吊るされた白い身体
閑静な住宅街を抜けた先にある林の奥には、薄暗いけもの道が続いていた。
左右から木々の枝が張り出して、月明かりや星の瞬きすら漆黒で覆い隠している。
まだ住宅街から少し入っただけのこの場所でも、不吉な、嫌な気配があたりに充満している。
まるでなにか良くない物が周囲の闇に潜んでいるような圧迫感。
美咲さんは本当にこの先にいるのだろうか? 本当に女の子ひとりでこの中に入っていけたのか? そんな疑問すら浮かぶほど、身の危険を感じる空気。
それは暗がりのせいでも、奇妙に曲がりくねった木々の枝のせいだけでも無さそうな気がした。この場所に何かある。禍々しい雰囲気のせいだ。
住宅街の開発がこの場所で止まっているのも、それが原因のような気さえする。
「美咲さんがこの先にいるとして、本当にひとりでここに入って行くかなぁ」
僕は後ろの三人に問いかける。
「私でも一人はいやだな。この威圧感、っていうのかな? 雰囲気は、私の戦闘力でどうにかるるものではない気がする」
里奈は左右を見回しながら答える。
「でも、お母さんに会いたいっていう一心なら、なんとかなるかも知れない。美咲の、お母さんに対する思いが強ければ」
いつもと違った装いの綾乃さん。
「そういえば、今日はゴスロリじゃないんだね。髪も下ろしているし。その格好もかわいいけれど、どうしたの?」
今日の綾乃さんは、ツインテールをほどいていた。それに、白いTシャツに紫色をした膝までの短パン、スニーカーと、いつになく活動的な装いだ。
「あ、これ? あの服装は本当はそれほど好きなわけじゃないの。だから、どうしてもあの格好でっていうわけじゃないから」
「え? そうなんだ」
「うん。昔からフリルのついたワンピースしか着たことがなかったから、それ以外は似合うかどうかわからなくって。小学生のころね、五年生のあの事件のころ、親がそういう服ばかり買って来たの。騒ぎになって少したった頃、子供だと襲われないって噂が広がって。それでうちの親がわざと子供っぽい服を買ってきたみたい。でも、それがなんとなく私のキャラになっちゃって、ほかの服を着られなくなって……」
「それって、私が無事に逃れられたから出てきた噂かも知れないな」
「そうなのかも。そうだとしたら不思議な縁ね。でもね、この間みんながカフェバーに行ったでしょ? あのとき一緒に行けなくって、このままじゃいけないなって思って。それで今までとは違う服を買ってみたんだけど……もしかしたら似合ってないかな?」
「大丈夫。綾乃さんなら何を着ても似合いますよ。それに、髪型も。ツインテールじゃなくって、そうやって下ろしたのも意外といいですよ」
本心からそう思った。今日の装いは、女子高生の普段着って感じで、それはそれで僕のツボではあったから。
「私もイメチェンしようかしら。そんなに言ってもらえるなら」
茜がふくれている。
「制服姿以外も見てみたい気がするけどね、茜の場合は。カフェバーの時も制服ではなかったけれど、制服と似たようなブラウスにスカートだったし」
「うるさいわね。私だっていろいろと持っているんだから。あんたなんかには勿体なくって見せられないだけじゃない」
さらに怒りを買ってしまったようだ。ここは、必殺技、『聞き流す』でやり過ごすしかないようだ。
森の奥をさらに進んだ先は、木々に遮られて住宅街の明かりが全く届かない。数メートル先も見えないほどの闇は、まるで異世界に迷い込んだかのような異様な雰囲気だ。
暗い夜空を漆黒の枝葉が覆っているため、月明かりすらも足元に届かない。そんな暗く細い道を僕たちは黙々と歩いている。
視覚が闇に遮られているので、嫌でも他の感覚が鋭くなってゆく。
森の奥から聞こえる薄気味の悪い鳥の声、木の葉がこすれ合う音、それから、足の裏の感覚。けもの道を覆う腐った枯れ葉でできた土の感触は、まるで生肉を踏みつけているように感じた。
この少し先は、美咲さんのお母さんが死体となって発見された場所らしい。不謹慎だが、あまりいい気がしない。
突風が、吹いた。頭上の枝が大きくしなり、月明かりが足元まで届く。前を見ると、少し先はちょっとした広場になっている。
「……いや」
綾乃さんの声だ。僕は振り向いて綾乃さんに声をかける。
「だいじょうぶ?」
「へいき。ちょっと突然の風に驚いただけ……だから」
