祖父の遺したもの/祖父の願望
「やぁ、ようこそ。冷たい物でも出してもてなしたいところなんだけど、今は動けないんだ」
明るい日差しの差し込む大きな窓の部屋に、彼は一人きりで椅子に座っていた。
真っ白な服を着て。頭に白いヘッドギアを付けて、まどろむ様に外を眺めながら。
「こんにちは。連絡もせずに訪問してしまい、申し訳ない」
窓の奥には元は芝生であったであろう短い草が奥まで続いている。
その奥には木々が絡み合うように茂っている。美咲さんの発見された林と続いている雑木林だ。
「いいんだ。君たちが誰だか知らないが、用事があったから来たんでしょう? この家に、それから僕に用事があるなんて、珍しいけれど」
抑揚のないトーンで話す城廻。まるで、催眠術の被術者のようだと思った。
「そのとおり。確かに用事はあるんだけど。それよりも、そのヘッドギアは?」
違和感を感じたのはそれだけではないのだけれど、一番違和感がある事について質問する。
「ああ、これ。これは脳の周波数を死後の世界と同期しているんだ。性格に言うと、死後の世界にいる僕の祖父と同期している」
「同期って……、それから死後の世界って? よくわからないけれど、パソコンで言う同期とおなじ事? それと死後の世界?」
「まぁ、同期の方はそんな感じだと思ってもらってもいいと思う。こっちはもう少し複雑なんだけれどね」
「私はわからない。パソコンの同期って、二つのデータを同じにする事でしょ? 死んだおじいちゃんと同期って……」
「わからなくても当然だよ。実は僕も操作方法以外はよくわからないんだ。これを作れって言われても僕には無理だしね。これは祖父のしていた研究の集大成なんだから。動きとしては、複数の接点から、一度にいくつもの周波数を流して、重なるところの脳の組織を刺激している……っていう感じかな? で、それで輻輳した周波数が死後の世界、死後の世界にいる人の残留思念の周波数と合うと、脳の中でその亡くなった人の姿を認知できたり、情報の交換が出来る様になるんだ」
「美咲が『お母さんと会う』ってメールで言っていたのって、それ……」
「美咲の事を知っているんだね、君たちは。いったいどうしてだろう? まぁ、いいか。彼女には、死後の世界にいるお母さんの姿を視覚情報として脳波に流していたんだ。映像だけを同期させていたんだね
」
「そんな事って……」
茜が口に手を当てる。
「出来ない事じゃないよ。ほら、あの電球で有名なトーマス=エジソンも、霊界と通信できるラジオを作っていたし、同じ時代の交流電流で有名なニコラ=テスラは霊体による幻視で思考実験していたと言っている。当時の発明家は『霊』を信じていたんだ。それを僕の祖父が発展させただけだよ」
「よく分からないけれど。でも、それって怪しすぎる」
眉をひそめる茜。
「本当なんだ。このヘッドギアの先にある機械で周波数を調整して、脳のある部分と共振させるだけで視覚という感覚を通して死者と会えるんだ」
「その話は現実としては理解できないけれど、一応は言っている事の意味はなんとなくは分かった。分かったとして、城廻、今、美咲さんがどうしているか知っているのか?」
「死んではいないみたいだね。探してみたけれど、どの周波数にもいないから」
「どの周波数にもいないって……もしかするとそのヘッドギアで探せるのか?」
「うん。探した。僕のつけているこの機械で」
「君があえて探したっていう事は、死んでいる可能性があると思ったっていう事だよね」
「この機械で探したという事は、そういう事になるね」
「聞くけれども、君は、どうして美咲さんが亡くなっている場合可能性があると思ったんだ?」
「彼女は『お母さんに会いたい』といつも言っていたんだ。で、僕が、そこの彼女がさっき言っていたとおり、この機械で映像を見せてあげたんだ。彼女のお母さんの、今の姿を」
確かに美咲さんの日記には、『彼がお母さんに会わせてくれる』と書かれていた。
「彼女は、家にいても自分のいる場所がないって言っていた。お父さんが後妻をもらっちゃったからね。彼女のお父さんは、彼女の実のお母さんの事を忘れようとしていたみたい。でも、彼女は違った。彼女はそれができずに、新しい家族に馴染めないでいたんだ。そして、もう一度亡くなったお母さんと会いたがっていた。と、いうよりもその胸に飛び込みたがっていた。触れ合いたかったんだよね。実のお母さんと。けれどね、映像だけならまだしも、本当に会うのは生きている限り無理なんだ。当たり前なんだけれどね」
城廻は続ける。
