵抗するっていう事はこいつ敵みたいよ。取り押さえて」


 茜は僕を指差した。


「敵か。茜がそういうならこいつは敵だ。じゃぁ、容赦はいらないな」


 里奈は微かな笑みを浮かべながら席から移動すると、ゆっくりと構えた。落ち込んでいた事などすっかりどこかへ行ってしまった様な攻撃的な表情。

 あまりの切り替えの早さに唖然としながらも、僕はさっきの鋭い蹴りを思い出していた。あんなのをくらったら怪我をする。いや、たとえ全力でなかったとしても急所に入れば気絶くらいはしてしまうだろう。そしてその隙に携帯をとられたら……同じ事だ。

 圧倒的な戦力差に、抵抗する事の無意味さを僕はすぐに理解した。


「茜、携帯は渡すよ。好きにしてくれ」

「好きにしていいのね。それじゃぁ、翔太の交友関係を洗いざらい確認しようかしら」

「ちょっと待った。そういう意味じゃない。僕のメアドの登録だけだ」

「それだけで十分よ。最初からそのつもりだったし」


 茜は小さく笑った。からかわれていたのだろうか。いや、こいつの性格からすると、絶対に僕のことをからかっていたんだ。僕は肩を落とし、それから深いため息をついた。


「じゃぁ今日はそろそろ終了ね。カップ片付けるわ」


 綾乃さんは僕に笑顔を向けると、キッチンへと向かう為に席を立った。

 里奈は構えをほどき、テーブルに向かってゆく。そして茜は、自分の携帯と僕の携帯を交互ににらみながら操作をしている。


「はい、返すわ。登録させてもらったから。ついでに、私と里奈と綾乃のアドレス、入れておいたから」



 僕の携帯に、初めて女の子のメルアドが登録された瞬間だった。



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