風に流された髪を押さえながら、綾乃さんは答える。いつもと変わりない笑顔で。
その後ろを歩く茜と里奈は、緊張した表情でゆっくりとうなづいた。
月明かりに照らされて、前方の木に白い物が括り付けられているのが見えた。人……淡い月光に照らされて、白く輝いているのは両手を大きく広げた人影だった。その白い姿は、まるでカフェバー『nest of moth』のドアに彫刻されたオオミズアオのように見えた。僕は店長の言葉を思い出す。
オオミズアオの学名は、「アクティアス=アルテミス」直訳すると、アテネの月の女神。カフェバーのドアに彫刻されたモチーフである、南米で店長が現地の青年から勧められて食べることになった蛾の近種だ。
前方の白い人影は深い闇の中、たった独りで僕たちに発見されるのをずっと待っていた。
「美咲」
茜が叫ぶ。
三人は、腰まで伸びた雑草をかき分けながら、全裸で木にくくりつけられた美咲さんのもとへ駆け寄っていった。
僕は、急いで警察に連絡をした。そして、そのあとすぐに思いついて救急に電話をした。美咲さんの息が、まだある可能性も捨てきれないからだ。そうしてから、僕は三人のいる方向に駆け寄った。三人は美咲さんを木から降ろそうとしている。
茜と出会ってからの数日が、頭のなかを駆け巡る。
美咲さんは、亡くなったお母さんと同じ場所で、同じ姿で発見されたのだった。僕たちによって。
夏の雑草の、青臭い匂いが鼻につく。風が止まっているので、少し動くだけで汗が流れる。
美咲さんが吊るされている木の下に僕が近づいた時、三人は、すでに美咲さんを木から降ろそうとしていた。普通に考えれば当然の行為だと思う。自分の友人が、それも高校二年生の女の子が全裸で木に吊るされているのだ。早く降ろして衣服をかけてあげようと思うのが普通の感覚だとは思った。
生死に関係なく。
けれども。
「ちょっと待って。警察が来るまでに状況を変えると、手がかりがわからなくなるから。あと、念のために救急にも連絡をしたから。そのままで」
両手を木にくくりつけているのだ。そんなの自分でできるわけがない。美咲さんは、誰かにこんな姿にされたのだ。おそらく。たぶん。
「じゃぁ、翔太はこのままにしておけっていうの? 美咲が可哀想じゃない。こんな格好でこのままにしておけない」
茜は美咲さんの足元で、小石を積み上げながら僕を見上げた。
「それって、何をしているんだ?」
「ロープに手が届かないのよ。ロープをはずせないから台を作ってるの。それより翔太、なに見てるのよ。美咲を見ないで。後ろをむいていて」
里奈は茜に駆け寄ると、茜と一緒にあたりの小石を集める。綾乃さんは僕と美咲さんの間に立とうと移動する。おそらく、一糸纏わぬ友人を男の目から隔てるために。僕にできることはないと思った。茜に言われた通り後ろを向いているしかないと。
そして、最後に美咲さんを一瞥した。微かに動いた気がした。
「今、美咲さん、動いた」
「え?」
「ちょっと待ってて」
後ろを向いた拍子に、近くに少し大きめの岩をみつけた。台にするには手ごろなサイズだ。しかもこの大きさなら僕なら動かす事が出来るかもしれない。
「里奈、その岩の上に乗れば君ならロープに届くかな?」
「なんとか届きそうな気がする。一人で動かせるか? 手伝おうか? 翔太」
里奈の問いかけに答える間もなく僕は岩に駆け寄る。
後ろに回り込んで力をかけると、意外と簡単に岩は動いた。
「一人でなんとかなりそうだ。持ち上げる事は無理だけど、転がす事はできる。里奈は美咲さんのそばに行っていて」
茜が小走りでやってくる。
「警察や救急が来る前に、美咲を下ろして服をかけてあげたいの。手伝わせて」
「それより茜は服の方を頼む。美咲さんを下ろした後に身体にかける準備をしておいて。たしか、足下にたたんで置いてあったよね。美咲さんの服」
茜はしっかりと僕をみつめて頷いた。
そうして僕たち三人は、美咲さんを下ろし、地面に横たわらせた美咲さんに、足元にたたんであった彼女の服をかけて警察と救急を待つ事とした。
途中で体調を崩した綾乃さんを一人で帰したあとは、三人とも無言のままだった。茜も里奈も何かを考え、何かを祈っているようだった。もちろん僕も、今は美咲さんが助かる事だけを考えていた。
夜の静寂にときおり響く鳥の声に混じって、いくつもの足音が近づいてくるのが聞こえてきた。




