交渉の行方、別の方法
僕と茜の目の前に、氷が溶けて薄くなったオレンジジュースが置かれている。
室温とグラスの中の温度との差で出来た水滴が、グラスの周りに雫となって無数にへばり付いている。
店長は納得のいかない表情で、僕たちを見比べるように交互に見比べる。
「話している内容はあらかた理解できたんだけど、その内容に納得ができないな。そんな事が本当にあるんだろうかってね」
「僕たちも本当に信じている訳じゃないんですけれど、それに僕たちは初めてそれが作動している所を見たんですけれど。でも、店長さんの所にある城廻くんの機械は実際に作動しているんですよね。だったら少なくとも僕たちよりは容易にそれを信じられると思うんですけど」
店長は一瞬目を閉じて、それから僕の目をしっかりと見た。
「作動する。それから、実際に効果はある。少なくとも違法な薬物の禁断症状を抑える程度の効果は確認している。脳の一部を刺激してドーパミンの調節をするといった程度の効果に過ぎないけれどね。でも、君たちの言うように、脳の内容を書き換える事が出来る機械だとは……。そんな恐ろしい機械だとは思ってもみなかった。それを君たちに使わせるなんてとんでもない。どんな副作用があるのか分からない。むしろ、もう誰にも使えない様にすぐにでも壊したいくらいだ」
「壊すだなんて。さっき言ったとおり、僕たちは城廻くんを助けるために、その機械を使いたいんです。少なくともそれが終わるまでは……」
「危険すぎるだろう。そんな事をして君たちの脳にどんな影響があるか。悪いけれど、その機械は君たちに貸す事はできないね」
「それだと城廻は、居なくなってしまう。肉体は残っても中身は彼のお爺さんのものになってしますんです。彼が死んでしまうのと同じなんですよ。それを助けるためだといっても」
「君たちの言っている事は理解した。けれど、現実的に考えると合点がいかない事ばかりなんだ。脳の内容を書き換えるとか、死人が生き返るとか、どう考えてもありえない事ばかりだ。現実的とは思えない。全て城廻の妄想だって考えた事はないのかな?」
「でも、美咲は現実に亡くなったお母さんと、その機械を使って会っているんだから。それで自ら死を選んだわけだし」
「その事自体が幻覚なのかも知れないって思わないか? あの機械は使い方によっては危険なドラッグと同じような効果があるんだ。そう、西御門も言っていただろう? とにかく証拠も無い事で君たちを危険な目に遭わすわけにはいかないね。うちの機械は貸せないな」
「これだけ頼んでも駄目ですか」
「それは君たちの為だからね」
店長は遠くを見る目で店の奥を眺めた。
「それに、あの機械の役目はもう終わったんだ。禁断症状を訴える客も少なくなって来た事だし、そろそろ本当に処分すべき時なのかも知れない」
「もういい。翔太、この人これだけ話しても分かってくれないんだから仕方ないよ。行こう」
茜が僕の手を引く。
「店長、一回だけでいいんだ。なんとか」
店長は首を振る。
「何度でも言うが、裏付けの取りようもない話で、君たちが危険な目に遭うのを見過ごすわけにはいかない」
「……わかりました」
僕は茜に引かれるまま席を立つと、すでに僕の隣に立っている茜を見下ろす。僕の肩の高さで、茜は僕に目を合わせて軽く頷いた。
「また来ます」
店長に会釈をする。
「君たちと会うときは深刻な話しかできないね。次は遊びに来て欲しいな。夕方、少し早い時間でかまわないからね」
申し訳無さそうな表情をして、店長はそう言った。
雑然とした街並みの向こうから、不快な蒸し暑い風が吹いてくる。遠くから、電車が通る音が聞こえてくる。コンビニのビニール袋が風に舞う。
それを避ける様に、茜は僕に近づく。
「ね、私が言った様にこっそりと忍び込むしか無いでしょ? 頼んでも貸してくれないなら仕方がないわよね。今夜決行でいいわよね」
そう言いながら茜は、僕の腕に腕を絡めてくる。僕の腕より一回り細いその腕は、ベビーパウダーをふりかけた絹のような、繊細な肌触りだ。
「僕からすると、犯罪は出来る限り避けたいんだけどね。とりあえずあの機械を持っている人をもう一人知っているんだ。そこに行ってみない?」