「だから、僕は美咲にそう言ったんだ。『実際に会うには、死ぬしかないんだよ』ってね。でも、彼女が死ねばいいなんて思っていた訳じゃないんだよ、僕は。僕に気があると思っていたから、お母さんよりも僕を取ると思っていた。死よりも生を取るとね」
「死ぬしかないなんて、言う事ないじゃない」
茜は涙ぐんでいた。
「それは本当の事だから。ちょっと考えただけでも、亡くなった人をそのままの形で連れ戻すのは無理だ。けれども、本当に死のうとするなんて僕には思えなかったんだよ。今、言ったとおりに。でも、彼女は今ここで死にたいって言うんだ。僕の目の前でね。それは嫌だし止めなくてはならないだろ。だから、ここで死んでもお母さんに会えるとは限らないよって教えてあげたんだ」
「どうして?」
「脳の周波数が合わないからね。死ぬ時に、お母さんと同じ気持ちでなくてはダメだって。できれば同じ場所で、同じ格好で。同じ気持ちで死なないと、会えないよって」
茜が、目を見開いた。
「違う。私が『どうして?』って聞いたのは、どうしてそんな事を美咲に言ったのか、っていう事よ。美咲がどんな気持ちで……あなたが美咲をあんなにしたんじゃない」
「さっき、僕が話したとおり、美咲がお母さんより僕を取ると思ったんだよ。死んでしまったらお母さんには会えるけれど、僕とは会えなくなる。それなら、お母さんの事を忘れて、僕と一緒に生きて行く事を取ると思ったんだ。けれど、実はそれは僕の願望だったのかもしれない。結局美咲は死を選んだのだから」
「なんで止めなかったのよ? それに止めるどころか、あなたも手伝ったんでしょ? 自分で自分を木に縛り付ける事なんてできないし」
「人が一旦決心をしたら、止めようがないよ。二十四時間監視はできないからね。だから、昔ある居酒屋……カフェバーだったかな……で配っていた幻覚を見る事ができる薬を、致死量に満たない分だけ渡したんだ。これで死ねるよって。でも僕はそれ以上手伝う事は出来ないよって言いながらね。それと、美咲は一人で自分を木に括り付ける方法は知っていたみたいだね。お母さんをあの場所に括り付けたのも一人の犯人がやったことだから、同じ方法でできるって。あの子なりに、お母さんの事をよく調べていたみたいだ」
「それじゃぁ、美咲は……」
「致死量に満たない量の薬では死なない。けれど、あれから美咲はここに来ないんだ。心配になって探してみようと思ったんだけど、僕がこの格好でしょ? だから機械を使って探してみたんだ。けれども彼女はどの周波数にもいなかった。死んではいない。それに薬の影響からも覚めているはずだ」
「じゃあ、なんで意識が戻らないのよ」
「意識が戻っていないのか、彼女は。考えられるのは、こっちに戻って来たくないんじゃないかな? 幻覚のなかで、お母さんと会っているとか。でも、もう薬の効果は切れているはずだから不思議なんだけれどね」
「本当にあなたが、木に括り付けた訳じゃないんでしょうね。振られた腹いせとかじゃないの?」
「僕はそんなことはしない。それは美咲もわかっているはずだ。だから頼まれなかった。重りのついたロープを投げて、木に絡ませれば自分で自分を吊る事は可能だよ」
「……なんで、そこまで知っているのよ」
「僕は美咲さんのお母さんの事件には詳しいからね。あの犯人は、僕の祖父だから」
茜は、口に手を当てた。呆然とした顔で。
「僕もね、この機械でよく祖父と会っているんだ。祖父はこっちの世界に戻って来たいらしい。やり残したことがあるって言うんだ」
「そんなのって、無理じゃない。自分でさっきそう言っていたじゃない」
「うん。身体がもうないから『そのままの姿』では無理だよね。でも、考えようによっては無理じゃないんだ。この機械は、共振を使って脳の組織に直接働きかけるから、脳の中の化学物質の分泌を操作して、脳内の電気信号の流れを変える事も出来るんだ。言ってみれば記憶や考え方を変える事ができる事になる。別人の記憶や考え方を上書きすることも論理上不可能ではないんだ」
「わからない。何が言いたいの?」
「僕は、父も母もいないし、親代わりだった祖父ももういないんだ。美咲も僕の所には帰ってこないと思うし、僕のそばには誰もいないんだ。僕はいなくなってもいいんだと思う。と、いうよりも、僕の意思でいなくなってしまいたいと思っている。で、祖父は戻って来たがっている。だからこうやって今、上書きをしている最中なんだ。僕の身体は祖父のものになる」
「なによ、それ。そんな事はさせられない。今、私が機械を止めるから」




