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店長

 いかにも重そうな木製の扉が、僕の行く手を遮っている。「nest ob moth」の入り口の扉だ。

 扉の中央少し上、ほぼ僕の目線の位置に、一頭の翼を広げた蛾が彫刻されている。

 昨晩、森の中で発見された美咲さんは、友人は蝶、自分は蛾によく似ていると話していたらしい。何を思ってそんな事を言っていたのだろう? 一般的に蝶は好かれることが多い昆虫だけれど、蛾はというと、あまり好かれる昆虫とはいえない。

 同じ様に大きな翼を持った、同じ様に空を羽ばたく昆虫ではあるのだけれど。


 自分は周りから好かれていない、と思っていた?

 嫌われているかもしれないと思っていた?

 そんな事を自覚しながら、普通に笑顔で生活ができるのだろうか?

 そんな考えがぼんやりと頭に浮かぶ。けれど、今はそんな事を考えている時ではない。


 僕は、金属製の重厚な取っ手をゆっくりと押した。ドアの中には、店長がひとり、明かりのない客席で腰をかがめていた。


「やぁ、来たね。覚悟はできているんだろうね?」


 テーブルを拭きながら、店長はいたずらっぽい笑みを投げかける。


「いざとなったら、店長を吹っ切って全速力で走る覚悟ならできていますけど?」


 店長の軽口に応える。


「ははっ。それでいい。暴力を真っ正面から受けて立つ覚悟なんて、迷惑なだけだ。什器の修理費だけでも大変な事になりそうだからね」


 店長は、店の中を一瞥すると大きく手を広げる。


「修理費って…?」

「乱闘になったら店の修理費はこっちの自腹になりかねないからね。『やつ』をここに呼んだから。ここで『やつ』に問いただすことにしたんだ」

「ここって……この店で? ここで大丈夫なんです? 危険な時は逃げるとしても、ここじゃ居座られたらたまらない」

「確かにね。でも逆に僕の店だから、店の設備を壊したら警察沙汰にできるしね、それに店に入れる人数は僅かだから、多勢に無勢っていうのもここなら無いしね」

「その言い方って……警察沙汰まで考えているってことは、本当に覚悟が必要なようですね」

「美咲ちゃんの失踪に関係があることを簡単に認めて、簡単に行方を教えてくれれば、そうはならないんだけれどね」


 店長は、遠くを見る目で店の入り口を見る。


「あ、言い忘れていた。一番最初に言わなくちゃいけなかったのに。その、美咲さんは昨晩僕たちで見つけました」

「え?」

「昨晩、美咲さんのメールアドレスから、茜たち三人にメールが入ったんです。で、美咲さんを捜す事になって」

「と、いうことは美咲ちゃん、とりあえずは無事なんだね?」

「今の状態は分からないんですけれど、病院に運ばれていきましたから。メールの内容から美咲さんのお母さんが亡くなった場所にいるんじゃないかっていうことになって、夜の九時過ぎに行ってみたんです」

「メールが来たんだね。で、なぜかお母さんが亡くなった場所に行ってみたと、で、えーと、お母さんが亡くなっている?」

「ええ。かなり昔なんですが、この辺に女性が連続して狙われる事件があったじゃないですか」

「ああ、一人だけだけど、美咲ちゃんの住んでいる住宅地の先にある森の中で亡くなったやつだね。あの時は大騒ぎだったね。この辺であんな大きな事件が起きるなんて」


「その亡くなった女性が美咲さんのお母さんだったんですよ」


「あ? そうなんだ。それは聞いた事がなかったな。でも、なんでそんな場所に美咲ちゃんは行ったのだろう? 自分の母親が亡くなった場所なんて、本当なら近づくのも嫌なものじゃないのかな?」

「理由はよく分からないんですけれど。でも自分の意志でそこに行ったわけじゃないって気がするんです。十字架に磔られているように両手を広げた格好で、大きな木にくくりつけられていましたから。少なくとも自分ひとりではそんなの無理だから、誰かに連れていかれたとしか思えない」


「なるほどね。それにしてもひどいな、高校生の女の子をそんな格好で。無事発見っていう訳じゃなかったんだね。けれども、生きては……いたんだよね」

「ええ。意識はなかったんですが、息はありました。その時は確かに。でも、救急車に連れて行かれたので、その後は分からないんですけど」


「そうすると……今日はどうしようかな? とりあえず美咲ちゃんはみつかっているわけか」


「いま知りたいのは、だれが美咲さんにそんな事をしたかなんですけれど……」

「まぁ、自分で自分を括り付けることは不可能だろうし。特に両手を広げた格好じゃぁね。誰かが美咲ちゃんをそんな目にあわせたって事だろうけどね」

「その『常連』が犯人っていうことはないですか?」


「うーん。彼は僕とおなじ年だから、少なくとも美咲ちゃんのお母さんの犯人ではないね。それだけは確かだ。当時は高校生くらいだったからね。たしか車を使って連れ去ろうとした事もあったでしょ、それはありえないな。それに、親子まとめてそんな目に遭わす理由もない。あと、確かあの件は犯人が捕まっているんじゃなかったっけ? 美咲ちゃんの件だけだとしても、コピーキャットとか言うんだっけ、犯罪をそっくりに再現する模倣犯の事。今回はそういった犯行だとしても、彼はありえないと思う。犯罪をためらう性格ではないけれど、異常者ではないんだ。連続通り魔だとか、快楽殺人とか、そういうのをやるタイプじゃないんだよね。女の子に対する犯罪っていうんだったら、脅かして裏の風俗みたいなので働かせたり、そういう自分の利益になることしかやらないんだよ。彼はね」


「でも、手がかりがないんです。もう。それに、第一発見者の茜と里奈が疑われているようで、昨日から警察にいるんです。なんとか犯人を捜さないと」

「それは分かるけれどね。まぁ、呼んじゃった事だし、一応聞いてみようか。彼も美咲ちゃんの事は知っているしね。店には来ていたし、面識はあったからね。それに裏の世界の事情にもある程度通じているし、やっぱり聞く価値はあるのかも知れないね。あ、お友達にメールはしたかな? そういう事だとアクションシーンは無いと思うけれど。ここでやつと待ち合わせるから一時間後にメールがなかったら警察へ連絡するやつ、誰かに頼んであるかな?」


「一応、もう一人の女の子に」

「うらやましいなぁ。女の子の友達、沢山いるんだね。余っていたら紹介してくれないかな?」

「そんなんじゃ、ないです」

「ははっ。冗談のつもりだったんだけどなぁ。一応ね。でも真面目な話、その子、うちの店でバイトするよう勧めてくれないかなぁ? 人手がなくて大変なんだ、今。本当に」


 目を細めながら店長は僕の顔を見つめた。いつもの軽口なのか、僕の誠実を疑っているのか、一見、笑顔にみえるその表情の、奥にある真意は僕には見抜くことはできなかった。


「そろそろ『やつ』が来る頃だ。君の彼女に、何番目の彼女かわからないけれど、メールの方、よろしくね」


 店長は親しい友人を見るような人懐っこい笑顔で、茶化す様な視線を送って来た。



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