二人目の女子高生
「早かったわね」
マンションの前に立っていた少女は、夏だというのにメイド服にも似た、装飾が過剰についた黒いワンピースを着ていた。
マンションの外壁は間接照明に照らされて黄金色に輝いている。その外壁を背後に背負った黒い少女は、光の中に浮かんでいる影のように見えた。
「綾乃、わざわざ外で待っててくれたのね。ありがとう。こっちは翔太。美咲を探すの手伝ってくれるんだって」
僕の紹介のあとに茜はとんでもない事を付け加えた。
そんな約束まではしていないと、否定するために茜に声をかけようと思った時、綾乃というその少女が僕に向かって深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。私たちだけじゃ、ちょっと不安だと思っていました」
そして、顔だけちょこんと上げると、こぼれる様な笑顔を作った。
マンション入り口のアップライトが彼女の顔に光を与える。
影から抜け出て来たその笑顔は、黒い瞳の大きな、かわいらしい少女だった。
『かわいい』僕はそう思った瞬間、茜の言葉を否定する気持ちを失ってしまった。
思えば、僕はゴスロリ少女なんかに興味を持った事は、今まで一度もなかった。そんな属性は無かったはずだ。けれども、この綾乃という少女の愛らしい笑顔みたとたんに、面倒に巻き込まれる手間など、どうでもよくなってしまったのだ。
「いや、少しだけなんだけどね」
何が『少しだけ』なのだろう? 自分の発言の意味も理解しないまま、僕は少女に笑顔を返していた。
これで何かを手伝わなくてはならなくなったのだな、と、そのことだけはなんとか理解することができた。
けれども、綾乃さんの笑顔は、それを許容できるほどの魅力を持っていた。
「ところで綾乃、里奈からここにすぐに来るって連絡入ってる?」
茜が二人の邪魔をするように割って入って来る。冷たい表情で僕をにらみながら。
「うん。これからすぐ出るからって、さっき電話で言ってたけど」
「そう……ちょっと遅いわね。心配だから途中まで見に行って来るわ。えーと……とりあえず二人で待っててくれる?」
「え……二人?」
綾乃さんはまるで拝む様に両手を胸の前で組みながら、不安そうに茜を見た。
「大丈夫よ。二人きりになっても、こいつは綾乃には何にもする事はできないんだから」
僕に見くだす様な視線を向けながら、茜は言い放った。
「さっき会ったばかりなのに、よく分かるな」
「私がこれを持っているから。ねぇ、これが無いと帰る事もできないでしょ?」
茜は何かを頭の上にかざした。茶色の革製の……僕の財布だった。
「ちょっと、おまえ、それいつ取ったんだよ?」
「あなたがファストフードの店で会計をする所、見てたのよ。本当はここに来るまでの間に逃げられない為にと思って取ったんだけど」
「で、いつ取ったんだ?」
「いつだって取れたわよ。隙なんて何回でもあったし。それに、どこに仕舞うかを見られたっていうことは、取られたも同然って思わなくちゃ」
したり顔の茜。そこで何で『してやったり』なんだよ。
「それ、どこの決まり事だよ。つか、日本の決まりだと、他人の財布を取るのは窃盗なんだけど」
「確かに取って自分の物にするのは窃盗だけど。でも、返さないとは言ってないから」
「じゃぁ、返してもらおうか」
「私が帰って来た時に、綾乃の無事を確認したらね。これは人質よ」
「人じゃないし。物だろ、財布」
「じゃぁ、質草ね」
「おまえなんかに金、借りてないから」
「さっきから、おまえ呼ばわりなのね。知り合ったばかりの女の子に向かって」
「人の物を勝手に盗むやつなんか、おまえ呼ばわりで充分だろ」
「男の人におまえ呼ばわりされるのは初めてだから、かえって嬉しいわ。彼女みたいで」
「おまえを喜ばすために言っている訳じゃない。早く返せよ」
僕の言葉を無視するように、茜は僕の財布を自分のバッグにしまう。こいつはいったい何者なんだ?
「返すって言ってるじゃない。今すぐにではないけれど。でも、私が帰って来た時に綾乃に何かあったら、この中の現金は私と綾乃で折半にするから。嫌とは言わせないわよ」
「それ、綾乃さんに何かあったら、得するのおまえだけじゃん」
「なによ。とにかく、私は里奈の様子を見に行くから、あなたは綾乃と待っていればいいの」
「とにかくって……綾乃さん、今の言葉で余計心配そうな顔してますけど」
「いいわよね? 綾乃」
「あ……はい」
「『はい』って、綾乃さん、こういう状況は僕だから安全なものの、他の人だったら危険もありうる訳で」
「ね、心配無用でしょ? 綾乃。自分で安全だって言っているんだから」
「そうね。悪い人ではなさそうな気がする」
綾乃さんは緊張がほぐれた様子で、かわいらしい笑顔でそう言った。悪い気はしなかった。