城廻
「ね、里奈とか、綾乃のこと、どう思う?」
先を歩いていた茜は、振り返りざまに、僕にそう質問をした。
規則正しく並んだ街路樹の並木が、アスファルトの舗道に涼しげな影を落とす。
よく晴れた青空の向こうに、不定形の雲が白く浮かんでいる。
大通りに面した早朝の駅前商店街は、未だ寝静まった様にひっそりとシャッターを落としている。
「どうって、君の友達でしょ?」
僕たちの脇を車が通り過ぎてゆく。
車に巻き起こされた熱い風が、僕たちの袖口に絡み付いて踊る。
遠くから、蝉の声が聞こえてくる。
「そうじゃなくって」
「よく分からないけれど、どっちもいい子だと思うよ。それぞれ個性は違うけれど、かわいらしいし」
「かわいらしい……か」
僕と対面するように後ろ向きに歩いていた茜は、僕に背を向けて前を歩く。
「ね、もしも……さ」
後ろ姿で茜は僕に話しかける。表情が見えない。
ただ、ワンピース姿の茜の背中は、僕が普段思っている以上に女の子だった。
そう意識し始めると、自然に鼓動が早くなってゆく。この感覚は何なのだろうか。
「もしも? もしもって……なに?」
「ん……なんでもない」
何か仮定の話だ、ということまでは分かるのだが。
「言いかけて止められると気になるんだけど」
「なら、気にしないで。……これはアドバイスというよりは命令だけど。それより、美咲の事なんだけど」
「いきなり命令かよ。で、なに? 今度は美咲さんの事?」
「うん。美咲の事。美咲ね、意識がまだ戻らないみたいなのよ。美咲のお母さん、あ、新しいお母さんの方ね。美咲のお母さんから昨日電話が入っててね。そう言っていたの」
「見舞いとか行かなくちゃいけないのかな?」
「とりあえず明日にでも行ってみようと思っているけど、私は。翔太は美咲とは話した事もないしね、私たちの事で何日も振り回しちゃってるし、無理しなくてもいいけれど」
「そうか。でも考えておくよ。でも美咲さんが意識を戻せばこうやって茜と美咲さんの彼を訪ねたり、綾乃さんや里奈とも会う事はなくなるのかな。そう考えると美咲さんが元気になるのは嬉しい事なんだけど、少し寂しい気もするね。不謹慎ではあるけれど」
僕の言葉に、茜が慌てた様子で振り返る。
「里奈や綾乃はそうかもしれないけれど、私は昔からの友達でしょ?」
「え? あ、そ、そうだけど」
「……」
茜の無言は、かなり苛ついた気分を含んでいるように見えた。
「大体、翔太は鈍すぎるのよ。人の気持ちを全然分かっていない。だから里奈とか綾乃とかも……」
「え? 綾乃さんと里奈が? それって何?」
「ん……もう。言える訳ないじゃない。本当に何も分かっていないんだから。翔太ってどこまで」
「え? ごめん」
「謝られても。ん……いい。もう、せっかく今日は新しいワンピースを着てきたのに、こんな話ばかり」
「それって、新しい服なんだ? でも、さっきから言っている事がよく分からないんだけど」
「ん、もういいから。これからちょっと坂を上る事になるけれど、私が疲れるまで早足になるから。ちゃんと付いてきなさいよ。この下僕」
僕は、茜の行っている事と、それから茜の思いが、よく分からないままに頷いた。
色とりどりのシャッターが続く商店街の景色は、緑の垣根が続く住宅街の景色へと変わっていた。
話しながらだったので気づかなかったけれど、駅前からかなり歩いている。
傍らの家の庭からは、夏の草木が溢れている。それから色とりどりの花。
子供の頃に嗅いだ新緑の香りが、うっすらと漂ってきた。
**
『城廻』という表札を、僕と茜は立ち止まったまま眺めている。
大きな木々に包まれたその家は、個人の家というよりは何かの研究所か、小さな古い病院を思わせる佇まいだった。
所どころ小さなヒビが入ったコンクリートむき出しの飾り気のない外壁に、アイアン製の格子の施された規則的に並んだ窓。玄関脇の一部だけ長方形の形に綺麗なのは、なにかの看板を外した跡に見えた。
コンクリート製の門柱から玄関までは石畳で舗装してあるものの、その両脇のかつて庭であったであろう場所には、ひざ下くらいの雑草が生い茂っている。
『廃墟』という言葉が脳裏に浮かんだ。
こんなところに人が住んでいるのだろうか?
「手紙の住所はここなんだけどね。私も来るのは初めてだから」
茜は額に玉のような汗を浮かべている。無理もない。道路に面した入り口からここまでは、石でできた階段を何十段と昇っているのだ。
家のすぐ後ろには深い林が続いている。
「ここって、もしかすると?」
「うん。町名が違うから私も最初は気づかなかったんだけど、美咲の家と意外と近いかもしれない。っていうか、このすぐ裏って、美咲がみつかった林じゃない?」
眉をひそめながら、茜は僕に寄り添うように近づいてくる。
「僕もそう思っていた。これは偶然……じゃないよね」
茜の肩が、僕の胸に当たる。不安そうに辺りを見回す茜。
僕は茜の肩に手を置く。華奢な、折れてしまいそうな細くて白い肩。
「例えそうだったとしても、僕たちは彼と会わないといけないんだろうね。そのために来たんだから」
茜は大きな目で僕の顔をみつめると、こくりと頷いた。
「なにかあったら、僕が盾になる。茜は逃げながら応援を呼んで欲しい。僕が時間稼ぎをしている間にね」
茜を石畳に残して玄関へと進む。やるべき事は決まっている。犯人探しだ。
そして、その手がかりは、美咲さんの意識が戻らない限りここにしかない。
一段高くなった玄関から、僕は茜を一瞥した。茜の、気持ちの準備ができているのか確認をするために。
真剣なまなざしをした茜が、大きく頷くのを確認してから、昭和の時代にあったような、古ぼけたインターホンのボタンをそっと押した。
『はい。城廻です。玄関はあいていますから、どうぞ』
インターホンからは、落ち着いた口調の、僕くらいの年齢と思われる声が聞こえてきた。
ドアから小さな金属音が聞こえた。その後、ゆっくりとドアが開いた。




